コヤマングローバルの日記

うつで入院も経験し約3年の休職後、2015年6月から復職。仕事にプライベートに充実していましたが、2021年に再発本格化し現在2度目の長期休職中。うつとよりそいながらの日記や社会・政治・経済・書評・スポーツなど諸々のことを思うままにアップします。

うつの再発防止策について。

 

天æ±

 

こんにちは、みなさま、ご無沙汰しております。

前回のブログが16年1月初め、約1年振りのアップです。

 

*前回で、次はスターウオーズ「フォースの覚醒」についてと書きますと言いました。16年1月から3月にかけて、下書きをしこしこと書いていました。けれども、思い入れ強く論点拡がりすぎてまとまらず、さらに忙しくなって、4月位から下書きのまま、ほったらかしにしていました。そのうちに、DVD販売→オンデマンドとWOWOWで放映→「ローグワン」上映、と進んで、その下書きはお蔵入りすることにしました。なお「フォースの覚醒」は私の16年がっかり映画です^^。

 

私の記事を読んでいただいた方々はご存知だと思いますが、私は約4年間うつで参っていて(11年夏頃発症 / 14年6〜12月入院)、なんとか15年6月に復職しました。

 

復職した15年6月からは、仕事で精一杯になりブログをアップする余裕がなくなりました。15年6月の復職以降は3-4本、16年に至っては1月アップした後、今回が2本目という寡作ブロガー(?)になりました。

 

で、私の記事なんか、もう読んでくださってないだろうと思っていたのですが、今でもけっこう読んでくださっている方がいらっしゃるのに最近気づき、びっくりしました(&うれしかったです)。「うつうつ日記」の記事へのアクセスが多いようです。

koyamanglobal.hateblo.jp

koyamanglobal.hateblo.jp久しぶりのアップは「うつうつ日記」のほうがいいだろうと思いました。

 

◆◆◆◆◆

12月に部屋を(ほんとに)久しぶりに掃除(というより整理かな)していたら、下の写真の、紙とノートが出てきました。うつ真っ最中の、2011年の年末(今から5年前)と、14年の入院中のメモです。

 

■2011年12月25日~31日のメモ (良くなってから書いたと思います)

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このときは浜松に住んでいました。

--------------- ↑上のメモの症状が出るまで↑ ----------------------------------------------------------

2011年:

約2年間に渡る転職活動と、3.11の仕事での対応で、心身の疲労が自分のコップからついにあふれて、症状として出たんだと思います。

 

4月初め:突然の吐き気が続き、10日間ぐらいだって内視鏡検査で逆流性食道炎が発症していることがわかりました。処方されたタケプロンでなんとかごまかしていました。

5月:今度は早朝に目が覚めるように。最初はこれ幸いと外に出てジョギングをしていました。(今ならすぐわかるのですが)いわゆる早朝覚醒ですね。そのときは、うつだと気づくのに、しばらく時間がかかりました。

8月:うつ本格化。会社に行きたくなくなる。リフレックスサインバルタ、いわゆる『カリフォルニアロケット』という組み合わせ、を1回飲んだら、起き上がれなくなって1日半ベッドで寝っぱなしでした。

10月~11月:会社を約1ヵ月半休みました。休む直前あたりから、こわごわジェイゾロフト服用しました。

12月:ジェイゾロフトが効いて少しよくなったので、復職。しかし、下旬あたらいからまた調子が悪くなり、イブにそのときの彼女とレストランに行って、そのあとから急激に悪化しました。。

 

----------そして、上の添付写真メモの症状になっていきました-----------------------------------

25日:吐き気の症状が出て悪くなる

27日:吐き気本格化

29日:収まらない吐き気と、自分がどうなるか分からない怖さで、救急車を2回呼ぶ。

12月にやめていたジェイゾロフト離脱症状では、と病院で言われる。今から振りかえると、ここでSSRISNRIへの拒否感が大きくなり、14年8月のサインバルタの服用まで、全くSSRI/SNRIを服用できなかったです。

30日:自分の部屋に怖くて居られずアパート隣のビジネスホテルに泊まる。夜に体を震わせながら父に「○○たい、○○たい」と電話で連呼してました。

31日:心配した父が浜松に来る。当時付き合っていた彼女と父と3人で、救急外来をしている浜松市三方原聖隷病院に夜にタクシーで駆け込む。セロクエル(初服用)と点滴(吐き気止め)でなんとか少し落ち着く。病院からの帰りのタクシーのラジオで紅白歌合戦が流れてました。アパート隣のビジネスホテルで独りで年越しでした。。

 

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12年1月3日:落ち着いてきて少しづつ食事。

 

12年の前半は、セロクエルでごまかしながらぼちぼちと。劇的に良くなった感じはなかったです。

 

7月:東京本社に転勤(もう浜松事務所勤務が耐えられなかった)。ただ、そこでもパワハラ系上司が居て(それだけではないですが)

8月:症状が悪化、11年の休職期間のようになりました。再び朝起きるのがしんどくなりました。

9月下旬:上旬から朝起きられなくなるのが続き、休み連発。下旬に再休職決断。

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(13年14年前半は割愛します、今までの過去ログご参照下さい)

14年6月下旬:入院(復職締め切りまで1年足らずとなり決心)

14年12月下旬:退院 

15年6月下旬:復職 (約2年9ヶ月ぶり、会社退職寸前のタイミング)

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↓下のノートの写真は、14年入院中の底期のものです↓

■2014年の入院中のメモ。8月と10月。

ほとんど食事のメニュー。これ以外、文字が書けませんでした。。

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10月のメモ(3番目)は底期から脱して回復に向かっているときなんですが、字が異常に細かくて判読難しく、まだ病的ですね。ここらへんが底期と判断できるのは、体重がこの時期から戻ってきていることです(体重はノートに書いてありますが、字が小さくて見つけられないですね・・・)。

入院中は、毎週水曜日の朝、病棟で入院患者さんの一斉体重測定がありました。8月4日が底の44.95キロでした。私は身長はだいたい163センチ、うつになる前は53キロくらいで、もともと痩せタイプでしたが、45キロ未満だともうガリガリです。とにかく食欲はないし、たびたび吐き気で、うつ本格の時は体重増えることがありませんでした。

この14年8月の底に、もうここで手を打たないと復職できなくなる間に合わないと思い、吐き気の副作用覚悟のうえの一大決心をして、サインバルタを試しました。幸いに効いて、ジプレキサとの相乗効果で、食欲回復、14年10月からじりじりと体重が増加していきました。復職後の15年夏くらいには、68キロまでいきました(今は63キロ位)。

 

■近況

おかげさまで、GW・お盆・年末年始の休み以外は、長期休みを取ることもなく、無事に会社勤務を続けております。疲れたな、ちょっと危ない前兆かな?と感じたときに、半休なり、計画的に休みを取って、休養しております。(夜遅くの食事と睡眠不足から、16年初めから逆流性食道炎が再発してしまいタケキャブを飲んでおりますが・・)

  • 仕事:残業毎月20~30時間くらい。弊社はフレックスで朝はゆっくり10時とか10時半に行けます。業務量が多くなり(うつで長期休職だったことはもう全く考慮されていないというか、私の働き具合でみんな忘れている感じ)、遅いときは終わるのが23時過ぎのときもあります。ただ、やはり、夜遅くまでの残業は心身によくないですね。
  • オフ:読書、映画、美術館、旅行、都内レストランめぐり等々。映画館へは15年に引き続き20本くらい。旅行は、神戸/姫路城、出雲大社/松江、しまなみ海道70キロサイクリング/道後温泉、京都/貴船、箱根ウオーキング伊勢神宮/志摩、等々。

 

■過ごしかた

とにかく、16年は貯金は全くせず、お金の力で(散財とも言う)行動してストレスの発散を図りました。お金を使えるのも、復職して勤務続けることができて、キャッシュが途切れる心配がなかったからです。ともすると、また体調崩したらどうしよう?と思いがちですが、なるたけ思う時間をなくす努力=スケジュールを入れることにしました。

疲れていると感じたときは、人と会う&都心に行くスケジュールは控えて、最寄駅のカフェに行って読書して、まったりとした時間も入れてメリハリをつけました。

とにかく休みは一日ずっとうちにいることは避けました。ただ、時々、睡眠不足からだったり、残業のしすぎだったりで、時々めまいや気持ち悪さはでてました。カウンセラーさんからは、「スケジュールちょっと詰め込みすぎですよ」と言われたこともあり、11月くらいから、すこし余裕を持ったスケジュールを組んでいます。

 

■薬

15年終わりくらいからSNRIサインバルタを自分の判断で飲まない日を増やしていき、16年4月くらいからほとんど飲まなくなりました。今はメンタル系は睡眠導入のレンドルミンの半錠のみです。よくここまで来ましたね・・と主治医の先生と会社のカウンセラーの方に何回も言われてます。

以前私がどれくらい薬を飲んでいたかは下の過去記事で。大量服用で、失禁だけでなく、脱○もしました。。

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ちょっと不安感があるなあ、うつになった時に感じになんか似ているなあと感じるのが2-3回、16年中にありました。サインバルタを数日飲んだあと、気づかないうちに飲んでいませんでした。会社のカウンセラーさんに言ったら、「○○さん、それだと、サンバルタ効いている前に(1週間くらいかかる)飲むのやめているから、効いてないですよ、意味ないですよ」と言われてます。

 

■結論:うつから回復したあとの再発防止策(& うつ本格化防止策)

 

*ちなみに、うつ本格期はパワーが全く出てこないので、この対策はがんばってやらないでください。無理にやると逆効果でさらに悪化する危険があります。

うつ本格期は、

①相性のいい心療内科・精神科にかかること(言うの簡単だが見つかるのが難しい)。

②的確な処方箋・薬の服用 (経験的にやはりSSRISNRIの服用かな)

③休養(うつがかなり深いときは入院も視野に、過去ログご参考に) 

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15年6月に復職した後、16年に業務&活動を本格化できた、私の経験から言えるのは以下です(あくまでも私の個人的な意見です)。もし参考になれば幸いです。

 

1.「複線」(佐藤優さん)・「逃げ道」(村上春樹さん)を複数用意すること。

会社やパートナーだけでなく、自分の好きなこと・没頭できるものを探して、自分のアイデンティティーをいくつも用意すること。会社やパートナーとの間でつらいことがあっても、他の場で自分の存在を確認・認めることができる場をつくっておくのが大事だと思います。それは、人が介在するものでもいいし(友達)、介在しなくてもいい(読書、映画などの好きな事)と思います。自分が心地いい場、価値を複数つくることです。

 

2.運動

言うまでもないでしょう。私は、筋トレと水泳を定期的にやっています。ただし、うつ本格期はパワーが全くないので、無理してやる必要はないと思います。

脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方

脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方

 

(冗長でページ数が大量なので、読むのはしんどいので、アマゾンレビューをご覧になるだけで十分です。うつにも運動は効果が高いことが書かれています)

 

3.過剰労働は(なるべく)しない。

自戒の意味もこめて。電通の高橋さんの事件の例もあるように(電通社長さん起訴されなかったら逃げ切るつもりでしたね)、あたりまえですが過剰労働はよくないです。うつになったあとは当然気をつけると思うので、どちらかと言えばうつになる前の予防策になります。どんなに自分好きなことや志の仕事でも、過重労働で心身のキャパを超えたら、メンタル と体 が悲鳴を上げます。

働く男 (文春文庫)

働く男 (文春文庫)

 

↑ 16年「逃げ恥」で完全にブレイクした星野源さん  ↑

ミュージシャン、俳優、さらにこの本のようにエッセイもされて、すごい多才な人だと思っていましたが、この本読むと分かりました。仕事一筋、ジャンキー生活で、色々な仕事に自ら飛び込んで、挑戦し続けて成長されて今の姿があるんですね。才能があったうえにこれだけ挑戦し続けるとは・・

あの若さでで倒れたのはなぜだろう?と思っていましたが、明らかな「働きすぎ」だったのです。(レベルはまったく違いますが)仕事への取り組み方は、まさに過去の私が同じでした、そして今の姿勢も。

この本の中で、すごく共感した箇所がありました。やはり働きすぎで体を壊した方は共感できるのではないかと思います。まえがきの一部、ちょっと長いですが抜粋します。

働きたくない。

昔は違った。

働きつづけることが自分のアイデンティティだった。働いてないと不安になり、仕事で出会う人とのコミュニケーションでしか相手に興味がわかず、仕事での達成感のみが生きる希望だった。何をするにも仕事のことを考え、アイデアが思いつくと機嫌が良くなり、難航しているときは常にイライラしていた。少なくとも、今回文庫化されたこの本の書籍版を執筆していた頃、そして校了日までは。

 

 

入稿後、倒れた。

入院してから発売された『働く男』の初版の帯にはこう書かれている。

 

  どれだけ忙しくても、働いていたい。

  ハードすぎて過労死しようが、僕には関係ありません。

 

もちろん、関係はあった。脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血

(途中 略)

 

休養中、『働く男』を読むと別人が書いたもののように感じた。何かに取り憑かれたように、苦しみを、仕事を自分に課しているようだった。

過酷な入院生活で、私は大人になった。仕事が中心の生活ではなく、己が中心の生活に変わった。「仕事がないと生きていけない」ではなく、「仕事って楽しい」「でもなるべくサボって遊んでいたい」という性格に変わった。私は「働く男」から、「働きたくない男」になった。

とはいえ彼を、「働く男」の自分を否定する気にはなれない。

(略)

休んでいても不安は感じない。焦らない。むしろめっちゃ休みたい。今の自分がいるのは以前の自分のおかげであり、彼が殻を破ってやろうと必死になって戦ったからこそ、脱皮した自分がのほほんと暮らしていけている。そう思うようになった。

サボりたい、遊びたい、働きたくないとボヤキながら、実は今も自分は忙しく働いている。しかし前とは比べ物にならないほど、心は落ち着き、楽しく、幸福であり、仕事も充実している。

 

回復した後、仕事に肩の力を抜いて取り組んだら、皮肉にも大ブレイクしたんですね。

 

*余談ですが、、くも膜下出血後の入院生活について、星野さんは「過酷」と書かれているように入院生活かなりつらいようです。

くも漫。 (torch comics)

くも漫。 (torch comics)

 

15年の夏に、興味半分で、この漫画を読みました(映画化されるようですね)。(不謹慎で第三者としては面白かったですが)治るまでの治療が極めて過酷で、自分が当事者だった場合、果たして耐えられるか自信ないです。 

 

 

『働く男』では、闘病生活の辛さについては触れていませんでしたが、別の本を買ったら、星野さん、ちゃんと書いていらっしゃいました。

蘇える変態

蘇える変態

 

P126を境にして、全く違った読み物です。このページ以降は、完全にくも膜下出血の闘病記録になっています。

助かったあとの辛さも半端ないです。『くも漫。』と同じかそれ以上です。同じように集中治療室に入れられ、しばらく吐きまくり。本人も書かれているように「地獄」。

さらに、星野さん、なんと再発も経験されています。2回目は、開頭手術を受けているんですね。。私は、絶対、くも膜下出血にはなりたくないです。くれぐれも「働きすぎ」ないようにしよう。

*しかし、死んだほうがましなくらいつらいことも、前向きに受け止めて、明るく楽しく下ネタも入れて面白く書ける、星野源さんはすごいです・・。

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ちょっと、余談が長くなりました、失礼しました。

再発防止策に戻りますね。

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4.動物性たんぱく質の摂取

食欲がないときや、日本人としての胃腸の傾向として、なかなか取れないかも、ですが、うつ予防策&回復期策として、意識してとるべきではないかと思います。私の場合、うつの前は、ベジタリアンっぽい生活を送っていました。ベジな食生活とうつに、相関関係があるのかはなんとも分かりませんが、私はよくなってきてから、動物性たんぱく質をとる生活をしていたら、やる気・パワーが出ている気がしました。

たんぱく質が脳でポジティブ系の物質に変わり、うつに対しても、いい効果があるとか。運動とたんぱく質はセットで考えましょう(このセットは筋肉も増加させます)。

 

一方で、日本人は動物性たんぱく質摂取の歴史が長くないので、大量&長期の摂取はよくない面もあるようです。野菜果物等の摂取も、バランスいい食事をできればしたいです(あたりまえの結論になってしまいましたが・・)。

日本人と欧米の食事と病気の関係の違いについて、、なかなか興味深かったです。

 

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2017年も無事にいくように、上記項目を外さないようにたんたんといきます。

(17年はもう少しアップしないといかんですね)

 

 

00年のくるりの名曲。もう15年以上前の曲なんですね、、改めて最近聞いています。

 

僕が何千マイルも歩いたら

手のひらから大事なものがこぼれ落ちた

 

翼が生えた

こんなにも悩ましい僕らも

歩き続ける 歩き続ける

 

ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって

こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてゆく

 

2017年がみなさんにとっていい年でありますように。

2015年を振り返って。

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photo by Gunn Shots (Mark Gunn)

 

http://www.flickr.com/photos/30054343@N07/23989907071

photo by Viola's visions

 <<長いので、お時間のあるときにお読みください^^>>

 

ご無沙汰をしておりました、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

最後にブログ掲載したのが2015/8/15夏が過ぎ秋も過ぎて冬になり、年も明け、4ヶ月半以上経ちました。夏以降、仕事・プライベートが忙しくなり、ブログを書く時間と精神的余裕がなくなっていました。

年末年始休みにアップしようとしましたが、年末に胃腸が調子悪くなり(近いうちに内視鏡検査します)、寝込んで果たせませんでした。

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復職前はブログをまめにアップできてました。リワークをやっていたとはいえ、拘束時間は午前中だけでしたし、仕事に比べるとエネルギーロス少なかったです。

今は毎日夜8時9時頃まで(これでもバリバリ仕事やっていたときより全然早いです)、パソコンに向かって仕事して、うちに帰って食事した後の深夜に再びパソコンに向かうのはけっこうきついと思います。今の状態でブログ書くの続けたら1-2回でダウンしそう。復職前は、復職してからも週1-2回はブログアップできるかなと思いましたがだめだった、甘かった。

毎日仕事しながらブログもまめにアップされている方がいらっしゃいます。すごいなあと尊敬です。(仕事との)時間・エネルギーマネジメントはどうやっているんだろう。わたしのエネルギーがまだ100%でないからかな(以前バリバリやっていたときに比べると今はまだ6-7割くらいだと思います)。とは言うものの、ついつい周りのペースに合わせてオーバーペースになってしまうタイプなので、少なくとも今年前半はなるたけマイペースでいきたいです(いかないとカラダがもたないでしょう)。

 

◆◆◆最近の状況◆◆◆

 

仕事→部内異動で負荷増▼

部外に異動する人の玉突き人事で部内異動で業務変更となります。今、引継ぎを始めたところです。

12月にわたしの部内異動を唐突に上司から定例面談時に言われ、この場で承諾して欲しいと言われてさらにびっくりしました。復職後半年で業務変更、初めて経験する業務内容、復職後の業務に比べて格段に負荷が増えることで、今の自分に果たしてできるかあ自信を持てず、かつ、この場で承諾してほしいと言う進め方ににカチンときて、承諾せず保留しました。

その後、上司から「断っても、今のグループには居られないし(戦線縮小でグループ消滅)、部内異動がいやなら部外に行くしかない。」と少し脅し気味に言われました。外堀を埋まれそうになったので第3者の意見を聞いたほうがいいと思い、定期的に面談している社内カウンセラーの方に進め方を相談しました。アドバイスを聞いた結果、産業医面談産業医・人事部・カウンセラー・上司・わたし)を開催してもらいました。がんばってはいるけど、復職後半年だとまだ完全復活ではない時期であることをカウンセラーの方とわたしでアピールし、出席者に理解してもらいました。結果、関係者のサポートの約束をとりつけ、わたしは部内異動を承諾しました。

その産業医面談中、人事部の方が、

「○○○さん(わたし)の言い分は分りました。ただ、少し冷たい言い方になりますけど、○○○さんは管理職なので、周囲の目もあるし、残業時間の制限もないし(=残業代つかない)、サポートをもらうのでなく、本来はサポートを与えるリーダーとして仕事に取り組まねばならないことを承知してください。」

と言われて、すこしむっとときました。人事としての立場、そしてわたしのポジションを考えての発言だったんだろうけど、復職後の復活途中でまた新しい業務で不安を持っている人に対してきびしいコメントだなあ、もう少しあたたかみのある言葉がないのかなあと思いました。

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うつになる前は、MBAもとったし、売上上げて利益出して成果出して、会社で昇格するか、転職してキャリアアップをして、ポジションやサラリーを上げることばかり考えてました。

うつになる前のバリバリだった時は会社内でチヤホヤされてました。うつになってからは今までの態度とは変わって冷淡にわたしと接する方もいました。その方はわたしの社内でのポジションやパワーを見ていたのでしょう。

復職したあとはそういう態度の人がもっと増えるだろうなあと復職直前は不安でしたが(復職交渉中の人事部がそうでした、うちの人事部は冷たいです)、そういう態度をする人もいくぶん拝見すると感覚が麻痺?して慣れていきました(慣れちゃいけないのかもですが..)。

うつになって自分の体と立場が弱くなって、初めて、会社(の人たち)は社員に対して冷酷なところがあると気づきました。さらに、リワークで一緒だった他の会社の人と比べると特にうちの会社はドライで冷たい会社であることを痛感しました。

でも、一方で、「復帰してよかったですね」とおっしゃってくれた方もいました。わたしを古くから知っている方、特に社内のポジションやパワーと距離をとっている女性の方(若い女性はいない)に多かった気がします。

病気になる前は、わたしはそういう方に対してあまり自分の視界には入れていませんでした。弱い人への暖かい心を持っている人がかけがえのないことに、おそまきながら気づきました。自分もそういう心を持ち続けたいです。

会社の方向性と、人間としての生き方・考え方で、矛盾する関係の中、うまく『バランス』を取ってじょじょにゆっくりと前に進んでいきたいと思います。

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▼ うつの状況→さらに減薬成功、食欲・体重は減少▼

2015/12/23で、退院してから1年経過しました。2015年1月は、自宅からリワーク先(NTT東日本関東病院)五反田駅まで毎日満員列車に揺られ通うことに強い不安を感じながら本格的なリワークをスタートしました。

●現在の服薬

サインバルタ:朝1錠。2錠から減薬。全く飲まない日もあります。

レンドルミン1錠。(睡眠導入剤

マグラックス1-2錠。(サインバルタ副作用の便秘解消)14錠から減薬。

休職中の入院前は眠剤だけで11種類飲んでいました。入院前の日々は起きてるときもどよーんとしてて一日中ほとんど廃人でした。それを考えると今の服薬量は感慨深いです。

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 減薬に成功した要因は、日々あまり考えすぎないよう公私共に忙しくしたのがよかったのかもしれません。定期的な運動(水泳)、読書&映画(後述)もいいと思います。土日もけっこうスケジュール埋めてましたが、忙しい中で公私の『バランス』が取れていたのではと思います。

一方で疲れは蓄積されてきているなと感じています。そのせいかどうか分かりませんが、食欲は一時期のなんでも入る感じから減退しています。飲むのやめたセロクエルジプレキサは、副作用で食欲増進作用があり太る場合も多いそうですが、わたしの場合、これらをやめたせいでもないかなと思っています。
へんな言い方ですが、この歳になって初めて、大食い・太ることができてうれしかったので食欲減退は正直残念です。年末だけではなく11月にも胃の調子が悪かったことがあるので、胃の検査が必要だと思いました。体重は年末に胃腸を壊したのもあってMAXから減り、スーツのパンツがゆるくなってきました。

 

出張・旅行→国内だけど結構行けてよかった▼

復職後の2015年の後半は国内出張と国内旅行にたびたび行けました。
名古屋、横浜・鎌倉(近いか)、京都、浜松、大阪、広島、富山、北海道。

 ↓  10月18日の京都・嵐山   ↓

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 休職期間中は、浜松(以前住んでいた)が一番遠いところだったので、東京から飛行機で広島や北海道に行けたのはうれしかったです。11月初旬に北海道に行った時、うつになった経験がある友だちから、

「うつで休んでいるとき気分転換にいいかなと思って北海道にも旅行で来てたけど、〇〇〇さん(わたし)はどうだっの?」

と聞かれました。
「ムリムリムリ」

私は休職中はまったくそんなパワー・エネルギーは無かったです。休職して間もないときは最寄駅から急行でたった10分の池袋に行くことさえできなかった。電車に乗ること自体こわかったです。

北海道に10年ぶり以上に行って、富良野の「北の国からの風景を初めて見ることができてうれしかったです(初期のシリーズから欠かさず見ていました)。

 ↓ 11月7日の北海道・富良野 ↓ (寒かった、快晴でよかったです)f:id:koyamanglobal:20160106012059j:plain

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 このときに、親しくしていた方から休職中に「北海道に行ったことがないので行ってみたい」とたびたび言われていたことを思い出してました。チカラ振り絞って一緒に行ってあげたらよかったかなと思いました。一方で、当時のわたしのエネルギーでは全くできなかったし、出発したとしてもすぐ心身さらに壊しただろうし、申し訳ないけどしょうがなかったかなあとも思いました。

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旅行ではないのですが、12月初めにモネ展に行きました(美術館行くの好きで都内の美術館に休職中ときどき行ってました、美術館は行けた)。終了前の時期だった為か、すごい人の行列で入場するのに30分以上待ちました。わたしもその1人ですが、日本でモネの絵が展示される展覧会は人がたくさん来ます。

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( 上の写真左がその1枚になります)モネが白内障にかかってから取り組んだ情熱的な色調の絵(ぼんやりとしか目が見えないので絵がより抽象的に変化している)を初めて見ました。鬼気迫ってくるパワーを感じました、今までわたしが見たモネにないものでした。モネは昔から大好きな画家さんですが、新しい発見でよかったです。

 

◆◆◆読書について◆◆◆

 

最近、1週間に1-2回、発作的に夜にアマゾンでポチッと簡単に購入してしまいます。床が本の積読・散乱状態になり、収拾がつかなくなってきております。

 

2015年上期・芥川賞受賞作『火花』『スクラップ・アンド・ビルド』

 

 ●『火花』 又吉直樹  

火花

火花

 

 まだまだ売れているようですね。220万部?すごい売り上げです。

芥川賞受賞の直前か直後、15年の夏に読みました。佐藤優さんは芥川賞を受賞する前に『火花』を絶賛されていました。キンドルに入れてときおり読み返しているとおっしゃっていました。

わたしの読んだ印象は佐藤さんとは違って、これほどの大ベストラーになるほど内容があるのか正直よくわかりませんでした。アマゾンでもそれほど評価高くないです。

吉祥寺が好きで、売り出し中の芸人先輩と後輩の関係。中央線。大の缶コーヒー好き。特に事件が起きるわけでもなく、10年間くらいの日常の断面をそっと切りとってやさしく見せてくれます。

 ●『ダ・ヴィンチ 2015年7月号』 

 7月号なので発売されたのは6月ごろで、芥川賞発表前です。わたしは又吉さんの芥川賞受賞後にアマゾンで買いました。50ページに及ぶ又吉さん絶賛特集!で、多くて読み切れませんでした。中村文則さん(芥川賞作家)が大好きなようですね。やはり大ファンである太宰治さんに対するコメントも2ページにわたって紹介してあります。

 

●『第2図書館係補佐』

第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)

第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)

 

 50冊ほどの本を3ページで紹介。ほとんどの本が小説です。その本に触発されて思い出した又吉さん本人のエピソードを書いたエッセイだと思います。わたしは「火花」よりこちらのほうが読み易く興味深かったです。アマゾンでもこの本の方が「火花」より評価高いです。

 

●『女生徒』 太宰治

女生徒 (角川文庫)

女生徒 (角川文庫)

 

 夏に近所の本屋で太宰治さんの文庫本が平積みされていて、何冊かほんの少し手に取ってほんの少し読んでました。その後、又吉さんの愛読書『人間失格』より読みやすかなあと思って、「女生徒」をアマゾンで買いました。30ページくらい読んでほったらかしになり、あとは放置です。太宰さん、わたしにはだめだったかも。

 

『第2図書係補佐』の巻末の中村文則さんとの対談で、若いとき太宰を読む前に芥川龍之介の『トロッコ』と『羅生門』を読んで「ほかとは違う」と感じたとのこと。発作的に、芥川さんも2冊アマゾンで購入。

●『羅生門・鼻』 芥川龍之介

羅生門・鼻 (新潮文庫)

羅生門・鼻 (新潮文庫)

 

  ●『地獄変・偸盗(ちゅうとう)』

地獄変・偸盗 (新潮文庫)

地獄変・偸盗 (新潮文庫)

 

 2冊合わせて読み終えたのは、(昔読んだことのある)『羅生門』だけでした。読んだことのある方はおわかりだと思いますが、『羅生門』はたったの20ページほどの短編です。これだけ読んで、あとは読まずやっぱり積読・放置になっておりました。太宰さんの『女生徒』と合わせて3冊が部屋のどこかへ行ってしまてて、今回部屋から探し出すのに時間がかかりました。わたしには古典小説は無理なのかな。。

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●『スクラップ・アンド・ビルド』羽田圭介

スクラップ・アンド・ビルド

スクラップ・アンド・ビルド

 

うーーん、「火花」より、正直、さらに分からなかったです。介護の祖父に対してわく無職の主人公の感情。筋トレが好きな主人公。セックスも筋トレ感覚で臨む主人公。芥川賞受賞直後、作者の羽田圭介さんを、TVで拝見しました(バラエティー番組)。女性司会者に対し、なぜか、いきなり腕立てをしてみせた。主人公と同じやん。

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1月6日(水)24:00〜25:00にNHK Eテレで再放送(11月7日初放送)していた「SWITCHインタビュー達人たち 羽田圭介若林正恭(オードリー)」を見ました。

<興味深かったコメント>

「作家は割に合わない。若い人が作家になりたいと言って相談してくるがやめろと言っている。小説にとっては今は悪い時代です。」

「パソコンに書いた下書きをプリントアウトして、1日のほとんどをプリントアウトした紙に手書きで直しを入れている。その繰り返しばっかです。」

「作品の出来は自分が一番よく分かる。イマイチの時は他の人の評価も良くない。」

「作品を書くときは、関係者に取材を行う。ただし、生々しくて良かった話しは、やっぱり活字にしないでと当人からよく言われるので対策を考えました。自分で想像も含めて書いた内容を見せて、だいたいこんな感じですよね?と聞いて、そうですと返事をもらったらそのまま書いてしまいます。それは私が書いた内容であって取材で聞いた内容ではないから書いていいんです。」

(純文学作品で取材を丁寧に行っていることが意外でした)

 

↓(これはわたし読んでいないです、番組中オードリーの若林さんが紹介)↓

↓ SM業界の取材を丹念に行い、世に出すまで3年位かけたそうです。↓

メタモルフォシス (新潮文庫)

メタモルフォシス (新潮文庫)

 

 若林さんは、あー見えて(すみません)実はかなりの文学好きで羽田作品もかなり読んでいるようでした。

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『スクラップ・アンド・ビルド』は、自宅での羽田さんのおばあさんの介護経験がきっかけで、作品にしようと思ったそうです。やはり介護関係者にかなり取材をされたそうです。『スクラップ・...』読んでいるときに、関係者を取材してあることは正直全然感じなかったです。思ったのは、これだけ手間&時間をかけて作品を世に出していても、世の中に大きく認知されるまでにかなり時間がかかっていることでした(羽田さんは17歳で文芸賞を最年少で受賞、それからたびたび賞の候補になった後に15年で29歳のときに芥川賞受賞)。世に認知されるのに時間はかかるし、わたしみたいな鈍感な読者はいるしで、羽田さんおっしゃるように小説家って割に合わない職業かもしれないですね。

 

「今まで全然本が売れなかったので、芥川賞を受賞してから本の売り上げを増やすためにテレビに出ているけど、売り上げにはさほど影響はないみたいです。芥川賞受賞そのものが効いているようです。今は芥川賞受賞っていう『ブースト』で私の作品群の売り上げ増えてるけど、もうすぐその効果も切れます。そしたらまた途端に売れなくなりますよ。」

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「僕が高校生の時、綿矢りささんが最年少で(19歳)で芥川賞受賞して大騒ぎになった。それをテレビで見て、めちゃめちゃ焦って作家になろうと決心して、作品を猛烈に書き始めた。」

しょうがの味は熱い (文春文庫)

しょうがの味は熱い (文春文庫)

 

 復職前後の5月か6月に読んだでしょうか。彼との結婚を夢見る女性の日々の感情のうつろいをつづった短編小説です。あっさりと読み易かったですが、一方で、文体が引っかかってこなかったです(贅沢かな?)。読んだあとに何かは残りませんでした。

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実は、この本を読むまで、綿谷りささんが、最年少で芥川賞を取ってたことを知りませんでした(調べたら2004年に19歳で受賞)。わたしは、その時は名古屋で仕事にがんじがらめに時間と体を拘束されていて(ビジネス本や政治経済本は多少読んでいましたが)、時間と心の余裕がないのもあって小説は興味を持てず全く読みませんでした。

この本を読んだ限りなので、不遜・失礼を承知で申し上げますと、わたしには芥川賞作家の名にふさわしい内容とは思えなかったです。ただし、上の古典小説に対するコメントでお分かりのようにわたしの小説読解力はまったく足りてないので、あてにならないコメントだと思ってください。。

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村上春樹さんを、遅まきながら読み始める▼

15年の11月くらいから、遅ればせながら、村上春樹さんの著作をぽちぽちと読んでいます。以前、 身近にいた方から、休職中に、村上春樹さんの本を何度も勧められました。その時は症状もあり、小説を読むパワーがなく読めませんでした。

昔々、社会人になりたてか大学卒業前の時に『ノルウエイの森』を読みましたが、暗い内容がいやになり、村上さんの本は読まなくなりました。

2015年は読みやすいエッセイ系の本を数冊出されました。本格ファンの方にとっては邪道でしょうが、私はそれらの読みやすい本から村上春樹さんの再デビューをしました。『ノルウエイの森』を読んだときは感じなかったのですが、読みやすい文でした。推敲とエイジングを何回も重ねた文体と内容について、三者に何を言われようが動じないぶれない絶対的な自信に、尊敬の念を感じました。自分と向き合うことのたいせつさを強調されているところが印象的でした。

小説も1冊2冊読むことができて、昔の『ノルウェイの森』にいだいた村上春樹さんのいやな印象がなくなっていきました。わたしは『火花』『スクラップ・アンド・ビルド』や太宰や芥川より読みやすかったです。あと、余韻が残りました。単純に相性とも言えますが、村上春樹さんが長い間人気あるのも少しわかった気がします。なんででしょう、文体なのかな?

もう少し読む量を増やして考えも熟成させて、別で取り上げる機会があればと思っています。

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▼小説とビジネス書について、『バランス』▼

 

うつになって休職する前のバリバリに働いていた頃は、 『生きること』と『働くこと』はほぼイコールであると考えていました。給与・昇進・ポジションなどの社会的立場や、やりがい・使命・志が最も大事なこと強く思い、それらを追い求めていました。まだまだ追いついていないと、仕事に転職活動に懸命に120%フルスロットルで3-4年がんばって、体調変だなと気づいたときはうつになっていました。

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15年から読み始めた佐藤優さんは著作で、

「努力が必ずしも世の中や人生で報われるとは限らない。理不尽な世の中や人生に対して、心が折れない防御策としての『生きる』知恵を小説や映画で代理体験して身につけることをお勧めします」と書かれていました。

極端な捉え方になりますが、『生きる』処方箋=小説(映画)、『働く』処方箋=ビジネス書、なのかも知れないとも思いました。佐藤さんの文を読んでから、『生きる』ために小説を読んでみようと思いました。しかし、前述のように読解力不足と相性で読めない小説もかなりあることが分かりました。

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最近、ビジネススクールの友だちと読書について話しをしていたときに、フォトリーディングは小説には使えない」と言っていました。

わたしも受講したことがあるのですが、フォトリーディングは、ビジネス書や自己啓発書などの本の重要な箇所を効率よくスピーディーに目と脳にどんどん投げ込むメソッドです(重要でないところは捨てていく)。捨てるところのない端から端へ読む必要のある小説には、確かに通用しません。

小説=『生きること』は小さなこと含め全てだいじなこと、ビジネス書=『働くこと』は重要度の高低をつけて捨てるものもある、と言えるのかもしれません。

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さらに、佐藤優さん・村上春樹さん・池上彰さんは「すぐ効く内容の本は時間が経てばすぐ効果が消える」 とおっしゃっています。休職前のわたしは時間投資効率を求めて小説を避け、すぐ効くビジネス書を読み漁っていました村上春樹さんは、読むのはほとんど小説でビジネス・自己啓発・ノウハウ本の系統はいっさい読まない、とおっしゃっています。

例えるなら、小説=漢方薬、ビジネス書=解熱薬、なのかな。

わたしは村上春樹さんまで小説一辺倒はむずかしいので(仕事の関係上ビジネス書も読まないといけない)、ビジネス書と小説の『バランス』を上手に取っていきたいと思います。

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 ●『戦略読書』三谷宏治

戦略読書

戦略読書

 

ビジネススクールに行ってたとき、三谷さんの講義を受講したことがあります。他の先生と比べると、講義スタイルに独特のものがありました。何か違うなあ、、と。

「みんなと同じ本を読んではいけない。私たちは読んだ本でできている。自己啓発本・ビジネス本・ノウハウ本・経営書ばかり読んでも、それらを読んでいる人と同じになる。コモディティになる。差別化できない。何を・いつ・どう読むかを戦略的に考えた自分仕様の読書が必要。」

三谷さんが小説だけでなく漫画も読んでいるのは意外でした。多忙なのにどうやって時間を作っているんだろう?と思いました。自分独自の読書ポートフォリオ形成が重要で、ビジネス書だけでなく小説(三谷さんの場合漫画も!)を読む重要性がわかりました。

 

 

◆◆◆映画◆◆◆

 映画鑑賞は中学生の頃から大好きで、うつになってから3年間映画館へ行けなくて欲求不満がたまってました。やっと2015年に再開できてうれしかったです。また、先ほどの佐藤優さんのコメントのように、代理体験して『生きる』知恵を身につける観点からも映画鑑賞は有意義だと思うようになりました。

 

●2015年鑑賞映画●

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8月15日 「終戦の日」

 

今日(8月15日)は、「終戦の日」です。

当時、どういう報道がされたかググってみたら、朝日新聞も、讀賣報知新聞もほとんど同じでした。

天皇陛下昭和天皇)による戦争終結(終局)の聖断発せられる、帝国(大日本帝国)は四国宣言(ポツダム宣言)を受諾、と書かれてあります。

ただ、勉強不足も相まって、なぜ、今日を「敗戦の日」としていないか、これまたググってみますと...

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11111906281;_ylt=A2RAj5Vjgs9V53sA9VAYAPR7?pos=5&ccode=ofv

1945年

◆8月15日:

昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送、いわゆる玉音放送により、日本の降伏が国民に公表され戦争が終わった事を知らせた日=終戦記念日

◆8月14日:(8月10日と書いてあるとこもありました)

政府が連合国各国にポツダム宣言の受諾を通告した日=敗戦確定した日。

◆9月2日:

ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日

=正式に戦争が終結した日。

 

◆1952年4月28日:

サンフランシスコ平和条約の発効、国際法上、連合国各国と日本の戦争状態終結した日

 

上の定義によれば、「敗戦の日」を設けるならば、8月14日(10日?)が適切なのでしょうか。

もっとも、自国民の自尊心を損なう表現は、政府・マスメディア双方控えてきたという捉え方もできます。

ちなみに、ロシアなんか、「第二次大戦勝利(独ソ戦勝利)の日」を祝ったり行事をしたりしても、「日露戦争終戦(敗戦)の日」は別段行事をやらないでしょうね。

 

ナチス関連の本を読んだいたせいもあって、時間があまり取れず、日本のほうはあまり手を付けられなかったのですが、、、興味があった本、、少し読むことできました。

撤退戦の研究 (青春新書インテリジェンス)

撤退戦の研究 (青春新書インテリジェンス)

 

 いかに、太平洋戦争時の日本軍が戦略を軽視して、官僚化した人事を行い、戦線をむやみに拡大していったか、断じています。そして、その当時の日本軍の傾向は、現代の日本企業・政治にも残っているとおっしゃっています。

 

 

 筆者は、「原爆投下は人体実験だった」「日本に対するホロコーストだった」とおっしゃっています。

わたしが思うに、アメリカは、どんな働きかけをしても、原爆投下に対して日本に謝ることはしないと思います。

日本人は、「謝って水に流す」という考えをしますが、外国の方々にとって、「謝ること=自分の非を認めること=自分は間違っていたことを認めること」になるからです。

わたしの仕事でも、日本のお客さんに対して、不具合や未納を出しても、なかなか謝ろうとしないドイツ人や外国人をまじかに見た経験が何回もありました。。

 

 

完全版水木しげる伝(上) (講談社漫画文庫)

完全版水木しげる伝(上) (講談社漫画文庫)

 

 

完全版水木しげる伝(中) (講談社漫画文庫)

完全版水木しげる伝(中) (講談社漫画文庫)

 

 これは、漫画です、上中下巻ありますが、筆者が兵士として従軍した太平洋戦争を描いてるのは、上中巻です。休職しているとき、本があまり読めない時に、上中下巻をブックオフで買って読みました。今回改めてざっと読んでみました。絵が柔らかくペーソスがあるストーリーで、肩の力が抜けて読むことができました、おかげで戦争に入る前から終戦までとおしで、戦争の悲惨さ・深刻さを、筆者の目線で知ることができました。

 

nihon-ichi.jp

ヒットしているようで、今週、丸の内ピカデリーで観てきました。

大きな映画館でしたが、結構お客さんは入っていました。

昭和天皇の聖断が発せられる瞬間までをドキュメンタリータッチで描いた映画です。

終わるちょっとまえから、近くの席で年配のかたが泣いているような音を聞きましたが、(不謹慎かもですが)わたしはあまり感じませんでした。

陸軍の長、阿南陸軍大臣を、役所広司さんが演じています。

部下の陸軍の人たちの戦争継続の強い要望によるプレッシャーと、山崎哲さん演じる鈴木首相、本木雅弘さん演じる昭和天皇の、国体護持のもとでの(陸軍は国体護持が保証できないので戦争継続=映画では「戦争完遂」を主張)(ちなみに、「戦争完遂」って、どういう定義なんでしょうね?)戦争終結派の板挟みにあって、悩みながら行動する役柄をすばらしく演じられています。わたしは、この映画の主役は、阿南陸軍大臣で、彼の苦悩を観る映画だと感じました。

映画の終盤、玉音放送を阻止するべく、陸軍がクーデターを図ります(宮城事件)。

わたしは、最後まで陸軍は暴走が止まらなかったんだな、陸軍(海軍も)の暴走を止められなかったので、日中戦争や太平洋戦争が延々と続いて、外国や日本の犠牲者が膨大な数になったんだと感じました。

 

 

 

ちなみに、話しは飛びますが、昨日の、テレビ朝日田原総一郎さんの司会の「朝まで生テレビ」で、猪瀬直樹さんかどなたかおっしゃっていて、興味深いのがありました。

A級戦犯 - Wikipedia

極東国際軍事裁判に起訴された被告人(いわゆるA級戦犯)28名(うち3人は病死等)

●1946年4月29日(昭和天皇の誕生日):起訴

●1948年11月12日:25名に判決

●1946年12月23日(当時皇太子=現在今上天皇の誕生日):25名のうち7名、死刑執行

上のWikiには推測の域を出ないと書かれていますが、昭和天皇誕生日と今上天皇誕生日の二つに起訴と刑執行を行って、偶然だったと言えるのでしょうか。

 

 

 

今回もまたテーマが大きく深く、結論は、人それぞれだと思います。

 

何かしら、考えて頂けたら幸いです。

 

ここまで、お付き合いいただきありがとうございました、ではでは。

うつの通院とパンダ。

 

今回は、今日(8月14日)に過ごしたことについて、ゆる〜く書きます。

今日は、朝一で精神科への診療の日でした。世間はお盆休みですが、こちらはやっています。ただ、やはり、いつもより、患者さんの人数は少なかったです。
前回、眠剤を、効きが長いユーロジンから中程度のレンドルミンに変えてもらいました。眠りの長さ深さ、ユーロジンの時と別段変わらず眠れていたので、そのままレンドルミン変えずに。
あと、前々から主治医の先生から言われていた、朝食後の抗うつ薬SNRI)のサイバルタ3錠を2錠に減らすこと(先生は薬によってわたしが過活動になっていると判断して、前から減薬を主張されていた)は、わたしから一日ごと3錠と2錠に交互に飲む提案をして、納得してもらいました。前に、3錠から2錠に減らしたときは(4月)、がくっと意欲が減少したトラウマ?があったので、折衷案として1日あたり2.5錠にしました。
 

tabelog.com

このお店は、リワークに行っている期間に、リワークで仲良くさせて頂いた方々と、一緒によく行っていたお店です。
ここのお店のわんたんは、写真にあるように、レンゲでわんたんを取って、小皿に入れたしょうが汁かラー油につけて、頂きます。わんたん麺は、塩味がお勧めです。今日も暑い日で、麺類はどうかな〜と思いましたが、久しぶりに行って、おいしかったです!リワークの期間は、瓶ビールを一本だけ、よくみんなで頂いてなあ〜^^。



  • 夕方〜夜:上野動物園 真夏の夜の動物園(〜20:00)(8月16日まで)

www.tokyo-zoo.net

 モトカノ(と言う歳でもないですが)が、ハシビロコウ(全然動かない鳥)を見たいと言って上野動物園に行きたいと言ってきて、わたしはパンダを見たい(この歳で生でみたことなかった)となって、今日、上野動物園に行きました。

 

ハシビロコウ

明かりは全くつけていなくて、暗闇で、なんとか探して見れました。柵の前に、けっこうお客さんが集まっていて、、あそこ、あそこと騒いでいて、やっと分かりました。モトカノは、、「へ??どこ??どこ??」と言って、全然分からなかったですが、わたしが指さして、やっと分かって、いたいた!と興奮しておりました。

モトカノはiPhoneで何枚か写真を取りましたが、判別できる明るさではなかったです。

ハシビロコウ、思ったより小さかったです。やはり、全然動かず、暗闇で見ると、石か銅像?のように見えました。

それでも、モトカノは、「見れた!見れた!」と言って興奮しておりました。

 

分からない方々のために、ネット画像でのハシビロコウです。

 

う〜ん、やはり、あまりかっこよくないと思うな〜、どこがいいんだろう? 

 

 

◆パンダ

部屋がこうこうと照らされていて、見れました。初パンダ!

 

まずはじめ、シンシン(メス)は、、、もう、、寝ていました。。

でも、かわいい、、ぬいぐるみのよう、ほんとに生きとるのかいな?という感じ

 

つぎ、リーリー(オス)は、、たくさんのお客さんがいる前で、、平気で笹をばくばくと喰らっていました。うーーん、、でも、、やっぱり、、かわいいなあ

そう言っているときに、、おしりの下に見える、緑の「物体」が出てきました、、、

分かるでしょうか??

はい、リーリー、「うんち」をしました!。

笹をばくばく食べながら、肛〇を真っ赤に全開させ、、たっぷりのうんちをされてました。強心臓というか、なんというか。。

子供たちが、「うんちしてる〜、うんち、うんち〜!」と連呼してました。

 

リーリーの他の写真です。

 

終盤で(にわか)雨が降ってきて、けっこう濡れてたいへんでした。あとは、カンガルーやサルあたりを見て、あとはいいやと足早に帰りました。

モトカノは、途中の売店で、パンダのクッションとぬいぐるみをゲットし(わたしが買ってあげた)、、子供のように喜々としていました。

 

わたしも、はじめてパンダを見れて、よかったです、童心にかえれました。

 

では、今日はこのへんで、ではでは〜。

『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』エマニュエル・トッド

http://www.flickr.com/photos/9361468@N05/19070110643

photo by quapan

 お久しぶりのアップになりました。

  • 主治医の先生にも早寝をきつく言われたが、結局守ったのは3-4日ぐらい
  • 仕事も、変わらず8:15-19:00のペースが続き、忙しくなる(忙しくしてる?)
  • 昼間、仕事でメールをたくさん打って、疲れて帰ってきて、それからウチでもパソコン開いて、ブログを書く気にはならなかった
  • 次のブログのテーマは、「うつうつ日記」をひと休みにして、標記の本を取り上げようと決めていた
  • 実は、わたしの勤めている会社は、ドイツの会社
  • わたしは、自分の会社を離れて、一般的に「ドイツ」というと、どうしても「ナチス」を思い浮かべてしまう
  • この機会に、標記の本だけでなく、自分の会社のこと、及び(第二次世界大戦終結後70年ということもあり)、ナチスに関する本も、取り上げてみようと思った
  • ただ一方で、テーマが、広く深い重いものになってしまい、書く手が重くなった
  • 今週はお盆休みで、書く余裕が生まれた

この本を、約1か月前に読んでいました。

 なかなか売れているようです。ここにきて、EUのリーダー、インダストリー4.0を展開など、日本にとっても、ドイツは大国としての地位にあがってきた印象で、今後ドイツをどう位置づけたらいいか、素朴な疑問があるのではと思いました。

  • ドイツが、ここ5年で経済的に政治的に、ヨーロッパのコントロール権を握った
  • フランス・オランド大統領は「ドイツ副首相」(著者のトッドはフランス人)
  • 最近のドイツのパワーは、かつて共産主義国だった住民を、EUの東方拡大によって、資本主義の中の労働力とすることによって形成
  • 「ドイツ圏」の規模は2億人
  • ガスパイプラインの真の問題は、ウクライナを通過していることではなく。到着点がドイツにコントロールされていること
  • 自分たちが一番強いと感じるときには、ドイツ人たちは、より弱い者による服従の拒否を受け入れることが非常に不得意
  • ロシアをみくびってはいけない
  • オランドは「マルク圏」の地方代表
  • 真の権力中枢はメルケルでなくドイツ経済界
  • フランスが発明し、ドイツ人が利用したユーロ
  • 日本の文化が他人を傷つけけないようにする、遠慮するという願望に取りつかれているのに対し、ドイツ文化はむき出しの素直さを価値付ける (同意です)
  • 反ユダヤ主義と新ユダヤ主義がユダヤ人問題への病的なまでの過剰な関心の二つのバージョンであるように、ドイツ嫌いとドイツ崇拝はドイツを大真面目に捉えすぎる傾向の二つの様態であり、このことは問題を悪化させる方向へ働く

 

わたしの会社は上述のように、ドイツの会社です。

わたしが20〜30代前半の頃は、まだ創立数十年の伝統ある?日系の会社だったんですが、90年代後半から徐々にドイツ資本が入っていき、最終的に買収されました。結果、勤めていた会社はドイツの子会社になりました。それと前後して、本社からドイツ人も次々と来るようになって、そこらじゅうにドイツ人(や外国人)が居るようになりました。わたしの上司が、ドイツ人だったこともありました。

あまり、ドイツをご存知でない外部の方で、「日本人とドイツ人は似ているところがあるから、やりやすいんじゃない?」なんておっしゃる方もいるのですが、私に言わせると「全然ちがいます」

人の違いというか、企業統治システムが決定的に違います。そして、どうしても,わたしは、弊社のドイツの仕事の仕方に、なじみません。(ドイツ人の中には、個人的に好きな人や尊敬する人も、もちろんいます)

飛びますが、なんせ、学生時代のときから、サッカーワールドカップでドイツが嫌いでした。カラダがでかく身体能力に優れているところを活用し、ごつごつ当たって、そして絶対あきらめない「不屈のゲルマン魂」に、畏怖と不気味の感情がないまぜになって、生理的にどうも好きにはなれませんでした。

就職して、十数年たって、よりによって、自分の勤めている会社がドイツの子会社になるとは思いもしませんでした。


  • トップダウン、本社(ドイツ)による中央集権、大きな戦略はドイツが決める
  • ボトムアップはなし
  • 例えば、現場レベルからの新規事業創出なんて話は、ドイツの会社になってから聞いたことがない
  • 新しいビジネスやM&Aなど、ドイツ本社がほとんどすべて決める
  • 日本法人は、ほとんどドイツ本社上層部の方針・戦略に従い、オペレーション(=売上・利益の向上)をこなすだけ
  • 世界の子会社(日本法人)の上層部は、ドイツ本社の意向に従った人間またはドイツ人がつく
  • ルールをこと細かいところまで設ける(設けないと落ち着かない?)
  •  データでとにかく重箱の隅まで社員を管理(人事管理も全世界ドイツルールで統一)、日本人からすると病的なほどの細かさ、よく言えば徹底的にITを活用
  • 社内の階層をきっちりと設けてヒエラルキーを厳然と設ける(これは日系企業も同じかな)
  • 話しが長い
  • 質実剛健、悪く言うとファッションセンスはない
  • (ドイツだけでなく欧州全体)長期の休みに入った人のリカバリー、引き継ぎがないことが多い。お客様への納入が絡む生産管理部がこの状態になると、日本サイドはお客様への未納を防ぐため、怒りをこらえながらだいたい休んだ人の上司へエスカレーション

いいところ

  • 日系企業よりは休暇は取りやすい、かな(もちろん、社内のドイツ人は日本人より休む、夏や年末年始に3~4週間休むドイツ人もいる)
  • 女性の活用に熱心

 

 あと、今のドイツの方々には関係のないことなんですが、わたしはドイツというと、ヒトラーユダヤ人のホロコーストアウシュビッツのことを、時々思っていました。それだけ、抗しがたい負の魅力があるということでしょうか。

ちなみに、今の会社で、ドイツ人にナチスについて話したことはまったくありません。ドイツ本社からの社内報みたいなもの、又はイントラによるニュースでも、取り上げられたことは1回もありません。触れるのはタブーのような感じです。

まあ、今のドイツ人の方々にとっては、触れられたくない話しなんでしょう。


犠牲者の多寡で言えば、

というふうにも言われて、スターリン毛沢東のほうが、犠牲者の数で言えば、ナチス・ドイツよりはるか上です。

でも、中国人やロシア人見ても、毛沢東スターリン(の虐殺)をほとんど思い浮かべないのは、なぜなんでしょうか。関連本を読んでみました。

わたしの要約&結論は、

「虐殺のための工場を国内外に多数(数百?)(工場への鉄道も)造り、ナチス初期の1920年代から党是にあげ、ある人種(ユダヤ人)の根絶のため、虐殺を工場生産のように計画的に行ったのは、ナチス・ドイツのみである。これは戦争犯罪(戦争にともなった殺害・虐殺)でなく、人道に反する犯罪である」

こう定義すると、上のスターリン毛沢東のおびただしい犠牲者に対しても、質的にはなんら劣ることのない犯罪ではないかと思いました。

 

 以下、関連する本・映像です。

日本とドイツ ふたつの「戦後」 (集英社新書)

日本とドイツ ふたつの「戦後」 (集英社新書)

 

日本と比べてドイツは偉い、よく反省している、日本は反省が足りない、という本でした。 昔、よく言われたパターンですが、日本とドイツを比べる意味が良く分かりません。ドイツのような、戦争とは別に(並行して)計画的に、ある人種を根絶させようとしたことは、日本にはありません。

 

 

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

 

 これは、ナチスが誕生する第一次世界大戦後から丁寧に書かれており、参考になった本でした。ヒトラーナチスは、用意周到に合法的に選挙をもって、政権を取ったことがよくわかります。もう、ここで、早くもおなかがいっぱいの感じになりました。

 

ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書)

ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書)

 

 ホロコーストがどのように実行されていったかを検証する本です。少し読んだだけで、おなかがいっぱいになりました。

 

ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)

ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)

 

 どういう技法で、ヒトラーは大衆の心・票をつかんでいったのか分析した本です。分析して、本にするまで、関係者にかかった工数がかなりの量です。これも読了まではいたりませんでしたが、著者・関係者の努力に頭が下がります。

 

 

 上の本と、下の本はアウシュビッツから生還した方の手記です。「夜と霧」は有名でレビュー見ると絶賛の嵐で、試しにちょっと前に読んでみましたが、あまりピンときませんでした。著者のトーンがなんか第三者的な見方で(だから生還できたのかもしれませんが)、客観的で感動が薄いというか。。読了はしていませんが、上の「アウシュビッツは終わらない」の方が、生々しい感じがして、いいように思いました。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 

下は、94年に書かれた、ちょっと古い本です。ドイツの犯した罪と、日本の犯した罪は同列には論じられないと喝破しています。会社がドイツの会社になる以前に読んだ本で、この本で、決定的なドイツに対するアレルギーをもったのかもしれません。

異なる悲劇 日本とドイツ (文春文庫)

異なる悲劇 日本とドイツ (文春文庫)

 

 メリル・ストリープ主演『ホロコースト -戦争と家族-』DVD-BOX

メリル・ストリープ主演『ホロコースト -戦争と家族-』DVD-BOX

確か78年のテレビ作品です。この作品から、「ホロコースト」という名前が一般的になったそうです。もっと前から普及していた言葉だと思っていました、知らなかった。

ソフィーの選択 [Blu-ray]

ソフィーの選択 [Blu-ray]

これはアマゾンで見つけて、レビューで絶賛されてたものです。メリル・ストリープがこれで、アカデミー賞主演女優賞受賞。まだ見たことないので、いつか見たいですが、なんとDVD版がないのです。。

余談ですが、上の二つはいずれも、メリル・ストリープが主演ですね。メリル・ストリープロバート・デ・ニーロが出た、ディアハンターが確か’79年ですから、’80年前後はメリル・ストリープが絶頂期の頃だったのかもしれませんね。


NHKスペシャル 映像の世紀 第4集 ヒトラーの野望 [DVD]

NHKスペシャル 映像の世紀 第4集 ヒトラーの野望 [DVD]

’90年代後半にNHKで放送されたものです。このシリーズ、当時リアルタイムで見てました。当時の貴重な映像を淡々と中立に積み上げ、冷静なナレーションと加古隆さんの音楽が、悲劇を際立たせていた印象を持っています。シリーズ中、このヒットラーの回が、アマゾンのレビューで最も絶賛されています。やはり、ヒットラーナチス・ドイツの抗しがたい負の魅力なのでしょうか。検証のため、購入して、もう1回見たいのですが、高いのが難点です。


ここまで、やっと書きました。疲れました。

標題の本のテーマからどんどん膨らんでいき、負のエネルギーが大きすぎるテーマになりました。

あまり自分が勤めている会社を否定すると(それがいやで転職活動をたくさんしていたことがありました、転職活動たくさんやったのもメンタル病んだ一因です)、自分も否定することになると思うので、難しいところです。

一方で、自分の会社での経験踏まえて、及び関連本読んだ、

感想結論は、

「ドイツ(人)恐るべし」

日本も、見習うところは見習って、負けないようにしなければ、です。

今回は、なんかまとまりがなくなってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 

ではでは。

うつから復職1ヶ月で『落ちた』

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photo by confidence, comely.

http://www.flickr.com/photos/40646519@N00/141112426

photo by Joe Shlabotnik

http://www.flickr.com/photos/87857621@N00/4039338689

photo by caribb

3連休は蒸し暑かったですね、梅雨も明けたし、いよいよ夏本番、わたしの苦手な季節です。この夏をどうしのぐか、復職ストーリーの大事な要素のひとつだと思っています。

◆◆◆◆◆

 

今回は、うつうつ日記ではない、違うテーマにして下書きも書いていたのですが、、やっぱり、うつうつ日記です。

そのわけは、、そのブログ下書きによる夜更かしのせいもあって、ちょうど復職して1ヶ月の7月16日(木)、職場で「落ちた」からです。

 

◆◆◆◆◆

ー落ちるまでの、この週の状況ー

  • 10日(金)夕〜11日(土)深夜の名古屋往復の疲れがけっこう残っていた
  • しんどかったが、いつもと変わらず、8:15に会社に入っていた
  • ブログをアップしてなかったが、この週寝るのが午前3時〜3時半だった
  • んで、起きるのは、6時半。睡眠時間、たったの3〜3.5時間!
  • この週は、睡魔がひどく(あたりまえだ)、たびたび席で、船を漕いでいた
  • 会議室へ逃げて、仮眠もとっていた
  • そこに、急に蒸し暑さが来た
  • 朝、駅から会社まで、暑さと眩しさと眠たさで、もうろうと半目で歩いていた

◆◆◆◆◆

ー16日(木)の状況ー午前ー

  • 前日の就寝も確か午前3時半頃。んで、這いつくばって起きたのは6時半(+_+)
  • めずらしく、副都心線で座れて、渋谷まで眠りこけた
  • 隣の人に傾いて、何回も腕で返されたけど、またやってしまうほど寝ていた
  • しんどかったが、いつもどおり、8:15に会社に入った
  • 今日で、復職1ヶ月!早かった!と、達成感・充実感
  • と思ったのもつかの間、9時頃から眠たくなって、早くも何回も船を漕ぎ始めた
  • 自分の小さいいびきに気付いて、たびたび起きていた
  • 10時半か11時頃、席でとうとう寝落ちした
  • 向かいの人には気付かれないよう、前にあるパーテーションより、頭を下に
  • わたしの席は、背中が壁、隣は左だけに同僚いるだけ、ばれにくい
  • 何分寝ただろうか、15分〜30分?全く記憶がない!
  • 起きたら、左隣の人が、上司と一緒に、席に戻ってくるとこだった
  • (左隣の人は上司と一緒に席を外すことは無い人なので)ぴんときた
  • ばれた!
  • すぐ、上司と一緒に席をはずして、休憩コーナーに行った
  • 「〇〇さん(左隣の人)、わたしのこと言ってませんでした?」と聞いたら
  • 上司はびっくりした顔した、なんで分かったの?という顔をした
  • 「チクるとかではなく、〇〇さんは、非常に心配している」と
  • 「とにかく、体調気を付けて下さい」と言われて、その場はおさまった

◆◆◆◆◆

ー16日(木)の状況ー昼ごはん時ー

  • いつもどおり、部の人たちと、社員食堂に行った
  • 今日は、豚肉生姜焼き定食(+小鉢2つつけても350円は安い)、ご飯は大盛り^^
  • いつもは速攻で食べれるのに、3分の1くらいで、異変発生
  • 頭がくらくらして気持ち悪くなってきた
  • 無理して、口の中に入れようとしたけど入らない
  • というか、吐きそうになってきた
  • こりゃやばいと思って、まだ半分以上あるのに
  • 「用事があるので、ちょっとお先に」と言って、席を立った
  • 席に戻って、以前飲んでいた、吐き気止めのナウゼリンを飲んで、席で休憩
  • 用があると言ったのに、席にいるのはおかしいけど、外に出るパワー無し
  • しばらくしたら、収まったが、休職前の状況に似た症状で、怖くなった

◆◆◆◆◆

ー16日(木)の状況ー午後ー

  • 吐き気は収まってきて、ひと安心だったが、ムカムカは残っていた
  • 頭はぼーとしていた
  • 席で仕事している振りをして、時間をやり過ごす
  • 14時からインドと電話会議をやったが、インド人達の英語としゃべりっぱなしに頭がついていけず
  • 電話会議が終わったら、上司に呼ばれて、別室でおはなし
  • 「明日、病院へ行って下さい」
  • 「大丈夫です」と一旦は言ったが、ここは素直に従った方がいいと判断
  • NTT東日本関東病院に電話したら、主治医のM野先生は、1週間の休暇
  • 代わりの先生の受診で、予約なしで来てもらうことになる
  • 代わりの先生で仕方がないとして、上司に説明し、納得してもらう
  • 自分の症状を詳しく説明したら、「つらくなったり眠くなったらひと言言ってもらえば休憩室で横になってもいい、午後のフレックス出社でもいい、在宅勤務でもいい、管理職等級だから(裁量労働制)8時間働かなくてもいい」と、色々な対案を親身に言われて、感謝、感激(?)
  • 逆に仕事があまりにないと眠くなるので、もう少し仕事を振ってほしいと主張
  • その日は、少し仕事を振ってもらい、結局早退もせず、定時まで居て帰社
  • 横にもならず、早退もせず、定時まで居れたことに、変な自信

◆◆◆◆◆

ー17日(金)の状況ー午前の受診ー

  • 診察した先生は、N井先生というかたで、女性の先生だった
  • 電子カルテをつくるタイピングがブラインドタッチですさまじいスピード
  • 少し怖かった(S系?)が、コメントは厳しく的確
  1. 22時か23時に寝なさい。入院の就寝は21時から6時半なのは、早い時間に寝て起きることで、それだけでも精神疾患の治療には有効だからです
  2. 残業をもうしているんですか。ダメです。残業はまだしてはいけません
  3. 1週間後、主治医のM野先生にもう1回診てもらって下さい。薬の変更などはそのときに

んーーー、おっしゃる通りですが、就寝時刻は早すぎる。今、このブログ、3連休の昼間にちょこちょこと書き溜めて、今終わりだけ書いて、終えようとしていますが、それでももう24時前だ。

◆◆◆◆◆

ー17日(金)午後からの状況、感想ー

上司に報告した内容は、

  • 22時か23時には寝ろと言われたが、22時は無理なので23時には寝たい
  • 朝早くに来るのはそのままで、帰りは18時に帰る(それでもほんとは規則違反)
  • 24日(金)、主治医の先生に再受診するよう言われたので、宜しくお願いします

まあ、特別なことを言われたわけではなかったので、上司はびっくりはしませんでした。

ただ、お互いに共有できた意見は、

「やっぱり、病院に行っといて、良かった」

 

同じ見立てでも、精神科の先生に言われるのは、やはり重みが違いました。

病院、さまさまです。

あと、NTT東日本関東病院・精神神経科の先生(今回N井先生は初めて話をしたと思う、入院中も数回見たかなという記憶しかない)、、今回のN井先生もそうでしたので、、改めてどなたも鋭く優秀だと思います。

前のブログにも書きましたが、うつやメンタル疾患で、重かったり長くに患ったときは、この病院、やはりお勧めです。

koyamanglobal.hateblo.jp

 早速、禁を破り、3連休は午前2時ごろ寝ていましたが、、平日はブログも控えて(せめて書くとしても下書きで一部分だけ)、早くに寝るようにしたいと思います。

 

お騒がせしました、お付き合いいただき、ありがとうございます。

明日も暑いでしょうが、体調に気を付けて、ぼちぼちいきましょう。

ではでは。

 

かけがえのない友との再会。

http://www.flickr.com/photos/37825748@N03/6572328233

photo by jessevaughan

先週金曜日10日は、仕事を少し早めの夕方17:20位にあがらせてもらって、品川から新幹線に飛び乗って、以前住んでいた(2002/1〜2008/6)名古屋に行きました。

  • 10日(金)夜:ビジネススクールで特に仲が良かった友達3人と飲み会(1人は4月に再会済だけどその時は2011年以来、もう2人は2012年春以来の再会)
  • 11日(土)午後から夜:ビジネススクールの卒業メンバーの中で3か月に1回行っている近況&ディスカッション会&飲み会(うつから退院後、15年1月下旬に12年春以来の参加、その後は4月、そして今回)

メールでやり取りはしていましたが、どちらの会でも、ありがたいことにみんな、わたしの回復と復職を喜んでくれました。11日(土)午後からの定期会は、1月から復帰して3回目だったので、もう定期的なやり取りに近くなりましたが、感動的だったのは、ほんとに久しぶりに会う2人を含んだ10日(金)夜の飲み会でした。

 

わたしが行っていたビジネススクールの授業は、1コマが2週間に1回(土曜日で1コマ3時間)の3か月、計6回が1クールで、MBAのコースは卒業に確か30コマ位必要でした。2コマ取ると、毎週受けるか、隔週で1日2コマ6時間受けるという(予習、復習欠かせず、授業中は発言の質・量の採点があり、最終回にはレポート提出)、それはそれはハードで、今の状態だったら絶対通えないものでした。

それで、名古屋の受講生の方々は、とにかく結束が強くて、授業の後の「懇親会」と称する飲み会がメイン(東京校や大阪校の授業も受けたことがあるので違いわかる)な感じもありました。

すごいときは、受けた午前クラス(10:00〜13:00)が終わって、昼食兼懇親会が始めり、延々とぐだぐだと飲み場所を変え飲み続け、午後のクラス(14:00〜17:00)の懇親会に合流して、まだ続けて夜のクラス(18:00〜21:00)の懇親会にも合流し、気づいたら夜が明けていたなんてこともありました。授業は二の次で、懇親会を楽しみに行っていたようなこともありました。飲み代だけでも、卒業までに2-300万位使ったのではと思います。まさに、学生時代のクラブ活動(ただし夜の)みたいなもんでした。

当然、それだけの時間、クラスでの苦楽(ほんとにきつかった、初めての受講から卒業まで5年かかった)、アルコールを共にして、絆が深い、ほんとに仲が良い友達が何(十)人も出来ました。特に、会社外での利害の無い絆は、かけがいのない、貴重なものでした。

 

その絆も、2010年春の卒業(2008年からは浜松から通っていました)後も続いていましたが、うつになり始めた2011年からだんだんと名古屋が遠のきました。そして、東京に転勤して3か月後に、うつが悪化して休職した2012年秋から、心身のエネルギーが決定的に枯渇し、スクールの友達とは(それも2-3人)最低限の連絡(メールで数か月に1回ぐらい)しか、取れなくなりました。

スクールの友達たちは、フェイスブックで近況を毎日のようにアップしていた(らしい)のですが、フェイスブックを見るというか開く気が起きませんでした。いきいきと活躍していたり、楽しいことをアップしているのを見れませんでした。

その後、自宅療養〜入院を経て(経緯は過去のうつうつ日記を参照ください)、昨年2014年12月に退院して、年が明けて1月初めにやっと、自分の写真をフェイスブックにアップすることが出来ました(それまでは写真なしの登録状況でした)。そして徐々に、フェイスブックを見れるようになって、仲が良かった女友達が転職したり離婚してたり、違う女友達がとうの昔に出産してたり、わたしと同じようにうつになった(わたしよりは軽かった)男友達が突然転職してたりとかを知って、完全に友達社会から隔絶していたことに、がくぜんとしました。

 

うつのつらいところのひとつとして、心身のエネルギーが枯渇して、人とのやりとりが、少なくなるかできなくなって、友達や社会的なつながりが、薄くなるか、切れてしまう、ところがあります。わたしの場合、まさに、2012年後半から2014年末までの2年半、がそうなりました。

今年2015年1月から自宅からNTT東日本関東病院のリワークに通って、パワーも徐々についてきて、1月下旬に2年半か3年振りに名古屋へ日帰りで行って久しぶりの卒業メンバーの有志会に参加してきました。そして4月に今度は泊りで有志会だけでなく、今までで一番仲の良かった友達と会ってきて、わたしの回復を喜んでもらいました。

そして、復職した6月16日に、フェイスブックで卒業メンバーの会に、うつを患ってずっと休職して入院もしたけどなんとか復職できたと、告知しました。その時に、よかったよかった、ぼちぼち行きましょう、ずっと心配していた等のうれしい返事をいくつかもらいましたが、その中でも強い返事をくれた仲の良かった友達2人(男性&女性)と、4月に会った友達(男性)とで、飲み会を開いたのでした。

www.zazahanare.com

スクール受講時に、何十回も行ったことのあるお店です。大きな座敷もあり、個室もたくさんあり、使い勝手がいいです(広くて、トイレに行った帰りよく迷う)。今回は4人が入る個室を、わたしが予約して利用しました。

スクールに通っていた時は、毎週のように会って飲んでいたけど、卒業してからこの4人で会って飲むのは4年振りくらいでした。

でも、再会した瞬間、何年も会っていなかったのはうそのようで、昔からの友達にすぐ戻りました。今はどうなっている、昔はあれしたこうした、と話があちらこちらに飛んで、23時過ぎになり(名古屋の電車は早い)、あっという間の数時間でした。

 

言われたコメントの中で、印象的だったのは、「病気から良くなって良かったけど、状態が悪かった時の〇〇〇(わたし)に、連絡をこちらから取らずに、ほんとによかったんだろうか、とずっと思っていた。」と言われたことでした。

年下の1人(男性)からは、

「ほんとに心配で、有志会(彼は2年前くらいに卒業)でも、最後に出てくる話題は〇〇〇さん(わたし)のことでした。休んでいるときに声をかけるべきか本当に迷っていました。考え抜いた結果、声をかけない、そっとしておく方を選びました。あれだけ仲が良くて、一緒に勉強して遊んだ〇〇〇さんに対して、連絡をしないでほっておいたのは、ほんとに良かったのか、どうか分からないまま、過ごしてきました。葛藤しました。ずっと悩んでいて、こころに引っかかっていました。でも、こうやって〇〇〇さんが回復して、東京から会いに来てくれたのは、ほんとうにうれしかった。ほんとうに良かったです。

と、涙目で言ってくれました。ほんとうに涙が出るくらいうれしかったです。

スクールに行っていたとき、特に男友達の2人とは、「一生の友達でいよう」と誓い合いました。けど、しばらく会えなかった。病気になって、元気のない自分の声をさらしたくなかったし、会うなんてエネルギーもなかったし、痩せて病んだ自分を見せたくなかったのです。人とのラインを保てという私の説はこのときはありませんでした。もしかしたら、メールを時々したり、電話で話したり、会ったりしてたほうが回復が早かったかもしれません。でも、あの時はできなかった。ただ、やっぱり、こころには引っかかっていました。

だから、彼のことばは、わたしのこころの琴線に触れたんだと思います。

 「また会おう、また」と言って、3人と強い握手をして別れました。今度会えるのは10月、今度は参加者を広げよう、と言って。

 

ちなみに、終わり間際に、4人の写真を撮って、フェイスブックにアップしたら、「なぜ私を呼ばん!?」と酒好き(すぐつぶれて記憶をなくす)の女友達から、クレームが速攻で入っていました。。

 

写真は、3人と別れたあとの、名古屋マリオットです

周辺が再開発で(あの名古屋ビルングも取り壊された)、工事中のエリアが多かったです。写真の下に写っている黒いものは、名古屋駅に向かっている人たちです。

 

翌日の有志会のメンバーに聞いたら、今や名古屋の夜は、名駅名古屋駅を東海の人は「めいえき」、と言います。ちなみに、東海で「めいだい」って言ったら、明(治)大ではなくて、名(古屋)大になります)周辺に人がすごく集まってきて、金曜の夜に名駅周辺で飲もうとしたら予約なしでは入れないとのこと。一方の雄の栄は、地盤沈下が激しくて、リニアが27年に名駅に来ることもあって、どんどん名駅周辺にヒト・モノ・カネが集中してきている、と言っていました。

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さて、せっかくなので、名古屋に泊まったし、余談として名古屋事情も。

  • ホテルの予約が取るのに苦労した:外国観光客の増加に伴いか、前回も苦労したので、今回は3週間くらい前にBooking.comで予約しようとしたけど、空きのホテルがなかなかなかったです。一泊1万円以下が無くて、一泊2〜3万円以上のばっかりでした。前は、マリオットアソシアホテルに並列してあった、名古屋駅内のホテルアソシア名古屋に泊まっていましたが、それも10年に再開発のため閉館してしまい、名駅周辺のホテルは需要に対して供給不足が続いているのでしょう。

www.booking.com

やっと、見つけて泊まったのが、ロイヤルパークホテル名古屋でした。

ご宿泊|ロイヤルパークホテル ザ 名古屋|公式サイト

一泊11,000円、それほど部屋は広くはなかったですが、

  1. 以前あったビジネススクールの対面で土地勘があり、1階がファミマで便利、最近できたので新しい(フロントで聞いたら2013年12月だとか)
  2. チェックアウトが11:00で余裕がある
  3. 部屋は狭いけど、機能的で、シック。ベッドも硬すぎず柔らかすぎず丁度いい
  4. 3と似ているが、雰囲気が、名駅周辺のホテル(マリオットは別として)には珍しく都会的。対面のキャッスルプラザホテルに日曜入ってみたら、おばちゃんばっかだった
  5. 余談:チェックイン時はわたし以外は全部外国人だった。狭いロビーにも外国人ばっか。欧米の人もいたけど、やはり中国系の人が多かった。名古屋でもか、という感じだった。これでは宿泊予約に苦労するわけだ

次回、名古屋に来た時もここを利用しようと思いつつ、チェックアウトしようと出ようとしたときに、壁の鏡の下の、小さい机の下の棚に(新約)聖書を見つけました。

いつもなら、ページをめくるまでもなく、そのまま置いて出て行ってしまうのですが、なぜか今回は(恐らく佐藤優さんの影響でしょう)ぱらぱらと開いて読んでみたら読み易そう。目次に、「愛する者が亡くなった時」「家を離れて遠くへ行った時」「意気消沈した時」などと、その人の状況別に読めるような目次になっているところが気に入りました。あと、1ページの右半分に日本語、左半分に英語となっているのも、勉強になりそうで気に入りました。

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これは、聖書を読んでみる(というより見てみる)いい機会だと思い、アマゾンで「日本国際ギデオン会 新約聖書」で欲しいものリストに入れておこうと思って、アマゾンで検索したんだけど、出てこない。。

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時間がないので、フロントに電話して、置いてある聖書を買うのにはどうしたらいいか聞いてみたら、少し時間がかかるのでチェックアウトの時に申し上げますと言われました。

んで、チェックアウトの時に聞いたのは、「在庫を差し上げます」とのこと。これはラッキー!と思い、新品を頂き、うれしかったです。さあ、果たして読めるか。。折を見て、好きなページを開く、目次を見て、自分の今の状況に似た表現を探して眺める、、てな感じで、ゆるく付き合えたらと思っています。

帰りの車中で、「日本国際ギデオン会」のHPをスマホで見てみたら。。

www.gideons-jp.org

新約聖書を、ギデオン会員の手から無料で配布・贈呈しているらしいです。個人贈呈用とかホテル贈呈用とかあり、わたしは、ホテル用のを、「特別に、というか禁じ手で」頂いたらしいです。なので、ほんとは、ここでアップしてはいけないのでしょうが、ロイヤルパークホテルのスタッフの方のホスピタリティーと、この「日本国際ギデオン会」の新約聖書のとっつきやすさ(まわしもんじゃないです^^)を、読んでくださっている皆さんに知って頂きたく、アップすることにしました。

 

下は、その新約聖書を入れるために頂いたホテルの袋。なかなかシックですよね。

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以上、貴重な思い出となった名古屋旅でした(変な?おみやげと一緒に)。

かけがえのない一生の友とまた会えることができるようになった幸せをかみしめながら。

 

ここまで、長旅^^お付き合いいただき、ありがとうございました。

 

ではでは。

 

復職して3週間半で気づいたこと。

http://www.flickr.com/photos/40708728@N04/8576587662

photo by Justin in SD

http://www.flickr.com/photos/95572727@N00/497814516

photo by Stuck in Customs

復職して、3週間半が過ぎました。だんだん自分でやる業務も増えてきて、おおむね順調です。睡眠不足をのぞいては。

 

ブログを書くとかなり夜更かしになるので、復職してから意識的にアップするのを間隔をあけてきました。ただ、ブログ書かない日でも、うちに着いた後、筋トレしてシャワー浴びて、食事して、スマホでNewsPicsやスマニュー読んだり、日経新聞読んだり、読者になってる人のブログ読んだり、本読んだりして、、つい夜更かしになっています。寝るのが26時頃になって、慢性睡眠不足で復職生活を送っています。

 

ただリワークに行っていた時は7時半位だった起床時刻を、今は6時半前後にして、8時15分頃(定時は9時始まり)に会社に入っています。弊社はフレックス制で、始まりは9時から10時半の間で構わないのですが、うちの部はみんな来るのが比較的早く(と言ってもフレックス制を採用していない会社さんではあたりまえですが)、9時過ぎになるとほぼ全員揃っています。「お客さんが9時始まりで会社に来ているのに、営業の部がお客さんより遅くに来てちゃいかんだろ〜(電話にも出なきゃいかんし)。」という、部長(わたしより12歳ぐらい若い、英語独語ペラペラ)の方針が、復職したら浸透していました。休職前も同じ部長でしたが、そこまでは浸透していなかったです。

 

わたしは、復職1週間半ぐらいは、9時前位に会社に入る電車で行っていました(リワーク行っていた時とほとんど同じ時間)。けど、この梅雨のときに、雨が少し降っただけで5-10分、簡単に電車遅れます。そういうとき会社に入ると、ほぼ全員揃っていて、なんとなくいやな感じで「おはようございます」と言って、自分の席に向かうのが、、、イヤというか、「こりゃ、、まずい」と思いました。ある日、夕方にプールに行くために朝早くに会社に入ったのを機に(朝早く会社に入ったのは気分が良かった)、リワークに行っていた時間帯より早い時間帯の電車で行くようにしました。

 

その睡眠不足のせいと、日内変動(休職前の勤務もそうだった)のせいか、午前中の眠気が強いです。強烈な時があり、思わず席を外し、使われていない会議室に入り、鍵をかけ、椅子に座って30分x2セット寝たこともありました。

 

あと、自分の席で船をこいでしまったこともありました。わたしの席は、壁を背にして、自分の前にはパーテーションがあるので、部の人にはばれなかった(と思う)のですが、右横を通った別の部の人には見られて、さすがにまずいと思いました。

 

よって、コーヒー&カフェイン飲料が欠かせません。眠気がひどいときは、たくさんコーヒーを飲んでもきかない時があります。そして、昼食を社内食堂で食べて、14時とか15時ぐらいからエンジンがかかる日もあります。逆に、午前中はあまり眠くなかったけど、昼食後に眠くなることもあります。その日の体調リズムが、時間がたってみないと分からないのは、なんともしんどいですが、うまくつきあっていくしかないと思っています。自分でうまく強弱をつけて、やっていくようにしています。

 

ここのところは、帰りも、ついつい定時では帰らず、18時半〜19時に帰るようになっています。ほんとは、最初の3ケ月間は、9:00〜17:45の8時間勤務の残業なしの規定なのですが(日系大手だと、最初の1か月ぐらいはお試し出社で、まずは半日とか14時までです、弊社はきびしいです)、早くも1時間半から2時間くらいの残業をしています。

 

リワークでお世話になった岡崎先生や、リワークの友達の方々から「まずは無理はするな」と言われて、

自分でもブログで「最初の3か月間は慣らしだ」と書いたくせに、早くも

「周りに『巻き込まれ』て」います。

これを読んで下さってる方で復職する人は、「周りに巻き込まれないように」注意すべきだと思います。

 

わたしの場合、部長が、部の会議とかで、わたしの休職のことと、病気と、3か月は定時に帰る規定であることを、展開しなかったようで(部で初めての人には一人一人に「病気で休んでいて復職しました」と自分で挨拶しました)、初めての人には、わたしのことを、あんまり仕事をしてなくて優雅なもんだと見ている感じがあります。

 

暖かく見守って「初めから飛ばさないで適当に切り上げた方がいいですよ」と言ってくる方もいます。そんな一方、話しかけても、から返事で話を返してくれない人も複数います。。

 

 ◆◆◆◆◆

ーここ3週間半で気づいたことー

 

会社の実情:暖かい人、冷たい人。組織の効率化とグローバル化でメンタル疾患は今後も増える。

  • 心配・不安に思っていたより、暖かく迎えてくれた人が多かった
  • 挨拶メールを出して、暖かい返事を頂いた人が多かった、予想以上で嬉しかった
  • 一方、スルーされた人も若干いた。そういう人についてはあまり考えないようにする
  • うつやメンタル疾患(の人)を、分からない人、関わりたくない人は、事実いる。正直に言うと、昔の自分がそうだった。。まさか、自分がこの病気にかかって、さらに入院もするなんて、思いもしなかった。。ただ、この病気は経験しないと、どれだけつらいか、分からないからしょうがない
  • こいつは仕事ができるのか?という目で見てる人もいる(病気のことを知らない人に多いと思う)
  • 休職中に思ったこと、弊社が外資というのもあるが)会社は、資本主義にのっとった効率化による利益追求の組織体。最終的には社員の体調がいかに悪くても、会社の規則から外れると「見捨てる」
  • グローバル資本主義メンタルヘルス悪化は相関の関係にある
  • よって、日本で、今後、メンタル疾患は増えこそすれ、減ることはない

 

対策:巻き込まれるな。確実な一歩一歩を進む。

  • メンタル疾患の復職のためには、「脳力・メンタル力・体(耐)力」が要る
  • 社外の人間関係が大事、維持する
  • リワークの人間関係=役職や年齢の上下が関係なく「平等」に接し、相手を「尊重」する「姿勢・言葉遣い」が、復職後の人間関係再構築(役職・年齢に関係なく丁寧に話す)に役立つ。この点は、休職前よりうなくなった、成長した気がする
  • 「会社(組織)」は助けてくれない、助けてくれるのは「人」(急性期、底期はもちろん「病院」)
  • 周囲に巻き込まれるな。周囲は、脳もメンタルも体も、健康体。自分とは違う
  • 自分のできる範囲内の事で、ベストを尽くし、ささやかな貢献をせよ
  • 一歩一歩。小さな勝利を積み重ねる
  • 置かれた場所で咲こう
  • 「一隅を照らす」 どんな仕事にも意味がある
  • 今、自分に何ができるか
  • 朝早く出社できると、余裕が生まれる、廻りが見れる (朝早く来る人=うちの部の場合、部長=と話しもできる、、、弊社は昼間は余計な話はできない)
  • 今、この瞬間に集中して、まず、「歩き出そう」
  • 仕事以外のやりたいことを、ワクワクすることを、書き出す
  • ほんの少しでもいいから、それをやる
  • そうすると、楽しさと達成感を感じ、小さな自信もついてくる

 

◆◆◆◆◆

 

今日は、この辺で。お付き合いいただき、ありがとうございました。

ではでは。

私が行った&調べたリワーク一覧。

http://www.flickr.com/photos/27851913@N00/4595990152

photo by nyuhuhuu

 ー今回も長いです、お時間のある時にお付き合いくださいー

◆◆◆◆◆

前回アップして1週間がすぎ、復職2週間がたちました。平日はリワークの時より早めに寝て(と言っても、早くて24時ころ、遅いと26時ころですが)、ここ4日間は6時20-30分ごろ起きて、8時15分頃会社に入っています。終了定時が弊社は17:45ですが、18:15〜18:30位までは居るので、既に1時間残業状態です。今までは、引き継ぎの打ち合わせや資料や過去メールを読む1日でした。7月1日付で前任者が居なくなるので、これからわたしの状態を上司が見ながら、徐々にわたしに振られる仕事は増えていくと思います。

さすがに、リワークに行ってた時より、自分の時間が少なくなりました。本読む時間とブログを書く時間が圧倒的に少なくなりました。ただ、頻度は減るものの、ブログは続けていきますので、今までより少し気長にアップを待って頂ければ幸いです。

 ◆◆◆◆◆

復職の進捗は、ほぼ順調です。ただ、私のメンタル不全の一因ともなった、弊社のきらいなところ(欧州本社からのトップダウン、顧客第一でなく自社第一、人間関係薄い=同じ部の人で話しかけても話しをしてくれない人がいる、などなど)は相変わらず変わっていず、今後、復職が順調にいって100%働けるようになった場合、「残りの社会人生活をどう生きていくか」は、私の大きなテーマとなると思います(今年11月で50歳、あと10年では少なく、あと15年位は働きたいし....)。ただ、今は、マイナスの感情を持たないように、考えすぎず、今この瞬間、今日1日にフォーカスして、まずは復職生活を軌道に乗せることに集中していきたいと思います。復職生活についてのブログ、又は、政治・社会関係のブログ、アップする時間は前よりかかりますが、今後またアップしますので、しばしお待ちください。

◆◆◆◆◆

 

さて、前回の精神科(&心療内科)一覧に続き、今回は、私が行った&調べたリワークプログラムを実施している施設の紹介をします。

リワークは、状態が改善された状態で、復職する準備として、10〜25人で職場状態を想定したプログラム(例えば、課題読書、パソコン、卓球、ダーツ、ストレッチ、テーマに沿ったディスカッション、課題発表など)を行います。一定期間を経て、①リワーク施設での医師、臨床心理士作業療法士の判断で復職できる状態、又は、②職場で産業医等の面談で復職OKの承認、となったら、卒業となり、復職となります。

休職期間が長い場合で、底期は脱したが、復職するレベルにはまだという方は是非、リワークを検討してください。わたしの場合、リワークに行ってなかったら、復職は果たせなかったと思います。

まず、平日朝に起きて、通勤電車に揉まれて都内のある場所に行くということができるようになりました。そして、一定の負荷を与えて日中の勤務スタイルに慣れることができました。リワークをせずに、又は、勤務を想定した1日を過ごすことなしに、復職をたとえしても、すぐ再発したか、会社へ通うエネルギーがなくなり、また会社に行けなくなってしまったと思います。

費用面では、自立支援制度を利用すれば(区・市の保健所に主治医の診断書&その他の申込書で申し込む)、3割負担から1割負担となり、経済的負担が減ります。

www.mhlw.go.jp

◆◆◆◆◆

 

リワークを検討されている方は、「うつ病リワーク研究会」なるものがありますので、まず、そこをご覧になってください(これは、NTT東日本関東病院のリワークプログラムの先生に教えてもらいました)。

www.utsu-rework.org

<引用>(赤はわたしがつけました)

休職中の社員を職場へ復帰させるためのリハビリテーションとしては、1997年に秋山(NTT東日本関東病院)が作業療法の枠組みで始めた職場復帰支援プログラム(RAP)を先駆けとして各地の医療機関に様々な形で広がりました。
2007年、秋山、横山(札幌駅前クリニック)と私の3人が呼びかけ、札幌で行われた第4回日本うつ病学会終了後にリワーク・プログラムを持つ全国の10医療機関に声をかけ情報交換の場を持ちました。それを母体として、尾崎(名古屋大学)を加えた4人が発起人となって研究会の設立を呼びかけ、平成20年3月29日に当研究会が発足しました。
今後は、リワークに関する研究活動と普及啓発活動を進めていく中で、より良い治療の提供を目指していきます。

代表世話人 五十嵐 良雄

NTT東日本関東病院精神神経科の秋山部長が、先駆けてやられたんですね。そして、代表世話人が、メディカルケア虎の門の五十嵐院長です。やはり、このお二人が、リワークプログラムの分野で関東のトップ2ですね。

 

そして、都内のリワーク施設一覧が下です。たくさんあります。メンタル疾患で悩んでいる方がたくさんいらっしゃるということですね。

www.utsu-rework.org

◆◆◆◆◆

 

わたしは、NTT東日本関東病院精神科を退院した後(入院中の9月からリワークプログラムに段階的に出席)、自動的にNTT東日本関東病院のリワークプログラムに通っていました。ところが、15年2月に、フルタイム(NTT東日本関東病院は基本的には午前のみの構成)のリワーク施設への転院の検討(見学含む)をしました。

なぜ、転院の検討をしたかというと、15年2月、復職のステップを弊社の人事部と話した時に、人事の人から「復職は1日8時間x5日で、お試し出社も、無給で半日出社1-2週間も、会社の規則で認めていないからダメです。だいたい、そんなことしたら、周りの人が〇〇〇さん(わたし)をどう見るでしょうか?」(規則で認められていないからとはいえ、言い方に人間味ないですよね....)と言われました。そこで、午前の半日で月〜木の週4日の、NTT東日本関東病院のリワークでは弊社の復職準備には足りないと思い、8時間x5日のリワーク施設の検討をしました。

◆◆◆◆◆

 

結論を先に言うと、転院検討の結果、NTT東日本関東病院にとどまる事にしました。

  1. 2月から別の施設に変わっても、そこの施設でまた初めから段階を踏むルールに従う必要があり、3-4か月以上かかるかもしれないことがわかった(主治医も移転先の病院の先生に変える必要あり。初診に3時間近くの労力もとられるのは苦痛。その先生と相性が合うかは診察受けないとわからない、出たとこ勝負)。そうなると、復職締め切り(欠勤を使い果たし退職となる)の6月に間に合わない可能性があった
  2. ゆるいプログラムだが、NTT東日本関東病院のリワークにも午後のプログラムがあって参加できることが分かった。月、水、木、金の14-16時(本来は、午前のリワークの人は対象ではないが、参加はできる)
  3. 火曜日の午後は、プログラムがないが、プールで泳ぐ曜日・時間帯にした
  4. 金曜の午前中が空くので、診察か映画鑑賞で外に出ることにする(金曜の午後は、木曜の午後と同じプログラム/革細工作業で、2日連続だと飽きてしまい、4,5月はあまり行かず、金曜午後はドトールなんかで本読んでいた)

◆◆◆◆◆

 

さて、お待たせしました、本題です。

わたしは時間的制約もあって、NTT東日本関東病院のリワークプログラムでしたが、うつやメンタル疾患でリワーク施設に通うことを考えてる方々のために、わたしが実際に行って見学して説明を聞いたり、又は調べた、リワーク施設を下に紹介します(「うつ病リワーク研究プログラム」には載っていない施設もあります)。

 

精神科、心療内科。カウンセリング、リワークデイケアなら東京の小石川メンタルクリニックへ

13年秋から14年4月くらいまでお試しに何回か行きました。ここは最初にお試し参加がある(午後でも午前でもよかったかな)のがいいです。ただ、(どこもそうだとは思うのですが)、リワークに参加しているヌシというか古参の人がいて、その人を囲むように仲がいいグループがあって、お試し参加(ダーツ、読書、課題テーマによる小グループに分けたディスカッション)とはいえ、中に入って会話するのは苦労しました。

プログラムでよかったのは、課題テーマによるディスカッションで、紙に議事録を書いてスタッフのかたに後日提出する役割があったことでした。これ、会社に復帰したら、どこの部署でも必ず必要な業務だと思います。最初はしんどいですが、復職プログラムではいいと思いました。

あと、NTT東日本関東病院のリワークプログラムに比べて、参加されている方々の症状は比較的は軽かったような気がします(お試し参加だったので、メンバーの方々と立ち入った話はしなかったですが)。こちらは入院施設はないので、入院していた患者さんは来ていなかったんじゃないかと思います。

あと、スタッフの人数が5人位いらっしゃったような気がします。参加されている方々は(2フロアに分かれてプログラム開催)、合わせて25人ぐらいだったような気がします。スタッフの方々は、親切で面倒見がよかった気がします。

ただ、ここは人気があるのか、15年2月に電話で聞いたときは、「今はいっぱいで受け入れていないんです」とスタッフのかたがおっしゃっていました。

 

  • 慈友クリニック:あまりお勧めしない

--慈友クリニック--

HPがしょぼいです。電話で内容を聞いたら、最初から週5日通えないと受け入れられないとのこと。あと、体験コースも半日はなく1日のみで、入院前に、徐々に行くことを考えていたわたしには無理だと思いあきらめました。

 

  • メディカルケア虎の門:リワークの草分け。人それぞれ。パワーがある人向き。

職場復帰(復職支援)に実績のある精神科・心療内科。企業のメンタルヘルス対策も支援/メディカルケア虎ノ門

15年2月に、NTT東日本関東病院リワークプログラムの作業療法士の岡崎先生(NTT東日本関東病院のリワークプログラムの中心的というか責任者のような方です)に、リワーク変えることも検討していることを相談しました。虎の門はどういうリワークをやってらっしゃっているんですか?と聞いたところ、最初の数か月は半日程度で、フルタイムに至るまでは時間がかかる、とのことでした。あと最初にかなりの量の自己内省レポートを書かせられるそうです。そして、最終的には、残業も想定したナイトリワークもあり、かなりハードです。卒業するのに1年ぐらいかかるとのことで、時間もかかりそうなのでやめました。

 

  • ひもろぎクリニック:よく分からないので候補から外した

ひもろぎGROUP | 心にとどく医療と介護

HPを見て頂くとわかりますが、リワークのページは目が回りそうな字が出てきて、ページ構成も良くなく何を言いたいのかよくわかりません。ユニークさを狙ったのでしょうが、それがかえって印象が良くなく、候補から外しました。

 

  • メディカルスイッチ:ハードさを望むならいいかも。閉所が苦手な人はつらい

東京 渋谷 心療内科・精神科・児童精神科・復職支援ならMedical Switch in clinic

15年2月に伺いました。今の「うつ病リワーク研究会」には載っていないです。渋谷にあって、わたしの会社も渋谷にあるので場所はちょうどよかったです。

ただ、全体のスペースが狭い。密閉感があります。さらに、その狭いスペースをさらに5-6部屋に仕切っているので、閉所恐怖症のわたしはだめでした。

案内・説明して頂いたソーシャルワーカーの方は親切にいろいろ教えてくれました。「今の時期にNTT東日本関東病院から変えるのは、時間が足りなくなるかもだから、勧めないですね。NTT東日本関東病院はしっかりしているから、移らない方がいいんじゃないですか?」「うちは、かなり負荷をかけます。例えば4人チームでプレゼン資料を作成・発表させて、他のメンバーにぼこぼこ突っ込ませてダメ出しさせて、積極的にストレスフルな職場環境の体験をしてもらいます。それで体調崩す人もいます。2か月皆勤しなければなりません。あと、復職間近の人には、『私の教科書』という振り返り・反省・今後についての資料をパワポ30枚くらい作ってもらい発表してもらいます。」と言われてびびりました。

このソーシャルワーカーのかたは他のリワーク施設のプログラムをよくご存知で、よく研究されていて(患者でもないのにどうやって調べるんだろ?)、結果、メディカルスイッチでは、差別化するために、独自の負荷をかけるプログラムを作ったことを自負されていました。「うちはかなりプログラムについては改良してきました」とおっしゃられたので、「検討するために、(見せて説明頂いた)プログラム日程表のコピーを頂けないですか?」、と聞いてみたら、「うちはこのプログラムが肝なんでコピーでもお渡しできないんですよ。」と言われてしまいました。他のリワーク施設にコピーが渡ることを恐れていたのでしょうか、1枚の紙でそれ程差別化できるとは思えないのですが。。

また、最初の3週間は午後のみのリワークで、これも他でリワークやってきているからと言っても、最初からのフルタイムはルールにより適用できないと言われました。この時期の、3週間は貴重だったのでやめました。

 

  • 榎本クリニック:(わたしは結局行かなかったけど)お勧め

榎本クリニック – 医療法人社団 榎会

15年2月に伺いました。「うつ病リワーク研究会」には載っていないです。

ここは、9時半入室10時始まりの20時45分までで、朝出勤、夜退社の職場環境に合っていると思います。

タイムスケジュールがしっかり組み立てられていて、大きく分けて、AM(10:30〜12:00)、PM(13:30〜15:00)、NT(ナイトタイム)(16:30〜18:30)の3つに分かれて、それぞれプログラムが組み込まれています。3つのプログラムのあいだにも体操や振り返りミーティングや清掃などが入っていて、けっこう詰め込まれています。

ただ、結局、転院を見送りました。

  1. わたしの場合、池袋は近すぎて通勤訓練にならない(電車で10分)
  2. 9時半までに入室=電車で10分で来れる、始めの時間が遅い
  3. 施設が出す昼食・夕食を施設内でとらねばならない(夕食は食べなくてもいいが、食べ終わる時間まで居なければならない)→数少ない楽しみの食事の自由がなくなるのはしんどい、窮屈に感じる

あと、毎週火曜は、「正装DAY」でスーツで来なくてはいけない日です。ちなみに、このルールを、上のメディカルスイッチの説明して頂いたスタッフのかたが、知っていました。

 

  • NTT東日本関東病院精神科:リワークの総本山。お勧め。但し、午後の過ごし方を自分で組み立てる必要あり。自分で律したり、工夫する仕掛けが必要

https://www.ntt-east.co.jp/kmc/guide/neuropsychiatry/index.html

うつ病―正しく知って治す (別冊NHKきょうの健康)

うつ病―正しく知って治す (別冊NHKきょうの健康)

 

 作者の野村先生は、前回のブログで紹介した防衛医科大学校教授のかたですね。この本の、P30-P33で復職支援プログラムが紹介され、NTT東日本関東病院の秋山部長と岡崎先生がのっています。

その秋山部長の監修で書かれた本がこちらです。ちなみに、弊社のカウンセラーのかたが、(NTT東日本関東病院は)リワークの総本山ですね、とよくおっしゃっていました。

さらに、取材協力者として、同じNTT東日本関東病院岡崎先生作業療法士/男性)、堀井先生臨床心理士/女性)のお二人の名前もあります(メディカルケア虎の門五十嵐先生の名前もあり)。

 

NTT東日本関東病院のリワークプログラムは、実質、岡崎先生と、堀井先生の2トップの体制で行っています。それに、月曜の午前、木曜の午前に、別々の人がサポートにつきます。

  • 月曜午前:(主に)課題読書。パソコン課題する人も
  • 火曜午前:卓球(裏のプログラム=10人位で3か月毎=で集団認知行動療法
  • 水曜午前:参加者が挙げたテーマをディスカッション
  • 木曜午前:(主に)パソコン課題。課題読書をする人も

 

わたしもそうでしたが、ここは、NTT東日本関東病院の入院中から通ったり、退院して(他の病院の退院した方も含む)参加される方々が、かなりいらっしゃいます。他のリワーク施設より、重い症状だった方や、つらい思いをされたかたの割合は多いと思います。

まず、初めは、月曜午前、木曜午前の週2回の軽い負荷からスタートして、それから火曜の卓球、最後に水曜のディスカッションで週4日のフルとなります。

  • ただし、フルでも基本、週4日の午前中のみ
  • わたしのように、週5日、午後ある場合は午後も参加という人は少なかった
  • まず半日のお試し出社の人が多いせいもある
  • 月曜、木曜の参加人数は(わたしが卒業するとき)25人超ぐらいで増えてきた
  • 3人の先生で、プログラムのみで参加者をフォローするのはかなり厳しい
  • 補足フォローとして2週間に1回、その期間の行動と気分のチェックリストを提出
  • 3-4日後、岡崎先生か堀井先生がコメントを記入して返却
  • 悩み・不調等あれば、月曜、火曜、木曜のリワーク中心に岡崎先生に相談できる
  • 1.5-2か月に1回、定期的に他の臨床心理士の先生と面談、フィードバックあり
  • 復職間近に、再発防止のための「ストレス対処・分析シート」(経緯・原因・対策をA4の紙8ページ!記入)と100問超!の質問がある「職場のストレスについての質問紙」を提出

ここは、人数に比べて、先生の人数が小石川メンタルクリニックに比べると少ないと思います。そこを、バックスタッフの方によるサポート、紙のやりとりなどの、大きな病院ならではの総合力で勝負していると思います。あと、他のリワーク施設と比べて、欠席に対してはルールが緩いと思います(他の施設と比べて重い症状だった方が多いせいかなと思います)。(1か月の参加率が3割未満、もしくは4回連続で無断欠席だとプログラム中断、遅刻については特におとがめなし、、わたしは山手線で寝過ごし五反田駅過ぎて遅刻すること数回やりました)

岡崎先生は、リワーク終了後、毎回違ったテーマを毎日(午前&午後)5分位しゃべります。毎日よくネタがダブらないで、あれだけおっしゃることができるなあといつも感心しておりました(上から目線かな)。あと、初めて参加される方や、参加されている方々の名前を覚えるのが早い。初めて参加された方が不安のないように、まず名前を呼んで、不安はないか声がけする姿勢は復職後にも生かせるなあ、と思ってました。

堀井先生は、ほめるのが上手で、よく木曜金曜の、クラフト(革細工)のプログラムでは小生ほめられてうれしかったです。重い症状の方々(特に木曜金曜の午後のプロフラムに多かった)にも、優しいまなざしと声がけをやってらっしゃって、人間として見習わねばと思うこと多かったです(岡崎先生も同様でした)。

このプログラムに参加される方々と、仲良くお付き合いさせていただきました。友達になった方々も多くいてよかったです。優しい方々ばっかで、リワークに慣れてきた後半期では、復職に向かうのにさみしい感情も出てきて複雑な気分でした。

ここの課題は繰り返しになりますが、午後の過ごし方です。わたしは、意識的に午後や金曜にも負荷をかけることによって、今のところ大くずれすることなく、良かったと思っています。

http://www.k5.dion.ne.jp/~shinacli/index.html

上の本の取材協力者に、NTT東日本関東病院、メディカルケア虎の門と、ここのクリニックが載っています。けども、HPを見たらあまりにもそっけない内容でモチベーションがあがらなかったです。それと、場所が品川で、わたしにとって五反田よりもさらに山手線2駅を乗らねばならないのは遠すぎるので候補から外しました。

 

 以上、リワーク施設一覧、参考の一助になれば幸いです。

 

わたしは、リワーク施設に通ったことは、復職訓練だけではなく、大げさになりますが人間力の成長にもなった、と思っています。

うつ等で休職中で、復職するにはどうしたらいいかと考えていらっしゃる方々、リワークは、いろいろなことを学んで今までとは違った面の成長をするいいチャンスと、ぜひとも前向きに考えてください。

 

長い文章、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

ではでは。

私が行った&調べた精神科一覧。

http://www.flickr.com/photos/115089924@N02/16070083419

photo by ilmicrofono.oggiono

(前日から加筆しました、青文字です。主に、終盤の「2.わたしが調べた精神科」です)

今回は、今までの振り返りとして、東京圏で私が行った&調べた(けど行かなかった)精神科(心療内科)を紹介します(次回は、リワーク施設紹介します)。

ほんとはルール違反なのかもしれないですが、メンタルで悩んでいる方々の少しでも参考になるよう、できるだけ実名とわたしが感じたことを、正直に書きます。

今回は、かなりかなり長いですので、お時間あるときに読んでくださいませ。

◆◆◆◆◆

1.わたしが行った精神科

12年に浜松から東京に転勤になった際、浜松で通院してたクリニックから、メディカルケア虎の門を紹介されました。先生どおしの繋がりがあったわけじゃなく、単にここが名が通っているからだったみたいです。確かにここの院長の五十嵐先生は日本の精神科の第一人者で、リワーク・プログラムの設計や、学会(日本うつ病学会評議員日本産業精神保健学会評議員、日本外来臨床精神医学会理事)での活躍、映画「ツレがうつになりまして」の医事監修などなど。

わたしは、五十嵐院長に診てもらいました。結論は「わたしは合わなかった」です。患者の目を見て話さない、机のカルテを見ている。秒殺って言うぐらいの一分心療。初診か二回目の時に、ずっと飲んでいたセロクエルを止めてデジレルを増やす処方にするとおっしゃったので、「セロクエルが合っていて止めてほしくないんですけど...」と言ったところ、「俺はこの世界で30年以上やっているんだ、言うこと黙って聞け」と返答され、こんな人とは合わない....と思って行くのやめました。

ただ一点、「まだうつの最中には、時差が大幅にある海外出張(この時は欧州出張が控えていた)は止めなさい」とおっしゃって頂いたことは参考になりました。ネットでも、人によって合う合わないあるように書かれていますね。あと、精神科でも五十嵐先生以外にも先生いますので合わなかったら、(言いずらいですけど)変えるのも手です。

あと、わたしが受診したときはなかったですが、最近光ポトグラフィーを入れたようですね。これで、判断したい人には、(順番待ちが長い機器だけに)けっこういいかも。

光トポグラフィ―検査(NIRS)/メディカルケア虎ノ門

 

なお、ここは漢方診療もやっています。13年4月あたりから1年位、ここの田代先生に胃腸の具合(食欲が無くあまり食べれない日がずっと続いていた、うつの身体症状?)を触診して、漢方薬を処方してもらっていました。ただし、漢方薬の処方する薬局が近くにはなくて、青山の薬局まで行っていました(精神科は院内処方)。漢方薬はいろいろな生薬のブレンドが一包化されて、毎日煎じて飲まなければならない、めんどくささでした。食欲は復活せず痩せたまんまでしたから、効果はなかったと言っていいと思います。ただ、五十嵐先生に比べて、田代先生は高圧的ではなくまあまあ優しかったです。

  • こころのクリニック石神井:お勧めしない

練馬区/神経科・精神科・心療内科/こころのクリニック石神井 | こころサポート石神井

メディカルケア虎の門へ行くのをやめて、12年7月に地元のこのクリニックに変えました。まず、初診の場合、ソーシャルワーカーの方が3時間位かけて面談して、生まれた時から(家族構成も含めて)今までの事を念入りに聞きます。

そのあと、主治医の先生の診断になり、診察待ちもあるので、短くても半日、待ちが長いと1日仕事になります。五十嵐先生に懲りたので、土曜日担当の優しい話を聞いてくれる先生を、と言って(ここは週1-2日の勤務で4-5人の先生がいます)優しい男の先生にしてもらいました(名前忘れました)。しかし、あまりにも1人当たりの診察時間が長い(予約時刻に対して2-3時間待つことはざら)ので、しばらくして同じ曜日の午前を担当している女性の先生にしてもらいました。この先生は若い(30代前半位?)のですが、てきぱきしていて待ち時間もあまりなく、よかったです。

ただ、わたしの症状は悪くなり、気持ち悪くなるか、お昼過ぎまでこんこんと眠る(24時位に寝ても)症状に悩まされ、12年9月末に休職します。

休職しても、一向によくならないのと、朝起きれない生活リズムを立て直すために、先生から入院を勧められました。でも、その時は、精神科に入院することは怖くて、とてもじゃないけど無理と思って断固拒否していました。あの時入院していれば、、とも思うのですが、あの時もし入院となれば、この病院の母体である陽和病院(精神科)か、この先生の主勤務病院の虎の門病院(14年5月に聞いたら、精神科病棟はなく他の病気の患者さんと一緒の部屋とおっしゃっていた)になっていたと思うので、良くなったどうかは分からないです。そして、この先生は、私が症状がよくならないと訴えても、治療方針・投薬方針を明確にされない傾向があり、わたしもぐーたら休職生活に安住してしまい、ずっと甘えていました。とにかくこの時は、会社に行きたくない、会社のこと考えたくない、駄々っ子でした。

あと、ここの病院の特徴は、この先生以外、待ち時間がやたら長いというとこです。2-3時間はざらです。3時間以上待ったこともありました。予約を時間帯制(15分刻みとか)でなく、予約の人を紙に書いていって押し込むだけ押し込むアナログスタイルだからです。待合室には20人以上いる時もあり、立っている人・外の椅子に座っている人もます。いつもここへ来るとき、病んでいる人は劇的に多くなっているんだなあと痛感していました。

あと、他の先生にも診てもらったことがありますが、どの先生も、治療方針に明確さがない、薬を多く出す傾向がある、ような気がします。最近デイケアも同じ建屋内(2F)に開設したようです。

この病院で、2年弱、この先生に甘えてしまい、最初はマイスリー1錠で夜も寝て朝昼も寝ていたのに、1年過ぎたらどんどん耐性が出来て、睡眠薬が激増しました。

  • つのおクリニック:お勧めしない

東京都渋谷区/つのおクリニック うつ病やパニック障害、不眠症等の心療内科とアトピーや花粉症等のアレルギー科、漢方

会社の近くにあって、まだ休職する直前に会社のカウンセラーの方に勧められていきました。そのあと、12年10月くらいにセカンドオピニオンをもらいに行きました。その時、石神井の先生に入院を勧められていて、入院しなくてもいいという言質を取るために行ったようなもんでした。診断では「大うつ」とされて入院もいいんじゃないと言われましたが、診断書では本人が固辞している中、入院しても効果が得られるかは分からない旨の内容を書いてもらいました。このあと、もう1回くらい行ったでしょうか、その時、アモキサンを処方されたのですが、飲んでいて攻撃的になって怖くて止めました。

ここは、栄養注射療法なるものもやって、他の科もありで、心療内科が専門とは言えないです。待合室も狭いし、心療内科は確か予約制じゃなく1時間くらいは待ちます。行くのは、お勧めはできません。

国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター 病院

虎の門と同じにこれも有名なとこですね。この分野では最先端ですよね。皇太子妃雅子様の主治医(大野裕さん)が、ここの認知行動療法センター長らしいですね。

セカンドオピニオンで12年12月に1回行きました。本を少しづつ読んで、読めたらご褒美を、外に出てみましょうなど、一般的なことしか言われず、薬を変えた方がいいとか具体的なことは言われませんでした。

あと、予約を取るのが困難です。N月の予約取るのに、N-1月の1日(たしか)9時か10時に受付開始で、電話をかけて予約トライ。ただ、全然つながらない。ふたつき目でやっと予約取れた記憶があります。待合場所は、当然人がいっぱいでした。時間帯制だったんで、それほど待った(1時間弱?)ほうでもなかったでしたが、診察内容は、?という感じでした、まあ気長に今の状態を徐々に改善していけばみたいな感じでした。

場所は小平市にあって(最寄り萩山駅)、電車のアクセスが悪いのはマイナスです。

精神科、心療内科。カウンセリング、リワークデイケアなら東京の小石川メンタルクリニックへ

ここは、13年秋にリワーク・プログラムをこころのクリニック石神井で勧められて行きました(リワークについては後述)。診察の予約はスマホでもできるシステムで、診察予約は15分刻みです。時間が制限されている反面、待ち時間もそれほど待たなくて済みます。院長先生は優しいことばづかいで接してくれますが、おっしゃるときはぴしゃりと言ってくれます。そのバランスがいいです。こころのクリニック石神井と並行して行っていた時期がありました(13年秋〜14年5月で月に1回くらい)。同じビルの3Fと4Fにリワーク施設があって、セットで受けてより効果が出る病院だと思います。こころのクリニック石神井眠剤代わりに処方されていたベゲタミンについて、院長先生に聞いたら問題なしと言われましたが、入院したNTT東日本関東病院では「ここ数年処方したことがない信じられない」と言われました。

あと、場所が茗荷谷なんですが、なぜかあまり茗荷谷を好きになれませんでした(街が大きくないから?)。病院もビル自体はきれいなんですが、入り口が車でさえぎられているようで人目を気にしている感じがあって、あまり好きにはなれませんでした。

風メンタルクリニック池袋・心療内科精神科-不眠症・うつ病・パニック障害

入院前の14年5月に行きました。ホームページはスピリチュアルです。しかし、先生は違いました。院長先生、HPの写真より太ってて、こわもてで(少し高圧的)細くて長い煙草を診察しながらずっとくゆらしていました。あまり、いい態度とはいえません。サントリー産業医を25年間やっていらっしゃったそうです。

「入院も考えている、治すためにはどうしたらいいでしょうか?」と聞いたところ、「入院するなら、まず薬の整理、とにかく少なくシンプルにさせること。そして通電療法できるところ。薬は、私ならジェイゾロフト処方する。良くなってから安定するのに6か月はかかるね、それまで辛抱だよ。」「あなた、大学どこ出たの?ん、そこなら、他でも行けるから、良くなったら会社辞めて転職しなさい。今の会社合わなくなって発症したんだから」とはっきりとおっしゃいました(まだ治ってもないのに、いきなり無茶振りやん...と思いました。卒業して25年以上も経って、大学の名前で採ってくれる会社なんて今時あるのかなあ..転職活動の経験したこと振り返るともうこの歳では実績しか見ないと思う)。

かなり散漫な(と言っては失礼ですが)言い方でしたが、治療方針については明確におっしゃっいました。ここで、入院の踏んぎりと治療方向が見えたと思います。結果的に、NTT東日本関東病院に入院して治療したことは、減薬と(ジェイゾロフトではないですが)サインバルタ服用で、それで症状が良くなっていったので(先生はこわもて・散漫ですが)、見立ては正しかったと言えます。

場所は、池袋の西口を出て、歩いて7-8分。雑居ビルの2Fで、隠れるように看板が外に出ていて、2Fから入るときも入り口が見つけづらかった記憶があります。人の目を隠すようにやっているのが、昔の精神科みたいで、HPの雰囲気とはまるで違います。ここはギャップがありすぎでした。

https://www.ntt-east.co.jp/kmc/guide/neuropsychiatry/index.html

入院する前に、2回受診しました。ここの病院に行ったのは、父が電電公社(現在のNTT)に勤務していたときに、小さいときから大きな病気の恐れがあるときに行っていた馴染みのある総合病院だったところからです。

1回目はセカンドオピニオンとして、11年8月に受診しました。この時は今振り返るとまだ軽いほうでした。SSRISNRIも処方されていず、ドクマチールでしたし。確か今のまま様子を見てください、ぐらいしか言われなかったような気がします。あまり記憶がないです。

ただ、初診で、8月に受診するのに、電話で予約したのは、確か7月で1か月以上前だった記憶があります。今も変わらないのであれば、初診に時間がかかることが難点ですね。

2回目は、入院前提でこころのクリニック石神井からの紹介状握りしめ、行ったのが14年5月下旬か6月上旬。もう早く入院手続きを取りたくて、初診の先生とは違う先生でもいいと言って(今の主治医の先生)受診しました。時間がたってて、初めての先生だったので、2.5時間から3.0時間かかった記憶があります。そこで、「こちらは通電療法やってらっしゃいますよね、お願いできますか?」と聞いたら、「あれは効果ないからやっていない」と言われてショックでしたが、何はともあれ急いでいたので、名目を「減薬」として入院手続きにつなげました(ずっと後で、入院同室になったかたから、通電やって効果あったと聞いて、主治医の先生に再びお願いしたんですが、またまた却下されました...)。

ここの病院は、総合病院で、大きくて、なにより清掃が行き届いていて(あたりまえなのですが)きれいなことがいいです。

浜松に居た時、11年の年末にパニックになって、浜松聖隷三方原病院精神科に緊急で受診して点滴を受けたことがあるんですが、点滴受けて休んでいた簡易ベッド(長椅子?)の周りには、使い終わった点滴の管やケースが片づけていないでほったらかしになっていました。

私は、他の都内の総合病院あまり知らず、入院はここの病院だけですが、存命中だった時の母が以前にここに入院した時に、他の都内の大きな総合病院に比べてもここは綺麗だと言っていました。

 ここの精神科の 秋山部長は、メディカルケア虎の門五十嵐先生と並んで、うつのリワークプログラムの第一人者です。診察もされていますが、初診受付は月に2-3人、すぐに埋まってしまうそうです。但し、お忙しいので、診察も短く、1人5分あればいいそうです。わたしは、他の先生の受診でも構わないと思います。

今のわたし主治医の先生もそうですが、全般的にもここは、なるべく薬を減らそうという姿勢があります。薬の副作用も問題になっていますし、いいことだと思います。

  • 番外編:溝口クリニック:お金持ちで、栄養療法を試したい人はどうぞ!

www.shinjuku-clinic.jp

 

 

「うつ」は食べ物が原因だった! (青春新書INTELLIGENCE)

「うつ」は食べ物が原因だった! (青春新書INTELLIGENCE)

 

 

 

 (上記の本2冊、今見たら、マーカーが至る所にありましたが、、結局あまり役に立ちませんでした)

確かうつの症状が出始めたころの11年6月か7月頃に受診しました。詳細な血液検査をして1-2万取られて、その検査の結果をもって、準じたサプリメントを売るビジネスモデルです。サプリメントが一般のものではだめで(純度が違うらしい)、ここの医院で作っている?サプリで、月に数万円もかかります。わたしは、そのとき、精神科の薬がいやでここのサプリに頼りましたが、プロテインやらビタミンBやらナイアシンやらでたくさんでした。ナイアシンを所定量飲んだら、頭がボーとして、気分悪くなったことがありました。

 

以下、前日からの追記です、もうちょっとお付き合いください。

 

2.わたしが調べた(けど行かなかった)精神科

精神神経科 | 東京大学医学部附属病院

東大病院入院病棟概要 | 東京大学医学部附属病院

東大附属病院は、「入院するとして、そしてそんなに待たない病院だと、どこがお勧めですか?」と小石川メンタルクリニックの白井先生に聞いたところ、返答された病院でした。そこで、東大病院に電話して聞いてみると、

  • 入院は、一か月くらいかそれ以上待つかも
  • 入院にあたって、初診が必要だが、初診に研修医が4-5人出てきて囲まれるけど大丈夫か?
  • 初診は朝始まって、あいだのの待ちも入れて終わるのが夕方になって、一日作業

と言われました。その時は、①とにかく早く入院して治療に入りたかった ②人生経験の少ない若い研修医に自分の半生を語るのはいやだった&朝早くから一日も診察その他にかまう体力・脳力がなかった、ので、空きのベッドがあると言われたNTT東日本関東病院の一本にして、こちらは受診もしませんでした。

入院するにあたって、受診して病院内も見て比較する手もありましたが、当時は切羽詰まって、余裕・体力がなく、比較して入院する病院を検討することはできませんでした。

ちなみに、NTT東日本関東病院精神神経科の秋山部長は、東大卒で、ここの神経科を経て、現職になられています(監修された「うつ病の人の職場復帰を成功させる本」から)。余談ですが(東大がいいってわけではありませんが)、NTT東日本関東病院は東大卒の先生がけっこういると、入院していた時の母から聞きました。

  • 東京慈恵医大精神神経科:会社の人事の優しい方(女性)に勧められた

精神神経科|東京慈恵会医科大学附属病院(本院)

まだ、休職してまだ日が浅く、ウチで寝てばっかりの生活を送っていた時、ウチの人事では珍しい優しい方が心配してネットで調べてくれて、電話で話した時に勧めて頂いた病院です。その時は、こみいった話をするパワーもなく、この病院を勧めてくれた理由は聞けませんでした。話しで終わっただけで、受診はしませんでした。HP改めて見ると、何が特徴なのかあまり分からないところが、受診する決断をしなかったのかもしれません。

一方で、リワークで一緒になった人で、確かここに入院していたと言っていた人がいましたので、決して悪くはないと思います。

防衛医科大学校病院 > 精神科

「うつ」に陥っているあなたへ (健康ライブラリーイラスト版)

「うつ」に陥っているあなたへ (健康ライブラリーイラスト版)

 

 著者の方は防衛医科大学校精神科教授の野村総一郎さんで、よく本を出されています。ここの病院の精神科は病院ランキングで上になっていたと思います。実家から近く、受診→入院の候補にも考えたのですが、大昔のいやな思い出が忘れられず、やめました(高校入試直前で高熱を出し、地元の病院で熱が下がらず、わらをもすがる思いで母とここへ行って受診した時に、医学生・研修医か若い先生がなんと机の上に座って立ち合いをしていた…)。個人的には、大学附属病院の医学生・研修医の立ち合いは、好きではないです。

  • 虎の門病院精神科:精神科はあまり充実していない、入院も病床数10床で内科と同じ部屋

精神科|内科系|診療科・部門紹介|虎の門病院

ここは、こころのクリニック石神井の先生に勧められて、一旦は受診・入院の候補に考えましたが、精神科はあまり充実してそうもないのと、入院は内科と同じ部屋ということで(怖い印象は薄れましたが)、集中的に診てもらえるか不安になり、候補から外して受診もやめました。

  • 山楽病院精神神経科:入院して勤務可能(ナイト・ホスピタル)、土曜受診可能

精神神経科-三楽病院 | 公益社団法人 東京都教職員互助会

ここは、自分で調べたわけではなく、NTT東日本関東病院のリワークに来ていた方が、ナイト・ホスピタルと退院後土曜でも受診できるからとの理由で、入院するとおっしゃっていました。もとは、都の教職員の方々の総合医療機関だったようです。リワークの先生は、ここの病院食は美味しいとおっしゃっていました。

  • 東京脳神経センター:保険がきかなくて高額で効果も怪しそうだったのでやめた

tokyo-neurological-center.com

首を昔に痛めて、PCにずっと向かっていたり疲れたりすると、決まって首が硬くなって痛くなります。「うつは首からくる」説をとるこの先生の病院を受けようかと思いました。ただ、ネットの評判をみたら、高圧的で高額でうつにはあまり効果がみられないようなことが書いてあったので、行くのをやめました。

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結論:合う合わないがあるから、病院選びは慎重に。長引くようであれば、(入院もできる)総合病院で診察を考えることも、頭に入れて!

 

開業医のHPは実態とかい離がある場合が結構あります。一方、総合病院のHPは理念・治療方針・特色などが詳しくうたってあって、総合病院の比較には、ちょうどいいかと思います。できれば、現地に行ったり、受診して比較するのがいいのですが、わたしの場合もそうだったように、総合病院に受診又は入院するぐらいの症状ですから、複数の総合病院を一定期間内で行くのは(パートナーの人がいて、時間・労力を最大限割いて、親身に付き添ってくれない限り)、体力・脳力的に実質不可能と言ってもいいかと思います。なので、入院を考えている場合は、まず候補の病院のHPをパソコンでじっくり見て検討を始めてください。

 

ほんとに長くなりました、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

ではでは。