コヤマングローバルの日記

うつで、入院も経験、2年9ヶ月休職して15年6月から復職した、外資系の会社に勤める者です。うつとよりそいながらの日記や社会・政治・経済・書評・スポーツなど諸々のことを思うままにアップします。

うつうつ日記⑮ 「入院から4年 そして 復職から3年」

Hydrangea

こんにちは。

ここ2年は大晦日の更新が続いて、今回は約半年振り、最近として早い更新かと自分を褒めております。今日は私の小さな記念日ということで振り返りたくなり書きました。

 

私のうつの回復のめどが立たずにっちもさっちもいかなくなって入院したのが、14年6月25日で約4年になります。

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 入院した14年6月25日、サッカーW杯日本ーコロンビア戦途中の朝早くに父に起こしてもらいました。モーローと支度をしながら日本敗戦の結果をNHKで聞いた覚えがあります。とにかく大きな感情を動かすことができなかったので、敗けてもああそうね弱いねというぐらいだったと思います。椎名林檎さんのハイテンションのテーマ曲も当時の私にはとにかくしつこすぎて耳に入ってくるだけでつらかったです。

(当時睡眠剤11錠飲んでいた私は入院日一人で朝早く起きられる自信が全く無く実家に戻り高齢の父に起こしてもらいました。朝の電車に乗れる気力体力も無く実家から病院まで車で送ってもらいました・・・情けないの一言)

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↓上添付の15年5月29日の記事に書いてある14年W杯日本戦の回想部分を引用します↓

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ーW杯日本戦で生で満足に見たのは本田のゴール後のドヤ顔だけだったー

昨年のブラジルW杯、日本の初戦、コートジボアール戦。

6月15日10時キックオフ。9時半位から携帯のアラームを10分ごとに鳴らして、キックオフ直前になんとか身体を起こして、テレビをつけて、もうろうとしてまた横になる。

しばらくして、テレビの声が大きく響いたので、何とか目を開けテレビに顔を近づけると、、本田のドヤ顔と「ゴーーーール」のアナウンサーの声。あー決めたんだ、よしこれから見なきゃと思ったけど、身体が全く言うことを聞かず。また横になってしまい、音だけをもうろうとしたなかでひろってました。

最後は、アナウンサーの「残念でした」の声が、薄れた意識の中で聞こえてきて、あー、負けたのか...と思って、また睡眠へ。。この、入院直前の時期、睡眠薬は上記と同じく11個、午前中は爆睡している時間帯でした。。

 

残りの、、ギリシャ戦は20日7時キックオフで起きれず。ムリでした。

コロンビア戦は25日5時キックオフ。この日は入院日で、朝9:30に病院で入院手続きをしなきゃならない。確実に起きるために実家に宿泊して、なんとか朝6時か6時半には起きました。時間的に、試合終わりのほう見てたはずだなんだけど、記憶にないです。

というわけで、昨年のW杯の日本戦は全くと言っていいほど生で見れなかったです。

ブラジルW杯全般的にも、前半戦はほとんど寝てて見れず、後半戦は入院生活に入ってあまりテレビ見れずでした。ブラジルW杯のTV観戦は、全くのヘタレのタレで、過去のW杯TV観戦歴に比べると圧倒的に少なく、こんなこと初めての経験でした。

あれから4年...(日本代表はまた芳しくないかもですが)W杯日本戦を見れること、W杯全体を楽しめるのは(体力気力充実の若かった時に比べると多くの試合をずっと見続けるのは厳しいですが)ほんとに感慨深くうれしいです。14年のW杯後半戦も、入院した病院で自分のテレビ(プレペイドカードを差し込む方式)で物理的には見れたのですが、入院したばかりでサッカーをテレビで見る体力気力がまだ復活せず、夜のニュースで5-10分見るだけで精一杯で、結果にも感情がそれほど動きませんでした(嫌いなドイツの圧倒的な強さにも距離を置きたかったかもしれません)。

 

余談になりますが(今まで書いていなかったので)、当時、睡眠導入の目的で飲んでいたのがベゲタミン、、3錠飲んでいました。入院時に主治医の先生と担当看護師さんから「今どきベゲタミンを、それもこんなに飲んでいるのは信じられない処方だ」と何回も言われて私が叱責された感覚でした(リワークの友達にもあとで言われました^^)。入院の目的のひとつに減薬があったのですが、多剤な薬の中でまずベゲタミンを減らすのが第一優先でした。しかし夜がまったく寝れなくなり目がらんらん、しんどかったです。

↓「過剰摂取時に致死性の高い薬」「飲む拘束衣」ですか....↓

そんな恐ろしい薬を3錠も......なんせ当時はネットで調べる気力も無かった...

 

ベゲタミン - Wikipedia

 

yomidr.yomiuri.co.jp

www.jspn.or.jp

うつやメンタル疾患で服薬している方はくれぐれも多剤服用にならぬように、長期多剤経験者の私が強く申し上げたいです。(↓16年4月から、抗精神病薬抗うつ薬抗不安薬、睡眠導入薬すべてが、それぞれ2種類までしか処方できなくなったようですが↓)

www.comhbo.net

私は、せいぜい精神系で2種類、睡眠系で2種類がいいところで、ここからさらに薬を多くしてもあまり効かないような気がします。その2種類で効かなかったら、1種類または2種類を違う薬に変えて、薬の量を抑える努力をしていく必要があります。効かない不安から安易に薬を多くしていくと、以前の私のように薬の沼地に溺れてしまい浮き上がれない状態が続いてしまうと思います。物を増やしていくのは簡単で、減らす捨てるのはけっこうしんどいのと同じ心理だと思います。ただし本人は日々つらく、そこまで気が回らない場合もあるので、薬の種類と量にきちんと留意してくださる病院・先生を選ぶことが重要です。つらい症状から自分で判断できるパワーが無い場合、家族・肉親・パートナーの方にアドバイス・協力してもらうことも大事です。病院・先生・薬の選択が肝です。

病院・先生・薬の選択が適切にできなかった(過去ブログにも書きましたが病院探しはかなりやったつもりですので「出会えなかった」のかもしれません、縁とか運もあるような気がします)私は、なんとか自分を浮き上がらせるために=減薬と効果的な薬による回復のために「入院」という手段をとりました。ほとんど自分1人で決断したので決断するまで長い時間がかかりました(復職することを考えたらもうぎりぎりのタイミングで時間が私のお尻を押してくれました)。

 

そして今日は、会社に復職した15年6月16日から、ちょうど3年になりました。感慨深いです、3年間大きなダメージ受けずに休みもせずによくもったなあ、という思いが強いです。目標はとりあえずあと2年、復職から5年間何も大きな毀損が無いようにしたいです(それ以降も無いようにするのはもちろんですが)。

 

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現在の状況は、体力気力に自信があった時と比べるとせいぜい70%位です。これからも「全快」は無く、とりあえず「寛解」の状態、「だましだまし共存してつきあっていく」気持ちで進んでいきたいと思っています。

とは言うものの、仕事は相変わらず忙しくプレッシャーさらに増えたので、オフの時間も仕事の残像やストレスが頭に残っていることが増えてきました。プライベートを自立的に仕事から離して、リラックス・楽しく過ごすことに頭を使うようにしないと思っております(なかなかうまくできていないのですが...)。

薬はレンドルミン半錠を2日に1回くらいの頻度で眠剤として寝る前に飲んでいます。100%減薬にはそれほどこだわっていません。この程度ならこれからずっとこの状態でもいいかなと思っています。仕事がハードで夜遅く帰ってきたときは深夜になっても頭が熱を持ったままなので、脳を沈静化させて眠気を誘うという効果もあります。これからも少量でうまく使っていきたいと考えています。

 

最近部屋を整理していたら(復職後は買い物や外食や旅行など、物を増やしたり消費することがほとんどでしたが最近整理にエネルギーを使えるようになってきました=上に書いた薬との関係と同じかもしれません)、入院前に通院していた病院とのやりとりを書いていたメモ帳が出てきました。そこの病院のカウンセラーさんとやりとりした箇所には、生活保護を受ける条件について書いてありました。。

 

ここ最近はこれからのキャリアや生活をさらに進めていくこと改善していくことを考えていることが多かったです。それはもちろん大事ですが、今日は復職して3年、数年前の自分では考えることができなかった位置まで進むことができたことに感謝したいです(「戻ったきた」のではなくうつの経験をして違う方向に「進んだ」と思います)

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これから月曜日の仕事の準備を少ししようかなと思ってましたが、、、

明日することにして今日はやめます。W杯を見ながら、今日を噛みしめます。

 

ではでは。

 

 

うつうつ日記⑭ <2017年から感じた事>

before sunrise

こんにちは。また1年振りの大晦日のアップとなりました。

ここまでくれば、、これから1年に1回、大晦日のアップとなるのかなあ。言い訳になりますが、仕事やプライベートがさらに忙しくなっていてアップできませんでした。ただ、私より忙しい人でまめにアップされている人はたくさんいらっしゃる訳で、エネルギーの優先順位が下になっているんだと思います。すみません。

私の悪いところのひとつなのですが、何をやるにしてもなるべく完璧にやりたい思考・行動の癖があって、そこがブログアップ率を下げている要因とも感じております。それは、うつになった原因のひとつでもあり、自分や第三者をストレスフルにさせる要因だと(ようやく最近)気づくようになりました。

 2017年の私の行動(仕事・プライベート)について印象的だったことを申し上げます。それらを踏まえて、考え方やメンタルヘルス上で言えることを次に申し上げます。自分に対する気付きと、読んでいただいた方々が何かしら参考になれば、幸いです。

 

ちなみに今の服薬状況は、眠剤レンドルミン半錠を3日に2日程度を服用しているのみです。3割か少なくとも2割の日は服薬せずに寝ています(単に仕事し過ぎで睡眠不足と疲れがすごくて、眠くて眠くて眠剤無しで寝れるだけです)。

 

 ◆行動◆(仕事・プライベート)

・仕事:

17年夏過ぎから完全に中間管理職(いわゆるマネージャーなのですが自分の担当業務も継続するという完全なキャパオーバー..)に復帰になり、さらに忙しくなりました。事業部が人員削減中で、部も人の出入りがあり、混沌としている中、チームを再まとめしなければならないというかなりシビアな状況です。

うつで倒れる前には日常的に経験していた、会社から出ても完全に頭から仕事が抜けない感覚を久しぶりに味わっております。復職後の仕事のアウトプットがそれなりに評価されての今回の結果だとは思ってはいるのですが(自画自賛...)、うつなる前のワーカホリックの盛時に比べたら、自分のコップの容量はかなり減っており、気をつけて対策を考えないとといけないと思っております。1月からは私の担当業務は、新しく入る人に一部分振り分けますが、まだ担当業務も残る上、引継ぎ・チームビルディング等々、3-4月くらいまでは今の混沌状況が続くと思っております。

ちなみに、会社で関係している方々で、私がうつでずっと休職してことを知っている人は、昔からの付き合いが長い方や仲がいい方など、、ごくごくわずかです。業務量はまったく他の方々と同じかそれ以上で、復職後の業務軽減や配慮は(復職後3ヶ月は残業無しくらいで)全く無いです。

歳も50歳をオーバーしているので、10年前ならともかく、今はさらに上を狙うというより、(お金もないので)いかに社会とコミットして長く働き続けられるかを考えております(75歳位までできれば働きたい・・・)。今の会社は、定年60歳で雇用延長はありますがだいたい皆さん1-2年限定の時給(恐らく1500円/時程度・・・)雇用です。今の世の傾向と逆行しておりますが、弊社は他社さんのような50歳以降給料下がりや55歳役職定年は無いので、長短あり、と割り切っております。昇格やポストも大事ですが、自分の実力を伸ばす(少なくともキープ)ことが、60歳以降も働く大事なことと思ってます。無事これ名馬ではないですが、いかにうつ再発を防いでいけるかも私は重要です。

精神的に毀損しないためには、プライベートでいかにに仕事を忘れるか、いかにに楽しいことを頭と心にインプットするか、が肝だと思っております。

 で、そのプライベートは ↓

・映画50本鑑賞:

映画好きな友達(『映画はその人の人生や感情を豊かにしてビジネスに人生に有益である』と)が年50本以上鑑賞してフェイスブックに全て感想をアップしてるのに触発されて、中学生時から映画が好きな私も50本を17年初めに目標にしました。ただし、今まで年間50本は観た事なかったです。ざっくり週に1本鑑賞のペースですが、仕事やプライベートの用事が立て込むと、週に一本でもかなりしんどいです。仕事で忙しい12月にやりくりして8本(休みの昨日一昨日で4本駆け込み...)観てなんとか達成できました。ただし、50本観るとはずれもかなり多く、10本に1-2本があたりというような感じです。1年間10ー20本の時よりかははずれも多くなっている気がします。本のあたりはずれの確立に近くなっていると思います。

『量は質に転化する』の期待がかかる50本鑑賞の効能については、もう少し時間を待って自分の内面の化学反応を待ちたいと思います。

(それと合わせて17年のワーストベスト映画を書いた映画ネタも別にアップできたら・・です)

 

・数学検定受験:

7月に3級(中三レベル)と10月に準二級(高一レベル)を受けて、学生時代と同じ一日直前詰め込みでなんとか2つとも合格できました。佐藤優さんの講義や著作で論理的思考の向上にいいとおっしゃっていたのと、高校時代最初は理系だったのもあり、挑戦を17年年初に掲げて受けました。勉強しているときや試験のときの、日ごろ使っていない脳細胞がぶちぶち言う感覚がたまらなかったです(M気質か...?)。英検と違うのは、私以外の受験生がほとんど子供たちです。特に3級は私以外全員、小学校高学年か中学生、、私の歳だと自分の子供の歳以下を周りに囲み。。。最初は恥ずかしかったですが、これもオヤジ(ジジイ?)の勲章だと切り替えて試験に集中しました。

今度は18年4月、二級(高校二年レベル)を受けます。今度ばかりは落ちるかもですが落ちても勉強続けることがいいので受け続けます。

 

・歌舞伎鑑賞とクラッシクコンサート(第九)鑑賞:

歌舞伎は初体験でした。うまく表現できませんが、自分の埋もれていた感性・考え方が実は歌舞伎の江戸時代から続いているような繋がりを感じました。

映画もいいですが、生の鑑賞は舞台の方々の前向きなエネルギーをもらえることがすばらしいです。今まで自覚したことのない潜在的だった感情を顕在的に体感できるのがなんともいえないです。

18年は歌舞伎、クラッシク、ポップ・ロック、演劇、などの生の舞台へ行きたいです(大相撲、も入っていたのですがこちらは事態を少し様子みます・・)。チケット購入とスケジュール調整に手間がかかるので、映画みたいに量はこなせないですが、これから老年まで着実にゆったりと楽しんでいきたいと考えております。

 

若松英輔さん、佐藤優さんの公演:

得られることが多いお二人です。本だけでなく生の場に都合付けば伺うようにしています。17年はお二人とも講演会を以前より絞られた印象でした。若松英輔さんの講演会はもっと行きたいです。

 8月19日開催「激動する世界と宗教」のシンポジウムで若松英輔さん(佐藤優さん池上彰さん松岡正剛さんも出席)のコメント

「自分はどう生きるべきか ばかりでなく 自分はどう生かされているのか」

「声も出せない本当に弱い人に 近代の宗教は寄り添うことができなかった」

「苦しんでいる人に合理の解を与えることが大事と 近代は考えてきたが いっしょに苦しむことがより大事ではないか」

「分かり合うことより 分かち合うこと」

「他者は私である 私の中に私たちがある」

言葉の贈り物

言葉の贈り物

 
若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義

若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義

 

 

・本の多読(というより積読のまま...)・大量購入:

ストレス解消のため、どんどん買って読まずに積読状態です。16年以上に私の部屋は足の踏み場も無い.です。.映画以上に「量は質に転化する」ことを実践しないと・・・・

 

・父の入院:

(自分の行動ではないですが)父が腎臓がん(幸いステージ1)摘出手術で12月に約1週間入院しました。幸いに手術成功し術後も問題なく今は実家に戻り生活しています。多くても1ヶ月に1回程度しか会っていない関係から今回はかなり濃密に父に付き合う必要があり、(大変だったのはもちろん父ですが)体力だけでなくメンタル的にもかなり消耗しました。幼少期からの関係性が今でもメンタルに影響されていることが改めて感じました。

 

・あまり出来なかったこと:

美術展へはあまり行けなかったですが、それでも最低2ヶ月に1回=通年6回以上は行けて、ミュシャ展にも行けたのでおおかた満足です。一方、旅行と運動ができなかったのは、うーんです。旅行は名古屋時代の友達と行った下呂温泉くらいで激減してしまいました。運動はジムでの水泳が減少、筋トレも週2-3回に減ってしまいました。理由ははっきりしていて、仕事の忙しさによる時間の無さと心身の疲れです。それでもなんとかメンタル壊滅までいかなかったのは、上に上げた行動がリカバリーできたんだと思います。18年、運動はもっとやらないとですが、さて旅行はどうしようか。。

 

 

◆考え方やメンタルヘルス上で感じたこと◆

 

・コップの容量は人それぞれ、自分の容量を知っておくこと:

私みたいに、体を壊したりうつになってやっと自分の容量を知るのは非効率なので、自分の体調やメンタルの具合を見るために自分と向き合って対話することが大事だと思います。

 

・自分のコップをストレスや疲れでいっぱいにしない:

私は自分のコップの容量についてかなり鈍感なところがあります。忙しさにかまけてて気づいたらもうコップからあふれ出ていて、体調やメンタルがかなり毀損されていたことが何回もあります。自分との対話によってのコップの容量のチェックをまめにすることが大事ですね。詰め込み好きの傾向は私だけでなくて日本人全体に言えるかもしれません。コップの容量内でベストを尽くすことに最近特にフォーカスしています(って出来ているかな...)。

 

・(コップのストレスを減らすため)好きなこと楽しいことや休養を定期的に行う:

「映画年間50本鑑賞」は量が多くて仕事っぽくなった感じもありますが、最初に数量目標を設定して強制的に好きなことを忙しいなかするようにできたのはよかったと思います。好きなことをする時間を忙しいなかどう確保するか、月や年間の数量設定を強制的にすることはいい面もあると思いました。

もちろん定期的な休養も大事で、好きなことと休養のバランスです。ストレスがある脳や体の中に楽しいことを強制的に入れてストレスに脳や体を向けないようにするか、又はのんびりした休養をとって脳や体からストレスを抜けさせるか、の2つのアプローチがあると思います。

 

↓すごく参考になります↓

 P162~P189

「脳を疲れさせない」「考えすぎない」→「日常の中に楽しみを取り入れる」

「仕事のことは一切考えない時間を作る」

「苦手な人にはでるだけ近づかない」

「プラス思考:笑顔を増やす、プラスの言葉」

「ワクワク感が重要な感情:原風景を思い出す、新しいことを始める」

 

・自分や他者に完ぺきな要求をして現状とのギャップに自分や他者を責めないこと:

私の場合、このギャップにストレスを感じて我慢できなくあふれ出た感情が「怒り」となることが多いです。「○○○さん(私)は、自分にも人にも要求レベルが厳しいでしょ~もっと楽にしないと」と最近親友に言われました。まさにその通り。

100点を目指さない。仏教的なアプローチだと「悟り・手離れ」なんでしょうか。高田順次さんでしたら「テキトー」「いいかげん」。堀江貴文さんだと「初動はだいたいで、すぐにやる方が大事。改善は走りながらでいい」。

 

・親との関係性を把握(余裕のあるとき):

自分の闇を申し上げるのですが、私は親にどす黒いものを持っていると思います。経済的には問題なく育ててもらったのだから何をぜいたくな、は、もちろんなのですが、精神的な悦び、、もっというと、愛情を両親からあまりもらえなかった気がしています。もちろん私は親とは表面上は問題ないように付き合っておりますが。

親から愛情をうまくもらえてなかったのでコップの容量がそもそも小さい。ので、すぐにコップがいっぱいになって具合が悪くなったり、他者との関係をうまく築いたり継続するのが苦手。今回の父の入院に際して久しぶりに父と濃く過ごして、改めて感じました。一番近い人なのに(なので?)すごく嫌なところがある。そしてそれは今の自分にもある。。

 

上の若松英輔さんのコメント

「他者は私である 私の中に私たちがある」

「親は私である 私の中に親がいる」

 

最後はヘビーになりました、すみません。このテーマはまた別のときに深く書ければと思います。

 

それではみなさん、よいお年をお迎えください。ではでは。

うつうつ日記⑬ <2016年とそれ以前を振り返り、再発防止策について>

 

天æ±

 

こんにちは、みなさま、ご無沙汰しております。

前回のブログが16年1月初め、約1年振りのアップです。

 

*前回で、次はスターウオーズ「フォースの覚醒」についてと書きますと言いました。16年1月から3月にかけて、下書きをしこしこと書いていました。けれども、思い入れ強く論点拡がりすぎてまとまらず、さらに忙しくなって、4月位から下書きのまま、ほったらかしにしていました。そのうちに、DVD販売→オンデマンドとWOWOWで放映→「ローグワン」上映、と進んで、その下書きはお蔵入りすることにしました。なお「フォースの覚醒」は私の16年がっかり映画です^^。

 

私の記事を読んでいただいた方々はご存知だと思いますが、私は約4年間うつで参っていて(11年夏頃発症 / 14年6〜12月入院)、なんとか15年6月に復職しました。

 

復職した15年6月からは、仕事で精一杯になりブログをアップする余裕がなくなりました。15年6月の復職以降は3-4本、16年に至っては1月アップした後、今回が2本目という寡作ブロガー(?)になりました。

 

で、私の記事なんか、もう読んでくださってないだろうと思っていたのですが、今でもけっこう読んでくださっている方がいらっしゃるのに最近気づき、びっくりしました(&うれしかったです)。「うつうつ日記」の記事へのアクセスが多いようです。

koyamanglobal.hateblo.jp

koyamanglobal.hateblo.jp久しぶりのアップは「うつうつ日記」のほうがいいだろうと思いました。

 

◆◆◆◆◆

12月に部屋を(ほんとに)久しぶりに掃除(というより整理かな)していたら、下の写真の、紙とノートが出てきました。うつ真っ最中の、2011年の年末(今から5年前)と、14年の入院中のメモです。

 

■2011年12月25日~31日のメモ (良くなってから書いたと思います)

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このときは浜松に住んでいました。

--------------- ↑上のメモの症状が出るまで↑ ----------------------------------------------------------

2011年:

約2年間に渡る転職活動と、3.11の仕事での対応で、心身の疲労が自分のコップからついにあふれて、症状として出たんだと思います。

 

4月初め:突然の吐き気が続き、10日間ぐらいだって内視鏡検査で逆流性食道炎が発症していることがわかりました。処方されたタケプロンでなんとかごまかしていました。

5月:今度は早朝に目が覚めるように。最初はこれ幸いと外に出てジョギングをしていました。(今ならすぐわかるのですが)いわゆる早朝覚醒ですね。そのときは、うつだと気づくのに、しばらく時間がかかりました。

8月:うつ本格化。会社に行きたくなくなる。リフレックスサインバルタ、いわゆる『カリフォルニアロケット』という組み合わせ、を1回飲んだら、起き上がれなくなって1日半ベッドで寝っぱなしでした。

10月~11月:会社を約1ヵ月半休みました。休む直前あたりから、こわごわジェイゾロフト服用しました。

12月:ジェイゾロフトが効いて少しよくなったので、復職。しかし、下旬あたらいからまた調子が悪くなり、イブにそのときの彼女とレストランに行って、そのあとから急激に悪化しました。。

 

----------そして、上の添付写真メモの症状になっていきました-----------------------------------

25日:吐き気の症状が出て悪くなる

27日:吐き気本格化

29日:収まらない吐き気と、自分がどうなるか分からない怖さで、救急車を2回呼ぶ。

12月にやめていたジェイゾロフト離脱症状では、と病院で言われる。今から振りかえると、ここでSSRISNRIへの拒否感が大きくなり、14年8月のサインバルタの服用まで、全くSSRI/SNRIを服用できなかったです。

30日:自分の部屋に怖くて居られずアパート隣のビジネスホテルに泊まる。夜に体を震わせながら父に「○○たい、○○たい」と電話で連呼してました。

31日:心配した父が浜松に来る。当時付き合っていた彼女と父と3人で、救急外来をしている浜松市三方原聖隷病院に夜にタクシーで駆け込む。セロクエル(初服用)と点滴(吐き気止め)でなんとか少し落ち着く。病院からの帰りのタクシーのラジオで紅白歌合戦が流れてました。アパート隣のビジネスホテルで独りで年越しでした。。

 

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12年1月3日:落ち着いてきて少しづつ食事。

 

12年の前半は、セロクエルでごまかしながらぼちぼちと。劇的に良くなった感じはなかったです。

 

7月:東京本社に転勤(もう浜松事務所勤務が耐えられなかった)。ただ、そこでもパワハラ系上司が居て(それだけではないですが)

8月:症状が悪化、11年の休職期間のようになりました。再び朝起きるのがしんどくなりました。

9月下旬:上旬から朝起きられなくなるのが続き、休み連発。下旬に再休職決断。

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(13年14年前半は割愛します、今までの過去ログご参照下さい)

14年6月下旬:入院(復職締め切りまで1年足らずとなり決心)

14年12月下旬:退院 

15年6月下旬:復職 (約2年9ヶ月ぶり、会社退職寸前のタイミング)

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↓下のノートの写真は、14年入院中の底期のものです↓

■2014年の入院中のメモ。8月と10月。

ほとんど食事のメニュー。これ以外、文字が書けませんでした。。

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10月のメモ(3番目)は底期から脱して回復に向かっているときなんですが、字が異常に細かくて判読難しく、まだ病的ですね。ここらへんが底期と判断できるのは、体重がこの時期から戻ってきていることです(体重はノートに書いてありますが、字が小さくて見つけられないですね・・・)。

入院中は、毎週水曜日の朝、病棟で入院患者さんの一斉体重測定がありました。8月4日が底の44.95キロでした。私は身長はだいたい163センチ、うつになる前は53キロくらいで、もともと痩せタイプでしたが、45キロ未満だともうガリガリです。とにかく食欲はないし、たびたび吐き気で、うつ本格の時は体重増えることがありませんでした。

この14年8月の底に、もうここで手を打たないと復職できなくなる間に合わないと思い、吐き気の副作用覚悟のうえの一大決心をして、サインバルタを試しました。幸いに効いて、ジプレキサとの相乗効果で、食欲回復、14年10月からじりじりと体重が増加していきました。復職後の15年夏くらいには、68キロまでいきました(今は63キロ位)。

 

■近況

おかげさまで、GW・お盆・年末年始の休み以外は、長期休みを取ることもなく、無事に会社勤務を続けております。疲れたな、ちょっと危ない前兆かな?と感じたときに、半休なり、計画的に休みを取って、休養しております。(夜遅くの食事と睡眠不足から、16年初めから逆流性食道炎が再発してしまいタケキャブを飲んでおりますが・・)

  • 仕事:残業毎月20~30時間くらい。弊社はフレックスで朝はゆっくり10時とか10時半に行けます。業務量が多くなり(うつで長期休職だったことはもう全く考慮されていないというか、私の働き具合でみんな忘れている感じ)、遅いときは終わるのが23時過ぎのときもあります。ただ、やはり、夜遅くまでの残業は心身によくないですね。
  • オフ:読書、映画、美術館、旅行、都内レストランめぐり等々。映画館へは15年に引き続き20本くらい。旅行は、神戸/姫路城、出雲大社/松江、しまなみ海道70キロサイクリング/道後温泉、京都/貴船、箱根ウオーキング伊勢神宮/志摩、等々。

 

■過ごしかた

とにかく、16年は貯金は全くせず、お金の力で(散財とも言う)行動してストレスの発散を図りました。お金を使えるのも、復職して勤務続けることができて、キャッシュが途切れる心配がなかったからです。ともすると、また体調崩したらどうしよう?と思いがちですが、なるたけ思う時間をなくす努力=スケジュールを入れることにしました。

疲れていると感じたときは、人と会う&都心に行くスケジュールは控えて、最寄駅のカフェに行って読書して、まったりとした時間も入れてメリハリをつけました。

とにかく休みは一日ずっとうちにいることは避けました。ただ、時々、睡眠不足からだったり、残業のしすぎだったりで、時々めまいや気持ち悪さはでてました。カウンセラーさんからは、「スケジュールちょっと詰め込みすぎですよ」と言われたこともあり、11月くらいから、すこし余裕を持ったスケジュールを組んでいます。

 

■薬

15年終わりくらいからSNRIサインバルタを自分の判断で飲まない日を増やしていき、16年4月くらいからほとんど飲まなくなりました。今はメンタル系は睡眠導入のレンドルミンの半錠のみです。よくここまで来ましたね・・と主治医の先生と会社のカウンセラーの方に何回も言われてます。

以前私がどれくらい薬を飲んでいたかは下の過去記事で。大量服用で、失禁だけでなく、脱○もしました。。

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ちょっと不安感があるなあ、うつになった時に感じになんか似ているなあと感じるのが2-3回、16年中にありました。サインバルタを数日飲んだあと、気づかないうちに飲んでいませんでした。会社のカウンセラーさんに言ったら、「○○さん、それだと、サンバルタ効いている前に(1週間くらいかかる)飲むのやめているから、効いてないですよ、意味ないですよ」と言われてます。

 

■結論:うつから回復したあとの再発防止策(& うつ本格化防止策)

 

*ちなみに、うつ本格期はパワーが全く出てこないので、この対策はがんばってやらないでください。無理にやると逆効果でさらに悪化する危険があります。

うつ本格期は、

①相性のいい心療内科・精神科にかかること(言うの簡単だが見つかるのが難しい)。

②的確な処方箋・薬の服用 (経験的にやはりSSRISNRIの服用かな)

③休養(うつがかなり深いときは入院も視野に、過去ログご参考に) 

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15年6月に復職した後、16年に業務&活動を本格化できた、私の経験から言えるのは以下です(あくまでも私の個人的な意見です)。もし参考になれば幸いです。

 

1.「複線」(佐藤優さん)・「逃げ道」(村上春樹さん)を複数用意すること。

会社やパートナーだけでなく、自分の好きなこと・没頭できるものを探して、自分のアイデンティティーをいくつも用意すること。会社やパートナーとの間でつらいことがあっても、他の場で自分の存在を確認・認めることができる場をつくっておくのが大事だと思います。それは、人が介在するものでもいいし(友達)、介在しなくてもいい(読書、映画などの好きな事)と思います。自分が心地いい場、価値を複数つくることです。

 

2.運動

言うまでもないでしょう。私は、筋トレと水泳を定期的にやっています。ただし、うつ本格期はパワーが全くないので、無理してやる必要はないと思います。

脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方

脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方

 

(冗長でページ数が大量なので、読むのはしんどいので、アマゾンレビューをご覧になるだけで十分です。うつにも運動は効果が高いことが書かれています)

 

3.過剰労働は(なるべく)しない。

自戒の意味もこめて。電通の高橋さんの事件の例もあるように(電通社長さん起訴されなかったら逃げ切るつもりでしたね)、あたりまえですが過剰労働はよくないです。うつになったあとは当然気をつけると思うので、どちらかと言えばうつになる前の予防策になります。どんなに自分好きなことや志の仕事でも、過重労働で心身のキャパを超えたら、メンタル と体 が悲鳴を上げます。

働く男 (文春文庫)

働く男 (文春文庫)

 

↑ 16年「逃げ恥」で完全にブレイクした星野源さん  ↑

ミュージシャン、俳優、さらにこの本のようにエッセイもされて、すごい多才な人だと思っていましたが、この本読むと分かりました。仕事一筋、ジャンキー生活で、色々な仕事に自ら飛び込んで、挑戦し続けて成長されて今の姿があるんですね。才能があったうえにこれだけ挑戦し続けるとは・・

あの若さでで倒れたのはなぜだろう?と思っていましたが、明らかな「働きすぎ」だったのです。(レベルはまったく違いますが)仕事への取り組み方は、まさに過去の私が同じでした、そして今の姿勢も。

この本の中で、すごく共感した箇所がありました。やはり働きすぎで体を壊した方は共感できるのではないかと思います。まえがきの一部、ちょっと長いですが抜粋します。

働きたくない。

昔は違った。

働きつづけることが自分のアイデンティティだった。働いてないと不安になり、仕事で出会う人とのコミュニケーションでしか相手に興味がわかず、仕事での達成感のみが生きる希望だった。何をするにも仕事のことを考え、アイデアが思いつくと機嫌が良くなり、難航しているときは常にイライラしていた。少なくとも、今回文庫化されたこの本の書籍版を執筆していた頃、そして校了日までは。

 

 

入稿後、倒れた。

入院してから発売された『働く男』の初版の帯にはこう書かれている。

 

  どれだけ忙しくても、働いていたい。

  ハードすぎて過労死しようが、僕には関係ありません。

 

もちろん、関係はあった。脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血

(途中 略)

 

休養中、『働く男』を読むと別人が書いたもののように感じた。何かに取り憑かれたように、苦しみを、仕事を自分に課しているようだった。

過酷な入院生活で、私は大人になった。仕事が中心の生活ではなく、己が中心の生活に変わった。「仕事がないと生きていけない」ではなく、「仕事って楽しい」「でもなるべくサボって遊んでいたい」という性格に変わった。私は「働く男」から、「働きたくない男」になった。

とはいえ彼を、「働く男」の自分を否定する気にはなれない。

(略)

休んでいても不安は感じない。焦らない。むしろめっちゃ休みたい。今の自分がいるのは以前の自分のおかげであり、彼が殻を破ってやろうと必死になって戦ったからこそ、脱皮した自分がのほほんと暮らしていけている。そう思うようになった。

サボりたい、遊びたい、働きたくないとボヤキながら、実は今も自分は忙しく働いている。しかし前とは比べ物にならないほど、心は落ち着き、楽しく、幸福であり、仕事も充実している。

 

回復した後、仕事に肩の力を抜いて取り組んだら、皮肉にも大ブレイクしたんですね。

 

*余談ですが、、くも膜下出血後の入院生活について、星野さんは「過酷」と書かれているように入院生活かなりつらいようです。

くも漫。 (torch comics)

くも漫。 (torch comics)

 

15年の夏に、興味半分で、この漫画を読みました(映画化されるようですね)。(不謹慎で第三者としては面白かったですが)治るまでの治療が極めて過酷で、自分が当事者だった場合、果たして耐えられるか自信ないです。 

 

 

『働く男』では、闘病生活の辛さについては触れていませんでしたが、別の本を買ったら、星野さん、ちゃんと書いていらっしゃいました。

蘇える変態

蘇える変態

 

P126を境にして、全く違った読み物です。このページ以降は、完全にくも膜下出血の闘病記録になっています。

助かったあとの辛さも半端ないです。『くも漫。』と同じかそれ以上です。同じように集中治療室に入れられ、しばらく吐きまくり。本人も書かれているように「地獄」。

さらに、星野さん、なんと再発も経験されています。2回目は、開頭手術を受けているんですね。。私は、絶対、くも膜下出血にはなりたくないです。くれぐれも「働きすぎ」ないようにしよう。

*しかし、死んだほうがましなくらいつらいことも、前向きに受け止めて、明るく楽しく下ネタも入れて面白く書ける、星野源さんはすごいです・・。

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ちょっと、余談が長くなりました、失礼しました。

再発防止策に戻りますね。

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4.動物性たんぱく質の摂取

食欲がないときや、日本人としての胃腸の傾向として、なかなか取れないかも、ですが、うつ予防策&回復期策として、意識してとるべきではないかと思います。私の場合、うつの前は、ベジタリアンっぽい生活を送っていました。ベジな食生活とうつに、相関関係があるのかはなんとも分かりませんが、私はよくなってきてから、動物性たんぱく質をとる生活をしていたら、やる気・パワーが出ている気がしました。

たんぱく質が脳でポジティブ系の物質に変わり、うつに対しても、いい効果があるとか。運動とたんぱく質はセットで考えましょう(このセットは筋肉も増加させます)。

 

一方で、日本人は動物性たんぱく質摂取の歴史が長くないので、大量&長期の摂取はよくない面もあるようです。野菜果物等の摂取も、バランスいい食事をできればしたいです(あたりまえの結論になってしまいましたが・・)。

日本人と欧米の食事と病気の関係の違いについて、、なかなか興味深かったです。

 

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2017年も無事にいくように、上記項目を外さないようにたんたんといきます。

(17年はもう少しアップしないといかんですね)

 

 

00年のくるりの名曲。もう15年以上前の曲なんですね、、改めて最近聞いています。

 

僕が何千マイルも歩いたら

手のひらから大事なものがこぼれ落ちた

 

翼が生えた

こんなにも悩ましい僕らも

歩き続ける 歩き続ける

 

ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって

こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてゆく

 

2017年がみなさんにとっていい年でありますように。

「うつうつ日記⑫。近況。『火花』 『スクラップ・アンド・ビルド』。2015年映画。」

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photo by Viola's visions

 <<長いので、お時間のあるときにお読みください^^>>

 

ご無沙汰をしておりました、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

最後にブログ掲載したのが2015/8/15夏が過ぎ秋も過ぎて冬になり、年も明け、4ヶ月半以上経ちました。夏以降、仕事・プライベートが忙しくなり、ブログを書く時間と精神的余裕がなくなっていました。

年末年始休みにアップしようとしましたが、年末に胃腸が調子悪くなり(近いうちに内視鏡検査します)、寝込んで果たせませんでした。

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復職前はブログをまめにアップできてました。リワークをやっていたとはいえ、拘束時間は午前中だけでしたし、仕事に比べるとエネルギーロス少なかったです。

今は毎日夜8時9時頃まで(これでもバリバリ仕事やっていたときより全然早いです)、パソコンに向かって仕事して、うちに帰って食事した後の深夜に再びパソコンに向かうのはけっこうきついと思います。今の状態でブログ書くの続けたら1-2回でダウンしそう。復職前は、復職してからも週1-2回はブログアップできるかなと思いましたがだめだった、甘かった。

毎日仕事しながらブログもまめにアップされている方がいらっしゃいます。すごいなあと尊敬です。(仕事との)時間・エネルギーマネジメントはどうやっているんだろう。わたしのエネルギーがまだ100%でないからかな(以前バリバリやっていたときに比べると今はまだ6-7割くらいだと思います)。とは言うものの、ついつい周りのペースに合わせてオーバーペースになってしまうタイプなので、少なくとも今年前半はなるたけマイペースでいきたいです(いかないとカラダがもたないでしょう)。

 

◆◆◆最近の状況◆◆◆

 

仕事→部内異動で負荷増▼

部外に異動する人の玉突き人事で部内異動で業務変更となります。今、引継ぎを始めたところです。

12月にわたしの部内異動を唐突に上司から定例面談時に言われ、この場で承諾して欲しいと言われてさらにびっくりしました。復職後半年で業務変更、初めて経験する業務内容、復職後の業務に比べて格段に負荷が増えることで、今の自分に果たしてできるかあ自信を持てず、かつ、この場で承諾してほしいと言う進め方ににカチンときて、承諾せず保留しました。

その後、上司から「断っても、今のグループには居られないし(戦線縮小でグループ消滅)、部内異動がいやなら部外に行くしかない。」と少し脅し気味に言われました。外堀を埋まれそうになったので第3者の意見を聞いたほうがいいと思い、定期的に面談している社内カウンセラーの方に進め方を相談しました。アドバイスを聞いた結果、産業医面談産業医・人事部・カウンセラー・上司・わたし)を開催してもらいました。がんばってはいるけど、復職後半年だとまだ完全復活ではない時期であることをカウンセラーの方とわたしでアピールし、出席者に理解してもらいました。結果、関係者のサポートの約束をとりつけ、わたしは部内異動を承諾しました。

その産業医面談中、人事部の方が、

「○○○さん(わたし)の言い分は分りました。ただ、少し冷たい言い方になりますけど、○○○さんは管理職なので、周囲の目もあるし、残業時間の制限もないし(=残業代つかない)、サポートをもらうのでなく、本来はサポートを与えるリーダーとして仕事に取り組まねばならないことを承知してください。」

と言われて、すこしむっとときました。人事としての立場、そしてわたしのポジションを考えての発言だったんだろうけど、復職後の復活途中でまた新しい業務で不安を持っている人に対してきびしいコメントだなあ、もう少しあたたかみのある言葉がないのかなあと思いました。

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うつになる前は、MBAもとったし、売上上げて利益出して成果出して、会社で昇格するか、転職してキャリアアップをして、ポジションやサラリーを上げることばかり考えてました。

うつになる前のバリバリだった時は会社内でチヤホヤされてました。うつになってからは今までの態度とは変わって冷淡にわたしと接する方もいました。その方はわたしの社内でのポジションやパワーを見ていたのでしょう。

復職したあとはそういう態度の人がもっと増えるだろうなあと復職直前は不安でしたが(復職交渉中の人事部がそうでした、うちの人事部は冷たいです)、そういう態度をする人もいくぶん拝見すると感覚が麻痺?して慣れていきました(慣れちゃいけないのかもですが..)。

うつになって自分の体と立場が弱くなって、初めて、会社(の人たち)は社員に対して冷酷なところがあると気づきました。さらに、リワークで一緒だった他の会社の人と比べると特にうちの会社はドライで冷たい会社であることを痛感しました。

でも、一方で、「復帰してよかったですね」とおっしゃってくれた方もいました。わたしを古くから知っている方、特に社内のポジションやパワーと距離をとっている女性の方(若い女性はいない)に多かった気がします。

病気になる前は、わたしはそういう方に対してあまり自分の視界には入れていませんでした。弱い人への暖かい心を持っている人がかけがえのないことに、おそまきながら気づきました。自分もそういう心を持ち続けたいです。

会社の方向性と、人間としての生き方・考え方で、矛盾する関係の中、うまく『バランス』を取ってじょじょにゆっくりと前に進んでいきたいと思います。

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▼ うつの状況→さらに減薬成功、食欲・体重は減少▼

2015/12/23で、退院してから1年経過しました。2015年1月は、自宅からリワーク先(NTT東日本関東病院)五反田駅まで毎日満員列車に揺られ通うことに強い不安を感じながら本格的なリワークをスタートしました。

●現在の服薬

サインバルタ:朝1錠。2錠から減薬。全く飲まない日もあります。

レンドルミン1錠。(睡眠導入剤

マグラックス1-2錠。(サインバルタ副作用の便秘解消)14錠から減薬。

休職中の入院前は眠剤だけで11種類飲んでいました。入院前の日々は起きてるときもどよーんとしてて一日中ほとんど廃人でした。それを考えると今の服薬量は感慨深いです。

koyamanglobal.hateblo.jp

 減薬に成功した要因は、日々あまり考えすぎないよう公私共に忙しくしたのがよかったのかもしれません。定期的な運動(水泳)、読書&映画(後述)もいいと思います。土日もけっこうスケジュール埋めてましたが、忙しい中で公私の『バランス』が取れていたのではと思います。

一方で疲れは蓄積されてきているなと感じています。そのせいかどうか分かりませんが、食欲は一時期のなんでも入る感じから減退しています。飲むのやめたセロクエルジプレキサは、副作用で食欲増進作用があり太る場合も多いそうですが、わたしの場合、これらをやめたせいでもないかなと思っています。
へんな言い方ですが、この歳になって初めて、大食い・太ることができてうれしかったので食欲減退は正直残念です。年末だけではなく11月にも胃の調子が悪かったことがあるので、胃の検査が必要だと思いました。体重は年末に胃腸を壊したのもあってMAXから減り、スーツのパンツがゆるくなってきました。

 

出張・旅行→国内だけど結構行けてよかった▼

復職後の2015年の後半は国内出張と国内旅行にたびたび行けました。
名古屋、横浜・鎌倉(近いか)、京都、浜松、大阪、広島、富山、北海道。

 ↓  10月18日の京都・嵐山   ↓

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 休職期間中は、浜松(以前住んでいた)が一番遠いところだったので、東京から飛行機で広島や北海道に行けたのはうれしかったです。11月初旬に北海道に行った時、うつになった経験がある友だちから、

「うつで休んでいるとき気分転換にいいかなと思って北海道にも旅行で来てたけど、〇〇〇さん(わたし)はどうだっの?」

と聞かれました。
「ムリムリムリ」

私は休職中はまったくそんなパワー・エネルギーは無かったです。休職して間もないときは最寄駅から急行でたった10分の池袋に行くことさえできなかった。電車に乗ること自体こわかったです。

北海道に10年ぶり以上に行って、富良野の「北の国からの風景を初めて見ることができてうれしかったです(初期のシリーズから欠かさず見ていました)。

 ↓ 11月7日の北海道・富良野 ↓ (寒かった、快晴でよかったです)f:id:koyamanglobal:20160106012059j:plain

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 このときに、親しくしていた方から休職中に「北海道に行ったことがないので行ってみたい」とたびたび言われていたことを思い出してました。チカラ振り絞って一緒に行ってあげたらよかったかなと思いました。一方で、当時のわたしのエネルギーでは全くできなかったし、出発したとしてもすぐ心身さらに壊しただろうし、申し訳ないけどしょうがなかったかなあとも思いました。

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旅行ではないのですが、12月初めにモネ展に行きました(美術館行くの好きで都内の美術館に休職中ときどき行ってました、美術館は行けた)。終了前の時期だった為か、すごい人の行列で入場するのに30分以上待ちました。わたしもその1人ですが、日本でモネの絵が展示される展覧会は人がたくさん来ます。

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( 上の写真左がその1枚になります)モネが白内障にかかってから取り組んだ情熱的な色調の絵(ぼんやりとしか目が見えないので絵がより抽象的に変化している)を初めて見ました。鬼気迫ってくるパワーを感じました、今までわたしが見たモネにないものでした。モネは昔から大好きな画家さんですが、新しい発見でよかったです。

 

◆◆◆読書について◆◆◆

 

最近、1週間に1-2回、発作的に夜にアマゾンでポチッと簡単に購入してしまいます。床が本の積読・散乱状態になり、収拾がつかなくなってきております。

 

2015年上期・芥川賞受賞作『火花』『スクラップ・アンド・ビルド』

 

 ●『火花』 又吉直樹  

火花

火花

 

 まだまだ売れているようですね。220万部?すごい売り上げです。

芥川賞受賞の直前か直後、15年の夏に読みました。佐藤優さんは芥川賞を受賞する前に『火花』を絶賛されていました。キンドルに入れてときおり読み返しているとおっしゃっていました。

わたしの読んだ印象は佐藤さんとは違って、これほどの大ベストラーになるほど内容があるのか正直よくわかりませんでした。アマゾンでもそれほど評価高くないです。

吉祥寺が好きで、売り出し中の芸人先輩と後輩の関係。中央線。大の缶コーヒー好き。特に事件が起きるわけでもなく、10年間くらいの日常の断面をそっと切りとってやさしく見せてくれます。

 ●『ダ・ヴィンチ 2015年7月号』 

 7月号なので発売されたのは6月ごろで、芥川賞発表前です。わたしは又吉さんの芥川賞受賞後にアマゾンで買いました。50ページに及ぶ又吉さん絶賛特集!で、多くて読み切れませんでした。中村文則さん(芥川賞作家)が大好きなようですね。やはり大ファンである太宰治さんに対するコメントも2ページにわたって紹介してあります。

 

●『第2図書館係補佐』

第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)

第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)

 

 50冊ほどの本を3ページで紹介。ほとんどの本が小説です。その本に触発されて思い出した又吉さん本人のエピソードを書いたエッセイだと思います。わたしは「火花」よりこちらのほうが読み易く興味深かったです。アマゾンでもこの本の方が「火花」より評価高いです。

 

●『女生徒』 太宰治

女生徒 (角川文庫)

女生徒 (角川文庫)

 

 夏に近所の本屋で太宰治さんの文庫本が平積みされていて、何冊かほんの少し手に取ってほんの少し読んでました。その後、又吉さんの愛読書『人間失格』より読みやすかなあと思って、「女生徒」をアマゾンで買いました。30ページくらい読んでほったらかしになり、あとは放置です。太宰さん、わたしにはだめだったかも。

 

『第2図書係補佐』の巻末の中村文則さんとの対談で、若いとき太宰を読む前に芥川龍之介の『トロッコ』と『羅生門』を読んで「ほかとは違う」と感じたとのこと。発作的に、芥川さんも2冊アマゾンで購入。

●『羅生門・鼻』 芥川龍之介

羅生門・鼻 (新潮文庫)

羅生門・鼻 (新潮文庫)

 

  ●『地獄変・偸盗(ちゅうとう)』

地獄変・偸盗 (新潮文庫)

地獄変・偸盗 (新潮文庫)

 

 2冊合わせて読み終えたのは、(昔読んだことのある)『羅生門』だけでした。読んだことのある方はおわかりだと思いますが、『羅生門』はたったの20ページほどの短編です。これだけ読んで、あとは読まずやっぱり積読・放置になっておりました。太宰さんの『女生徒』と合わせて3冊が部屋のどこかへ行ってしまてて、今回部屋から探し出すのに時間がかかりました。わたしには古典小説は無理なのかな。。

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●『スクラップ・アンド・ビルド』羽田圭介

スクラップ・アンド・ビルド

スクラップ・アンド・ビルド

 

うーーん、「火花」より、正直、さらに分からなかったです。介護の祖父に対してわく無職の主人公の感情。筋トレが好きな主人公。セックスも筋トレ感覚で臨む主人公。芥川賞受賞直後、作者の羽田圭介さんを、TVで拝見しました(バラエティー番組)。女性司会者に対し、なぜか、いきなり腕立てをしてみせた。主人公と同じやん。

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1月6日(水)24:00〜25:00にNHK Eテレで再放送(11月7日初放送)していた「SWITCHインタビュー達人たち 羽田圭介若林正恭(オードリー)」を見ました。

<興味深かったコメント>

「作家は割に合わない。若い人が作家になりたいと言って相談してくるがやめろと言っている。小説にとっては今は悪い時代です。」

「パソコンに書いた下書きをプリントアウトして、1日のほとんどをプリントアウトした紙に手書きで直しを入れている。その繰り返しばっかです。」

「作品の出来は自分が一番よく分かる。イマイチの時は他の人の評価も良くない。」

「作品を書くときは、関係者に取材を行う。ただし、生々しくて良かった話しは、やっぱり活字にしないでと当人からよく言われるので対策を考えました。自分で想像も含めて書いた内容を見せて、だいたいこんな感じですよね?と聞いて、そうですと返事をもらったらそのまま書いてしまいます。それは私が書いた内容であって取材で聞いた内容ではないから書いていいんです。」

(純文学作品で取材を丁寧に行っていることが意外でした)

 

↓(これはわたし読んでいないです、番組中オードリーの若林さんが紹介)↓

↓ SM業界の取材を丹念に行い、世に出すまで3年位かけたそうです。↓

メタモルフォシス (新潮文庫)

メタモルフォシス (新潮文庫)

 

 若林さんは、あー見えて(すみません)実はかなりの文学好きで羽田作品もかなり読んでいるようでした。

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『スクラップ・アンド・ビルド』は、自宅での羽田さんのおばあさんの介護経験がきっかけで、作品にしようと思ったそうです。やはり介護関係者にかなり取材をされたそうです。『スクラップ・...』読んでいるときに、関係者を取材してあることは正直全然感じなかったです。思ったのは、これだけ手間&時間をかけて作品を世に出していても、世の中に大きく認知されるまでにかなり時間がかかっていることでした(羽田さんは17歳で文芸賞を最年少で受賞、それからたびたび賞の候補になった後に15年で29歳のときに芥川賞受賞)。世に認知されるのに時間はかかるし、わたしみたいな鈍感な読者はいるしで、羽田さんおっしゃるように小説家って割に合わない職業かもしれないですね。

 

「今まで全然本が売れなかったので、芥川賞を受賞してから本の売り上げを増やすためにテレビに出ているけど、売り上げにはさほど影響はないみたいです。芥川賞受賞そのものが効いているようです。今は芥川賞受賞っていう『ブースト』で私の作品群の売り上げ増えてるけど、もうすぐその効果も切れます。そしたらまた途端に売れなくなりますよ。」

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「僕が高校生の時、綿矢りささんが最年少で(19歳)で芥川賞受賞して大騒ぎになった。それをテレビで見て、めちゃめちゃ焦って作家になろうと決心して、作品を猛烈に書き始めた。」

しょうがの味は熱い (文春文庫)

しょうがの味は熱い (文春文庫)

 

 復職前後の5月か6月に読んだでしょうか。彼との結婚を夢見る女性の日々の感情のうつろいをつづった短編小説です。あっさりと読み易かったですが、一方で、文体が引っかかってこなかったです(贅沢かな?)。読んだあとに何かは残りませんでした。

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実は、この本を読むまで、綿谷りささんが、最年少で芥川賞を取ってたことを知りませんでした(調べたら2004年に19歳で受賞)。わたしは、その時は名古屋で仕事にがんじがらめに時間と体を拘束されていて(ビジネス本や政治経済本は多少読んでいましたが)、時間と心の余裕がないのもあって小説は興味を持てず全く読みませんでした。

この本を読んだ限りなので、不遜・失礼を承知で申し上げますと、わたしには芥川賞作家の名にふさわしい内容とは思えなかったです。ただし、上の古典小説に対するコメントでお分かりのようにわたしの小説読解力はまったく足りてないので、あてにならないコメントだと思ってください。。

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村上春樹さんを、遅まきながら読み始める▼

15年の11月くらいから、遅ればせながら、村上春樹さんの著作をぽちぽちと読んでいます。以前、 身近にいた方から、休職中に、村上春樹さんの本を何度も勧められました。その時は症状もあり、小説を読むパワーがなく読めませんでした。

昔々、社会人になりたてか大学卒業前の時に『ノルウエイの森』を読みましたが、暗い内容がいやになり、村上さんの本は読まなくなりました。

2015年は読みやすいエッセイ系の本を数冊出されました。本格ファンの方にとっては邪道でしょうが、私はそれらの読みやすい本から村上春樹さんの再デビューをしました。『ノルウエイの森』を読んだときは感じなかったのですが、読みやすい文でした。推敲とエイジングを何回も重ねた文体と内容について、第三者に何を言われようが動じないぶれない絶対的な自信に、尊敬の念を感じました。自分と向き合うことのたいせつさを強調されているところが印象的でした。

小説も1冊2冊読むことができて、昔の『ノルウェイの森』にいだいた村上春樹さんのいやな印象がなくなっていきました。わたしは『火花』『スクラップ・アンド・ビルド』や太宰や芥川より読みやすかったです。あと、余韻が残りました。単純に相性とも言えますが、村上春樹さんが長い間人気あるのも少しわかった気がします。なんででしょう、文体なのかな?

もう少し読む量を増やして考えも熟成させて、別で取り上げる機会があればと思っています。

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▼小説とビジネス書について、『バランス』▼

 

うつになって休職する前のバリバリに働いていた頃は、 『生きること』と『働くこと』はほぼイコールであると考えていました。給与・昇進・ポジションなどの社会的立場や、やりがい・使命・志が最も大事なこと強く思い、それらを追い求めていました。まだまだ追いついていないと、仕事に転職活動に懸命に120%フルスロットルで3-4年がんばって、体調変だなと気づいたときはうつになっていました。

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15年から読み始めた佐藤優さんは著作で、

「努力が必ずしも世の中や人生で報われるとは限らない。理不尽な世の中や人生に対して、心が折れない防御策としての『生きる』知恵を小説や映画で代理体験して身につけることをお勧めします」と書かれていました。

極端な捉え方になりますが、『生きる』処方箋=小説(映画)、『働く』処方箋=ビジネス書、なのかも知れないとも思いました。佐藤さんの文を読んでから、『生きる』ために小説を読んでみようと思いました。しかし、前述のように読解力不足と相性で読めない小説もかなりあることが分かりました。

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最近、ビジネススクールの友だちと読書について話しをしていたときに、フォトリーディングは小説には使えない」と言っていました。

わたしも受講したことがあるのですが、フォトリーディングは、ビジネス書や自己啓発書などの本の重要な箇所を効率よくスピーディーに目と脳にどんどん投げ込むメソッドです(重要でないところは捨てていく)。捨てるところのない端から端へ読む必要のある小説には、確かに通用しません。

小説=『生きること』は小さなこと含め全てだいじなこと、ビジネス書=『働くこと』は重要度の高低をつけて捨てるものもある、と言えるのかもしれません。

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さらに、佐藤優さん・村上春樹さん・池上彰さんは「すぐ効く内容の本は時間が経てばすぐ効果が消える」 とおっしゃっています。休職前のわたしは時間投資効率を求めて小説を避け、すぐ効くビジネス書を読み漁っていました村上春樹さんは、読むのはほとんど小説でビジネス・自己啓発・ノウハウ本の系統はいっさい読まない、とおっしゃっています。

例えるなら、小説=漢方薬、ビジネス書=解熱薬、なのかな。

わたしは村上春樹さんまで小説一辺倒はむずかしいので(仕事の関係上ビジネス書も読まないといけない)、ビジネス書と小説の『バランス』を上手に取っていきたいと思います。

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 ●『戦略読書』三谷宏治

戦略読書

戦略読書

 

ビジネススクールに行ってたとき、三谷さんの講義を受講したことがあります。他の先生と比べると、講義スタイルに独特のものがありました。何か違うなあ、、と。

「みんなと同じ本を読んではいけない。私たちは読んだ本でできている。自己啓発本・ビジネス本・ノウハウ本・経営書ばかり読んでも、それらを読んでいる人と同じになる。コモディティになる。差別化できない。何を・いつ・どう読むかを戦略的に考えた自分仕様の読書が必要。」

三谷さんが小説だけでなく漫画も読んでいるのは意外でした。多忙なのにどうやって時間を作っているんだろう?と思いました。自分独自の読書ポートフォリオ形成が重要で、ビジネス書だけでなく小説(三谷さんの場合漫画も!)を読む重要性がわかりました。

 

 

◆◆◆映画◆◆◆

 映画鑑賞は中学生の頃から大好きで、うつになってから3年間映画館へ行けなくて欲求不満がたまってました。やっと2015年に再開できてうれしかったです。また、先ほどの佐藤優さんのコメントのように、代理体験して『生きる』知恵を身につける観点からも映画鑑賞は有意義だと思うようになりました。

 

●2015年鑑賞映画●

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8月15日 「終戦の日」

 

今日(8月15日)は、「終戦の日」です。

当時、どういう報道がされたかググってみたら、朝日新聞も、讀賣報知新聞もほとんど同じでした。

天皇陛下昭和天皇)による戦争終結(終局)の聖断発せられる、帝国(大日本帝国)は四国宣言(ポツダム宣言)を受諾、と書かれてあります。

ただ、勉強不足も相まって、なぜ、今日を「敗戦の日」としていないか、これまたググってみますと...

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11111906281;_ylt=A2RAj5Vjgs9V53sA9VAYAPR7?pos=5&ccode=ofv

1945年

◆8月15日:

昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送、いわゆる玉音放送により、日本の降伏が国民に公表され戦争が終わった事を知らせた日=終戦記念日

◆8月14日:(8月10日と書いてあるとこもありました)

政府が連合国各国にポツダム宣言の受諾を通告した日=敗戦確定した日。

◆9月2日:

ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日

=正式に戦争が終結した日。

 

◆1952年4月28日:

サンフランシスコ平和条約の発効、国際法上、連合国各国と日本の戦争状態終結した日

 

上の定義によれば、「敗戦の日」を設けるならば、8月14日(10日?)が適切なのでしょうか。

もっとも、自国民の自尊心を損なう表現は、政府・マスメディア双方控えてきたという捉え方もできます。

ちなみに、ロシアなんか、「第二次大戦勝利(独ソ戦勝利)の日」を祝ったり行事をしたりしても、「日露戦争終戦(敗戦)の日」は別段行事をやらないでしょうね。

 

ナチス関連の本を読んだいたせいもあって、時間があまり取れず、日本のほうはあまり手を付けられなかったのですが、、、興味があった本、、少し読むことできました。

撤退戦の研究 (青春新書インテリジェンス)

撤退戦の研究 (青春新書インテリジェンス)

 

 いかに、太平洋戦争時の日本軍が戦略を軽視して、官僚化した人事を行い、戦線をむやみに拡大していったか、断じています。そして、その当時の日本軍の傾向は、現代の日本企業・政治にも残っているとおっしゃっています。

 

 

 筆者は、「原爆投下は人体実験だった」「日本に対するホロコーストだった」とおっしゃっています。

わたしが思うに、アメリカは、どんな働きかけをしても、原爆投下に対して日本に謝ることはしないと思います。

日本人は、「謝って水に流す」という考えをしますが、外国の方々にとって、「謝ること=自分の非を認めること=自分は間違っていたことを認めること」になるからです。

わたしの仕事でも、日本のお客さんに対して、不具合や未納を出しても、なかなか謝ろうとしないドイツ人や外国人をまじかに見た経験が何回もありました。。

 

 

完全版水木しげる伝(上) (講談社漫画文庫)

完全版水木しげる伝(上) (講談社漫画文庫)

 

 

完全版水木しげる伝(中) (講談社漫画文庫)

完全版水木しげる伝(中) (講談社漫画文庫)

 

 これは、漫画です、上中下巻ありますが、筆者が兵士として従軍した太平洋戦争を描いてるのは、上中巻です。休職しているとき、本があまり読めない時に、上中下巻をブックオフで買って読みました。今回改めてざっと読んでみました。絵が柔らかくペーソスがあるストーリーで、肩の力が抜けて読むことができました、おかげで戦争に入る前から終戦までとおしで、戦争の悲惨さ・深刻さを、筆者の目線で知ることができました。

 

nihon-ichi.jp

ヒットしているようで、今週、丸の内ピカデリーで観てきました。

大きな映画館でしたが、結構お客さんは入っていました。

昭和天皇の聖断が発せられる瞬間までをドキュメンタリータッチで描いた映画です。

終わるちょっとまえから、近くの席で年配のかたが泣いているような音を聞きましたが、(不謹慎かもですが)わたしはあまり感じませんでした。

陸軍の長、阿南陸軍大臣を、役所広司さんが演じています。

部下の陸軍の人たちの戦争継続の強い要望によるプレッシャーと、山崎哲さん演じる鈴木首相、本木雅弘さん演じる昭和天皇の、国体護持のもとでの(陸軍は国体護持が保証できないので戦争継続=映画では「戦争完遂」を主張)(ちなみに、「戦争完遂」って、どういう定義なんでしょうね?)戦争終結派の板挟みにあって、悩みながら行動する役柄をすばらしく演じられています。わたしは、この映画の主役は、阿南陸軍大臣で、彼の苦悩を観る映画だと感じました。

映画の終盤、玉音放送を阻止するべく、陸軍がクーデターを図ります(宮城事件)。

わたしは、最後まで陸軍は暴走が止まらなかったんだな、陸軍(海軍も)の暴走を止められなかったので、日中戦争や太平洋戦争が延々と続いて、外国や日本の犠牲者が膨大な数になったんだと感じました。

 

 

 

ちなみに、話しは飛びますが、昨日の、テレビ朝日田原総一郎さんの司会の「朝まで生テレビ」で、猪瀬直樹さんかどなたかおっしゃっていて、興味深いのがありました。

A級戦犯 - Wikipedia

極東国際軍事裁判に起訴された被告人(いわゆるA級戦犯)28名(うち3人は病死等)

●1946年4月29日(昭和天皇の誕生日):起訴

●1948年11月12日:25名に判決

●1946年12月23日(当時皇太子=現在今上天皇の誕生日):25名のうち7名、死刑執行

上のWikiには推測の域を出ないと書かれていますが、昭和天皇誕生日と今上天皇誕生日の二つに起訴と刑執行を行って、偶然だったと言えるのでしょうか。

 

 

 

今回もまたテーマが大きく深く、結論は、人それぞれだと思います。

 

何かしら、考えて頂けたら幸いです。

 

ここまで、お付き合いいただきありがとうございました、ではでは。

通院とパンダ (うつうつ日記⑪)

 

今回は、今日(8月14日)に過ごしたことについて、ゆる〜く書きます。

今日は、朝一で精神科への診療の日でした。世間はお盆休みですが、こちらはやっています。ただ、やはり、いつもより、患者さんの人数は少なかったです。
前回、眠剤を、効きが長いユーロジンから中程度のレンドルミンに変えてもらいました。眠りの長さ深さ、ユーロジンの時と別段変わらず眠れていたので、そのままレンドルミン変えずに。
あと、前々から主治医の先生から言われていた、朝食後の抗うつ薬SNRI)のサイバルタ3錠を2錠に減らすこと(先生は薬によってわたしが過活動になっていると判断して、前から減薬を主張されていた)は、わたしから一日ごと3錠と2錠に交互に飲む提案をして、納得してもらいました。前に、3錠から2錠に減らしたときは(4月)、がくっと意欲が減少したトラウマ?があったので、折衷案として1日あたり2.5錠にしました。
 

tabelog.com

このお店は、リワークに行っている期間に、リワークで仲良くさせて頂いた方々と、一緒によく行っていたお店です。
ここのお店のわんたんは、写真にあるように、レンゲでわんたんを取って、小皿に入れたしょうが汁かラー油につけて、頂きます。わんたん麺は、塩味がお勧めです。今日も暑い日で、麺類はどうかな〜と思いましたが、久しぶりに行って、おいしかったです!リワークの期間は、瓶ビールを一本だけ、よくみんなで頂いてなあ〜^^。



  • 夕方〜夜:上野動物園 真夏の夜の動物園(〜20:00)(8月16日まで)

www.tokyo-zoo.net

 モトカノ(と言う歳でもないですが)が、ハシビロコウ(全然動かない鳥)を見たいと言って上野動物園に行きたいと言ってきて、わたしはパンダを見たい(この歳で生でみたことなかった)となって、今日、上野動物園に行きました。

 

ハシビロコウ

明かりは全くつけていなくて、暗闇で、なんとか探して見れました。柵の前に、けっこうお客さんが集まっていて、、あそこ、あそこと騒いでいて、やっと分かりました。モトカノは、、「へ??どこ??どこ??」と言って、全然分からなかったですが、わたしが指さして、やっと分かって、いたいた!と興奮しておりました。

モトカノはiPhoneで何枚か写真を取りましたが、判別できる明るさではなかったです。

ハシビロコウ、思ったより小さかったです。やはり、全然動かず、暗闇で見ると、石か銅像?のように見えました。

それでも、モトカノは、「見れた!見れた!」と言って興奮しておりました。

 

分からない方々のために、ネット画像でのハシビロコウです。

 

う〜ん、やはり、あまりかっこよくないと思うな〜、どこがいいんだろう? 

 

 

◆パンダ

部屋がこうこうと照らされていて、見れました。初パンダ!

 

まずはじめ、シンシン(メス)は、、、もう、、寝ていました。。

でも、かわいい、、ぬいぐるみのよう、ほんとに生きとるのかいな?という感じ

 

つぎ、リーリー(オス)は、、たくさんのお客さんがいる前で、、平気で笹をばくばくと喰らっていました。うーーん、、でも、、やっぱり、、かわいいなあ

そう言っているときに、、おしりの下に見える、緑の「物体」が出てきました、、、

分かるでしょうか??

はい、リーリー、「うんち」をしました!。

笹をばくばく食べながら、肛〇を真っ赤に全開させ、、たっぷりのうんちをされてました。強心臓というか、なんというか。。

子供たちが、「うんちしてる〜、うんち、うんち〜!」と連呼してました。

 

リーリーの他の写真です。

 

終盤で(にわか)雨が降ってきて、けっこう濡れてたいへんでした。あとは、カンガルーやサルあたりを見て、あとはいいやと足早に帰りました。

モトカノは、途中の売店で、パンダのクッションとぬいぐるみをゲットし(わたしが買ってあげた)、、子供のように喜々としていました。

 

わたしも、はじめてパンダを見れて、よかったです、童心にかえれました。

 

では、今日はこのへんで、ではでは〜。

『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』エマニュエル・トッド

http://www.flickr.com/photos/9361468@N05/19070110643

photo by quapan

 お久しぶりのアップになりました。

  • 主治医の先生にも早寝をきつく言われたが、結局守ったのは3-4日ぐらい
  • 仕事も、変わらず8:15-19:00のペースが続き、忙しくなる(忙しくしてる?)
  • 昼間、仕事でメールをたくさん打って、疲れて帰ってきて、それからウチでもパソコン開いて、ブログを書く気にはならなかった
  • 次のブログのテーマは、「うつうつ日記」をひと休みにして、標記の本を取り上げようと決めていた
  • 実は、わたしの勤めている会社は、ドイツの会社
  • わたしは、自分の会社を離れて、一般的に「ドイツ」というと、どうしても「ナチス」を思い浮かべてしまう
  • この機会に、標記の本だけでなく、自分の会社のこと、及び(第二次世界大戦終結後70年ということもあり)、ナチスに関する本も、取り上げてみようと思った
  • ただ一方で、テーマが、広く深い重いものになってしまい、書く手が重くなった
  • 今週はお盆休みで、書く余裕が生まれた

この本を、約1か月前に読んでいました。

 なかなか売れているようです。ここにきて、EUのリーダー、インダストリー4.0を展開など、日本にとっても、ドイツは大国としての地位にあがってきた印象で、今後ドイツをどう位置づけたらいいか、素朴な疑問があるのではと思いました。

  • ドイツが、ここ5年で経済的に政治的に、ヨーロッパのコントロール権を握った
  • フランス・オランド大統領は「ドイツ副首相」(著者のトッドはフランス人)
  • 最近のドイツのパワーは、かつて共産主義国だった住民を、EUの東方拡大によって、資本主義の中の労働力とすることによって形成
  • 「ドイツ圏」の規模は2億人
  • ガスパイプラインの真の問題は、ウクライナを通過していることではなく。到着点がドイツにコントロールされていること
  • 自分たちが一番強いと感じるときには、ドイツ人たちは、より弱い者による服従の拒否を受け入れることが非常に不得意
  • ロシアをみくびってはいけない
  • オランドは「マルク圏」の地方代表
  • 真の権力中枢はメルケルでなくドイツ経済界
  • フランスが発明し、ドイツ人が利用したユーロ
  • 日本の文化が他人を傷つけけないようにする、遠慮するという願望に取りつかれているのに対し、ドイツ文化はむき出しの素直さを価値付ける (同意です)
  • 反ユダヤ主義と新ユダヤ主義がユダヤ人問題への病的なまでの過剰な関心の二つのバージョンであるように、ドイツ嫌いとドイツ崇拝はドイツを大真面目に捉えすぎる傾向の二つの様態であり、このことは問題を悪化させる方向へ働く

 

わたしの会社は上述のように、ドイツの会社です。

わたしが20〜30代前半の頃は、まだ創立数十年の伝統ある?日系の会社だったんですが、90年代後半から徐々にドイツ資本が入っていき、最終的に買収されました。結果、勤めていた会社はドイツの子会社になりました。それと前後して、本社からドイツ人も次々と来るようになって、そこらじゅうにドイツ人(や外国人)が居るようになりました。わたしの上司が、ドイツ人だったこともありました。

あまり、ドイツをご存知でない外部の方で、「日本人とドイツ人は似ているところがあるから、やりやすいんじゃない?」なんておっしゃる方もいるのですが、私に言わせると「全然ちがいます」

人の違いというか、企業統治システムが決定的に違います。そして、どうしても,わたしは、弊社のドイツの仕事の仕方に、なじみません。(ドイツ人の中には、個人的に好きな人や尊敬する人も、もちろんいます)

飛びますが、なんせ、学生時代のときから、サッカーワールドカップでドイツが嫌いでした。カラダがでかく身体能力に優れているところを活用し、ごつごつ当たって、そして絶対あきらめない「不屈のゲルマン魂」に、畏怖と不気味の感情がないまぜになって、生理的にどうも好きにはなれませんでした。

就職して、十数年たって、よりによって、自分の勤めている会社がドイツの子会社になるとは思いもしませんでした。


  • トップダウン、本社(ドイツ)による中央集権、大きな戦略はドイツが決める
  • ボトムアップはなし
  • 例えば、現場レベルからの新規事業創出なんて話は、ドイツの会社になってから聞いたことがない
  • 新しいビジネスやM&Aなど、ドイツ本社がほとんどすべて決める
  • 日本法人は、ほとんどドイツ本社上層部の方針・戦略に従い、オペレーション(=売上・利益の向上)をこなすだけ
  • 世界の子会社(日本法人)の上層部は、ドイツ本社の意向に従った人間またはドイツ人がつく
  • ルールをこと細かいところまで設ける(設けないと落ち着かない?)
  •  データでとにかく重箱の隅まで社員を管理(人事管理も全世界ドイツルールで統一)、日本人からすると病的なほどの細かさ、よく言えば徹底的にITを活用
  • 社内の階層をきっちりと設けてヒエラルキーを厳然と設ける(これは日系企業も同じかな)
  • 話しが長い
  • 質実剛健、悪く言うとファッションセンスはない
  • (ドイツだけでなく欧州全体)長期の休みに入った人のリカバリー、引き継ぎがないことが多い。お客様への納入が絡む生産管理部がこの状態になると、日本サイドはお客様への未納を防ぐため、怒りをこらえながらだいたい休んだ人の上司へエスカレーション

いいところ

  • 日系企業よりは休暇は取りやすい、かな(もちろん、社内のドイツ人は日本人より休む、夏や年末年始に3~4週間休むドイツ人もいる)
  • 女性の活用に熱心

 

 あと、今のドイツの方々には関係のないことなんですが、わたしはドイツというと、ヒトラーユダヤ人のホロコーストアウシュビッツのことを、時々思っていました。それだけ、抗しがたい負の魅力があるということでしょうか。

ちなみに、今の会社で、ドイツ人にナチスについて話したことはまったくありません。ドイツ本社からの社内報みたいなもの、又はイントラによるニュースでも、取り上げられたことは1回もありません。触れるのはタブーのような感じです。

まあ、今のドイツ人の方々にとっては、触れられたくない話しなんでしょう。


犠牲者の多寡で言えば、

というふうにも言われて、スターリン毛沢東のほうが、犠牲者の数で言えば、ナチス・ドイツよりはるか上です。

でも、中国人やロシア人見ても、毛沢東スターリン(の虐殺)をほとんど思い浮かべないのは、なぜなんでしょうか。関連本を読んでみました。

わたしの要約&結論は、

「虐殺のための工場を国内外に多数(数百?)(工場への鉄道も)造り、ナチス初期の1920年代から党是にあげ、ある人種(ユダヤ人)の根絶のため、虐殺を工場生産のように計画的に行ったのは、ナチス・ドイツのみである。これは戦争犯罪(戦争にともなった殺害・虐殺)でなく、人道に反する犯罪である」

こう定義すると、上のスターリン毛沢東のおびただしい犠牲者に対しても、質的にはなんら劣ることのない犯罪ではないかと思いました。

 

 以下、関連する本・映像です。

日本とドイツ ふたつの「戦後」 (集英社新書)

日本とドイツ ふたつの「戦後」 (集英社新書)

 

日本と比べてドイツは偉い、よく反省している、日本は反省が足りない、という本でした。 昔、よく言われたパターンですが、日本とドイツを比べる意味が良く分かりません。ドイツのような、戦争とは別に(並行して)計画的に、ある人種を根絶させようとしたことは、日本にはありません。

 

 

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

 

 これは、ナチスが誕生する第一次世界大戦後から丁寧に書かれており、参考になった本でした。ヒトラーナチスは、用意周到に合法的に選挙をもって、政権を取ったことがよくわかります。もう、ここで、早くもおなかがいっぱいの感じになりました。

 

ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書)

ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書)

 

 ホロコーストがどのように実行されていったかを検証する本です。少し読んだだけで、おなかがいっぱいになりました。

 

ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)

ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)

 

 どういう技法で、ヒトラーは大衆の心・票をつかんでいったのか分析した本です。分析して、本にするまで、関係者にかかった工数がかなりの量です。これも読了まではいたりませんでしたが、著者・関係者の努力に頭が下がります。

 

 

 上の本と、下の本はアウシュビッツから生還した方の手記です。「夜と霧」は有名でレビュー見ると絶賛の嵐で、試しにちょっと前に読んでみましたが、あまりピンときませんでした。著者のトーンがなんか第三者的な見方で(だから生還できたのかもしれませんが)、客観的で感動が薄いというか。。読了はしていませんが、上の「アウシュビッツは終わらない」の方が、生々しい感じがして、いいように思いました。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 

下は、94年に書かれた、ちょっと古い本です。ドイツの犯した罪と、日本の犯した罪は同列には論じられないと喝破しています。会社がドイツの会社になる以前に読んだ本で、この本で、決定的なドイツに対するアレルギーをもったのかもしれません。

異なる悲劇 日本とドイツ (文春文庫)

異なる悲劇 日本とドイツ (文春文庫)

 

 メリル・ストリープ主演『ホロコースト -戦争と家族-』DVD-BOX

メリル・ストリープ主演『ホロコースト -戦争と家族-』DVD-BOX

確か78年のテレビ作品です。この作品から、「ホロコースト」という名前が一般的になったそうです。もっと前から普及していた言葉だと思っていました、知らなかった。

ソフィーの選択 [Blu-ray]

ソフィーの選択 [Blu-ray]

これはアマゾンで見つけて、レビューで絶賛されてたものです。メリル・ストリープがこれで、アカデミー賞主演女優賞受賞。まだ見たことないので、いつか見たいですが、なんとDVD版がないのです。。

余談ですが、上の二つはいずれも、メリル・ストリープが主演ですね。メリル・ストリープロバート・デ・ニーロが出た、ディアハンターが確か’79年ですから、’80年前後はメリル・ストリープが絶頂期の頃だったのかもしれませんね。


NHKスペシャル 映像の世紀 第4集 ヒトラーの野望 [DVD]

NHKスペシャル 映像の世紀 第4集 ヒトラーの野望 [DVD]

’90年代後半にNHKで放送されたものです。このシリーズ、当時リアルタイムで見てました。当時の貴重な映像を淡々と中立に積み上げ、冷静なナレーションと加古隆さんの音楽が、悲劇を際立たせていた印象を持っています。シリーズ中、このヒットラーの回が、アマゾンのレビューで最も絶賛されています。やはり、ヒットラーナチス・ドイツの抗しがたい負の魅力なのでしょうか。検証のため、購入して、もう1回見たいのですが、高いのが難点です。


ここまで、やっと書きました。疲れました。

標題の本のテーマからどんどん膨らんでいき、負のエネルギーが大きすぎるテーマになりました。

あまり自分が勤めている会社を否定すると(それがいやで転職活動をたくさんしていたことがありました、転職活動たくさんやったのもメンタル病んだ一因です)、自分も否定することになると思うので、難しいところです。

一方で、自分の会社での経験踏まえて、及び関連本読んだ、

感想結論は、

「ドイツ(人)恐るべし」

日本も、見習うところは見習って、負けないようにしなければ、です。

今回は、なんかまとまりがなくなってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 

ではでは。

ちょうど復職1ヶ月で、「落ちた」 (うつうつ日記⑩)

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3連休は蒸し暑かったですね、梅雨も明けたし、いよいよ夏本番、わたしの苦手な季節です。この夏をどうしのぐか、復職ストーリーの大事な要素のひとつだと思っています。

◆◆◆◆◆

 

今回は、うつうつ日記ではない、違うテーマにして下書きも書いていたのですが、、やっぱり、うつうつ日記です。

そのわけは、、そのブログ下書きによる夜更かしのせいもあって、ちょうど復職して1ヶ月の7月16日(木)、職場で「落ちた」からです。

 

◆◆◆◆◆

ー落ちるまでの、この週の状況ー

  • 10日(金)夕〜11日(土)深夜の名古屋往復の疲れがけっこう残っていた
  • しんどかったが、いつもと変わらず、8:15に会社に入っていた
  • ブログをアップしてなかったが、この週寝るのが午前3時〜3時半だった
  • んで、起きるのは、6時半。睡眠時間、たったの3〜3.5時間!
  • この週は、睡魔がひどく(あたりまえだ)、たびたび席で、船を漕いでいた
  • 会議室へ逃げて、仮眠もとっていた
  • そこに、急に蒸し暑さが来た
  • 朝、駅から会社まで、暑さと眩しさと眠たさで、もうろうと半目で歩いていた

◆◆◆◆◆

ー16日(木)の状況ー午前ー

  • 前日の就寝も確か午前3時半頃。んで、這いつくばって起きたのは6時半(+_+)
  • めずらしく、副都心線で座れて、渋谷まで眠りこけた
  • 隣の人に傾いて、何回も腕で返されたけど、またやってしまうほど寝ていた
  • しんどかったが、いつもどおり、8:15に会社に入った
  • 今日で、復職1ヶ月!早かった!と、達成感・充実感
  • と思ったのもつかの間、9時頃から眠たくなって、早くも何回も船を漕ぎ始めた
  • 自分の小さいいびきに気付いて、たびたび起きていた
  • 10時半か11時頃、席でとうとう寝落ちした
  • 向かいの人には気付かれないよう、前にあるパーテーションより、頭を下に
  • わたしの席は、背中が壁、隣は左だけに同僚いるだけ、ばれにくい
  • 何分寝ただろうか、15分〜30分?全く記憶がない!
  • 起きたら、左隣の人が、上司と一緒に、席に戻ってくるとこだった
  • (左隣の人は上司と一緒に席を外すことは無い人なので)ぴんときた
  • ばれた!
  • すぐ、上司と一緒に席をはずして、休憩コーナーに行った
  • 「〇〇さん(左隣の人)、わたしのこと言ってませんでした?」と聞いたら
  • 上司はびっくりした顔した、なんで分かったの?という顔をした
  • 「チクるとかではなく、〇〇さんは、非常に心配している」と
  • 「とにかく、体調気を付けて下さい」と言われて、その場はおさまった

◆◆◆◆◆

ー16日(木)の状況ー昼ごはん時ー

  • いつもどおり、部の人たちと、社員食堂に行った
  • 今日は、豚肉生姜焼き定食(+小鉢2つつけても350円は安い)、ご飯は大盛り^^
  • いつもは速攻で食べれるのに、3分の1くらいで、異変発生
  • 頭がくらくらして気持ち悪くなってきた
  • 無理して、口の中に入れようとしたけど入らない
  • というか、吐きそうになってきた
  • こりゃやばいと思って、まだ半分以上あるのに
  • 「用事があるので、ちょっとお先に」と言って、席を立った
  • 席に戻って、以前飲んでいた、吐き気止めのナウゼリンを飲んで、席で休憩
  • 用があると言ったのに、席にいるのはおかしいけど、外に出るパワー無し
  • しばらくしたら、収まったが、休職前の状況に似た症状で、怖くなった

◆◆◆◆◆

ー16日(木)の状況ー午後ー

  • 吐き気は収まってきて、ひと安心だったが、ムカムカは残っていた
  • 頭はぼーとしていた
  • 席で仕事している振りをして、時間をやり過ごす
  • 14時からインドと電話会議をやったが、インド人達の英語としゃべりっぱなしに頭がついていけず
  • 電話会議が終わったら、上司に呼ばれて、別室でおはなし
  • 「明日、病院へ行って下さい」
  • 「大丈夫です」と一旦は言ったが、ここは素直に従った方がいいと判断
  • NTT東日本関東病院に電話したら、主治医のM野先生は、1週間の休暇
  • 代わりの先生の受診で、予約なしで来てもらうことになる
  • 代わりの先生で仕方がないとして、上司に説明し、納得してもらう
  • 自分の症状を詳しく説明したら、「つらくなったり眠くなったらひと言言ってもらえば休憩室で横になってもいい、午後のフレックス出社でもいい、在宅勤務でもいい、管理職等級だから(裁量労働制)8時間働かなくてもいい」と、色々な対案を親身に言われて、感謝、感激(?)
  • 逆に仕事があまりにないと眠くなるので、もう少し仕事を振ってほしいと主張
  • その日は、少し仕事を振ってもらい、結局早退もせず、定時まで居て帰社
  • 横にもならず、早退もせず、定時まで居れたことに、変な自信

◆◆◆◆◆

ー17日(金)の状況ー午前の受診ー

  • 診察した先生は、N井先生というかたで、女性の先生だった
  • 電子カルテをつくるタイピングがブラインドタッチですさまじいスピード
  • 少し怖かった(S系?)が、コメントは厳しく的確
  1. 22時か23時に寝なさい。入院の就寝は21時から6時半なのは、早い時間に寝て起きることで、それだけでも精神疾患の治療には有効だからです
  2. 残業をもうしているんですか。ダメです。残業はまだしてはいけません
  3. 1週間後、主治医のM野先生にもう1回診てもらって下さい。薬の変更などはそのときに

んーーー、おっしゃる通りですが、就寝時刻は早すぎる。今、このブログ、3連休の昼間にちょこちょこと書き溜めて、今終わりだけ書いて、終えようとしていますが、それでももう24時前だ。

◆◆◆◆◆

ー17日(金)午後からの状況、感想ー

上司に報告した内容は、

  • 22時か23時には寝ろと言われたが、22時は無理なので23時には寝たい
  • 朝早くに来るのはそのままで、帰りは18時に帰る(それでもほんとは規則違反)
  • 24日(金)、主治医の先生に再受診するよう言われたので、宜しくお願いします

まあ、特別なことを言われたわけではなかったので、上司はびっくりはしませんでした。

ただ、お互いに共有できた意見は、

「やっぱり、病院に行っといて、良かった」

 

同じ見立てでも、精神科の先生に言われるのは、やはり重みが違いました。

病院、さまさまです。

あと、NTT東日本関東病院・精神神経科の先生(今回N井先生は初めて話をしたと思う、入院中も数回見たかなという記憶しかない)、、今回のN井先生もそうでしたので、、改めてどなたも鋭く優秀だと思います。

前のブログにも書きましたが、うつやメンタル疾患で、重かったり長くに患ったときは、この病院、やはりお勧めです。

koyamanglobal.hateblo.jp

 早速、禁を破り、3連休は午前2時ごろ寝ていましたが、、平日はブログも控えて(せめて書くとしても下書きで一部分だけ)、早くに寝るようにしたいと思います。

 

お騒がせしました、お付き合いいただき、ありがとうございます。

明日も暑いでしょうが、体調に気を付けて、ぼちぼちいきましょう。

ではでは。

 

かけがえのない友との再会 in 名古屋(うつうつ日記⑨)

http://www.flickr.com/photos/37825748@N03/6572328233

photo by jessevaughan

先週金曜日10日は、仕事を少し早めの夕方17:20位にあがらせてもらって、品川から新幹線に飛び乗って、以前住んでいた(2002/1〜2008/6)名古屋に行きました。

  • 10日(金)夜:ビジネススクールで特に仲が良かった友達3人と飲み会(1人は4月に再会済だけどその時は2011年以来、もう2人は2012年春以来の再会)
  • 11日(土)午後から夜:ビジネススクールの卒業メンバーの中で3か月に1回行っている近況&ディスカッション会&飲み会(うつから退院後、15年1月下旬に12年春以来の参加、その後は4月、そして今回)

メールでやり取りはしていましたが、どちらの会でも、ありがたいことにみんな、わたしの回復と復職を喜んでくれました。11日(土)午後からの定期会は、1月から復帰して3回目だったので、もう定期的なやり取りに近くなりましたが、感動的だったのは、ほんとに久しぶりに会う2人を含んだ10日(金)夜の飲み会でした。

 

わたしが行っていたビジネススクールの授業は、1コマが2週間に1回(土曜日で1コマ3時間)の3か月、計6回が1クールで、MBAのコースは卒業に確か30コマ位必要でした。2コマ取ると、毎週受けるか、隔週で1日2コマ6時間受けるという(予習、復習欠かせず、授業中は発言の質・量の採点があり、最終回にはレポート提出)、それはそれはハードで、今の状態だったら絶対通えないものでした。

それで、名古屋の受講生の方々は、とにかく結束が強くて、授業の後の「懇親会」と称する飲み会がメイン(東京校や大阪校の授業も受けたことがあるので違いわかる)な感じもありました。

すごいときは、受けた午前クラス(10:00〜13:00)が終わって、昼食兼懇親会が始めり、延々とぐだぐだと飲み場所を変え飲み続け、午後のクラス(14:00〜17:00)の懇親会に合流して、まだ続けて夜のクラス(18:00〜21:00)の懇親会にも合流し、気づいたら夜が明けていたなんてこともありました。授業は二の次で、懇親会を楽しみに行っていたようなこともありました。飲み代だけでも、卒業までに2-300万位使ったのではと思います。まさに、学生時代のクラブ活動(ただし夜の)みたいなもんでした。

当然、それだけの時間、クラスでの苦楽(ほんとにきつかった、初めての受講から卒業まで5年かかった)、アルコールを共にして、絆が深い、ほんとに仲が良い友達が何(十)人も出来ました。特に、会社外での利害の無い絆は、かけがいのない、貴重なものでした。

 

その絆も、2010年春の卒業(2008年からは浜松から通っていました)後も続いていましたが、うつになり始めた2011年からだんだんと名古屋が遠のきました。そして、東京に転勤して3か月後に、うつが悪化して休職した2012年秋から、心身のエネルギーが決定的に枯渇し、スクールの友達とは(それも2-3人)最低限の連絡(メールで数か月に1回ぐらい)しか、取れなくなりました。

スクールの友達たちは、フェイスブックで近況を毎日のようにアップしていた(らしい)のですが、フェイスブックを見るというか開く気が起きませんでした。いきいきと活躍していたり、楽しいことをアップしているのを見れませんでした。

その後、自宅療養〜入院を経て(経緯は過去のうつうつ日記を参照ください)、昨年2014年12月に退院して、年が明けて1月初めにやっと、自分の写真をフェイスブックにアップすることが出来ました(それまでは写真なしの登録状況でした)。そして徐々に、フェイスブックを見れるようになって、仲が良かった女友達が転職したり離婚してたり、違う女友達がとうの昔に出産してたり、わたしと同じようにうつになった(わたしよりは軽かった)男友達が突然転職してたりとかを知って、完全に友達社会から隔絶していたことに、がくぜんとしました。

 

うつのつらいところのひとつとして、心身のエネルギーが枯渇して、人とのやりとりが、少なくなるかできなくなって、友達や社会的なつながりが、薄くなるか、切れてしまう、ところがあります。わたしの場合、まさに、2012年後半から2014年末までの2年半、がそうなりました。

今年2015年1月から自宅からNTT東日本関東病院のリワークに通って、パワーも徐々についてきて、1月下旬に2年半か3年振りに名古屋へ日帰りで行って久しぶりの卒業メンバーの有志会に参加してきました。そして4月に今度は泊りで有志会だけでなく、今までで一番仲の良かった友達と会ってきて、わたしの回復を喜んでもらいました。

そして、復職した6月16日に、フェイスブックで卒業メンバーの会に、うつを患ってずっと休職して入院もしたけどなんとか復職できたと、告知しました。その時に、よかったよかった、ぼちぼち行きましょう、ずっと心配していた等のうれしい返事をいくつかもらいましたが、その中でも強い返事をくれた仲の良かった友達2人(男性&女性)と、4月に会った友達(男性)とで、飲み会を開いたのでした。

www.zazahanare.com

スクール受講時に、何十回も行ったことのあるお店です。大きな座敷もあり、個室もたくさんあり、使い勝手がいいです(広くて、トイレに行った帰りよく迷う)。今回は4人が入る個室を、わたしが予約して利用しました。

スクールに通っていた時は、毎週のように会って飲んでいたけど、卒業してからこの4人で会って飲むのは4年振りくらいでした。

でも、再会した瞬間、何年も会っていなかったのはうそのようで、昔からの友達にすぐ戻りました。今はどうなっている、昔はあれしたこうした、と話があちらこちらに飛んで、23時過ぎになり(名古屋の電車は早い)、あっという間の数時間でした。

 

言われたコメントの中で、印象的だったのは、「病気から良くなって良かったけど、状態が悪かった時の〇〇〇(わたし)に、連絡をこちらから取らずに、ほんとによかったんだろうか、とずっと思っていた。」と言われたことでした。

年下の1人(男性)からは、

「ほんとに心配で、有志会(彼は2年前くらいに卒業)でも、最後に出てくる話題は〇〇〇さん(わたし)のことでした。休んでいるときに声をかけるべきか本当に迷っていました。考え抜いた結果、声をかけない、そっとしておく方を選びました。あれだけ仲が良くて、一緒に勉強して遊んだ〇〇〇さんに対して、連絡をしないでほっておいたのは、ほんとに良かったのか、どうか分からないまま、過ごしてきました。葛藤しました。ずっと悩んでいて、こころに引っかかっていました。でも、こうやって〇〇〇さんが回復して、東京から会いに来てくれたのは、ほんとうにうれしかった。ほんとうに良かったです。

と、涙目で言ってくれました。ほんとうに涙が出るくらいうれしかったです。

スクールに行っていたとき、特に男友達の2人とは、「一生の友達でいよう」と誓い合いました。けど、しばらく会えなかった。病気になって、元気のない自分の声をさらしたくなかったし、会うなんてエネルギーもなかったし、痩せて病んだ自分を見せたくなかったのです。人とのラインを保てという私の説はこのときはありませんでした。もしかしたら、メールを時々したり、電話で話したり、会ったりしてたほうが回復が早かったかもしれません。でも、あの時はできなかった。ただ、やっぱり、こころには引っかかっていました。

だから、彼のことばは、わたしのこころの琴線に触れたんだと思います。

 「また会おう、また」と言って、3人と強い握手をして別れました。今度会えるのは10月、今度は参加者を広げよう、と言って。

 

ちなみに、終わり間際に、4人の写真を撮って、フェイスブックにアップしたら、「なぜ私を呼ばん!?」と酒好き(すぐつぶれて記憶をなくす)の女友達から、クレームが速攻で入っていました。。

 

写真は、3人と別れたあとの、名古屋マリオットです

周辺が再開発で(あの名古屋ビルングも取り壊された)、工事中のエリアが多かったです。写真の下に写っている黒いものは、名古屋駅に向かっている人たちです。

 

翌日の有志会のメンバーに聞いたら、今や名古屋の夜は、名駅名古屋駅を東海の人は「めいえき」、と言います。ちなみに、東海で「めいだい」って言ったら、明(治)大ではなくて、名(古屋)大になります)周辺に人がすごく集まってきて、金曜の夜に名駅周辺で飲もうとしたら予約なしでは入れないとのこと。一方の雄の栄は、地盤沈下が激しくて、リニアが27年に名駅に来ることもあって、どんどん名駅周辺にヒト・モノ・カネが集中してきている、と言っていました。

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さて、せっかくなので、名古屋に泊まったし、余談として名古屋事情も。

  • ホテルの予約が取るのに苦労した:外国観光客の増加に伴いか、前回も苦労したので、今回は3週間くらい前にBooking.comで予約しようとしたけど、空きのホテルがなかなかなかったです。一泊1万円以下が無くて、一泊2〜3万円以上のばっかりでした。前は、マリオットアソシアホテルに並列してあった、名古屋駅内のホテルアソシア名古屋に泊まっていましたが、それも10年に再開発のため閉館してしまい、名駅周辺のホテルは需要に対して供給不足が続いているのでしょう。

www.booking.com

やっと、見つけて泊まったのが、ロイヤルパークホテル名古屋でした。

ご宿泊|ロイヤルパークホテル ザ 名古屋|公式サイト

一泊11,000円、それほど部屋は広くはなかったですが、

  1. 以前あったビジネススクールの対面で土地勘があり、1階がファミマで便利、最近できたので新しい(フロントで聞いたら2013年12月だとか)
  2. チェックアウトが11:00で余裕がある
  3. 部屋は狭いけど、機能的で、シック。ベッドも硬すぎず柔らかすぎず丁度いい
  4. 3と似ているが、雰囲気が、名駅周辺のホテル(マリオットは別として)には珍しく都会的。対面のキャッスルプラザホテルに日曜入ってみたら、おばちゃんばっかだった
  5. 余談:チェックイン時はわたし以外は全部外国人だった。狭いロビーにも外国人ばっか。欧米の人もいたけど、やはり中国系の人が多かった。名古屋でもか、という感じだった。これでは宿泊予約に苦労するわけだ

次回、名古屋に来た時もここを利用しようと思いつつ、チェックアウトしようと出ようとしたときに、壁の鏡の下の、小さい机の下の棚に(新約)聖書を見つけました。

いつもなら、ページをめくるまでもなく、そのまま置いて出て行ってしまうのですが、なぜか今回は(恐らく佐藤優さんの影響でしょう)ぱらぱらと開いて読んでみたら読み易そう。目次に、「愛する者が亡くなった時」「家を離れて遠くへ行った時」「意気消沈した時」などと、その人の状況別に読めるような目次になっているところが気に入りました。あと、1ページの右半分に日本語、左半分に英語となっているのも、勉強になりそうで気に入りました。

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これは、聖書を読んでみる(というより見てみる)いい機会だと思い、アマゾンで「日本国際ギデオン会 新約聖書」で欲しいものリストに入れておこうと思って、アマゾンで検索したんだけど、出てこない。。

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時間がないので、フロントに電話して、置いてある聖書を買うのにはどうしたらいいか聞いてみたら、少し時間がかかるのでチェックアウトの時に申し上げますと言われました。

んで、チェックアウトの時に聞いたのは、「在庫を差し上げます」とのこと。これはラッキー!と思い、新品を頂き、うれしかったです。さあ、果たして読めるか。。折を見て、好きなページを開く、目次を見て、自分の今の状況に似た表現を探して眺める、、てな感じで、ゆるく付き合えたらと思っています。

帰りの車中で、「日本国際ギデオン会」のHPをスマホで見てみたら。。

www.gideons-jp.org

新約聖書を、ギデオン会員の手から無料で配布・贈呈しているらしいです。個人贈呈用とかホテル贈呈用とかあり、わたしは、ホテル用のを、「特別に、というか禁じ手で」頂いたらしいです。なので、ほんとは、ここでアップしてはいけないのでしょうが、ロイヤルパークホテルのスタッフの方のホスピタリティーと、この「日本国際ギデオン会」の新約聖書のとっつきやすさ(まわしもんじゃないです^^)を、読んでくださっている皆さんに知って頂きたく、アップすることにしました。

 

下は、その新約聖書を入れるために頂いたホテルの袋。なかなかシックですよね。

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以上、貴重な思い出となった名古屋旅でした(変な?おみやげと一緒に)。

かけがえのない一生の友とまた会えることができるようになった幸せをかみしめながら。

 

ここまで、長旅^^お付き合いいただき、ありがとうございました。

 

ではでは。

 

復職して3週間半で気づいたこと。巻き込まれるな。確実な一歩一歩。(うつうつ日記⑧)

http://www.flickr.com/photos/40708728@N04/8576587662

photo by Justin in SD

http://www.flickr.com/photos/95572727@N00/497814516

photo by Stuck in Customs

復職して、3週間半が過ぎました。だんだん自分でやる業務も増えてきて、おおむね順調です。睡眠不足をのぞいては。

 

ブログを書くとかなり夜更かしになるので、復職してから意識的にアップするのを間隔をあけてきました。ただ、ブログ書かない日でも、うちに着いた後、筋トレしてシャワー浴びて、食事して、スマホでNewsPicsやスマニュー読んだり、日経新聞読んだり、読者になってる人のブログ読んだり、本読んだりして、、つい夜更かしになっています。寝るのが26時頃になって、慢性睡眠不足で復職生活を送っています。

 

ただリワークに行っていた時は7時半位だった起床時刻を、今は6時半前後にして、8時15分頃(定時は9時始まり)に会社に入っています。弊社はフレックス制で、始まりは9時から10時半の間で構わないのですが、うちの部はみんな来るのが比較的早く(と言ってもフレックス制を採用していない会社さんではあたりまえですが)、9時過ぎになるとほぼ全員揃っています。「お客さんが9時始まりで会社に来ているのに、営業の部がお客さんより遅くに来てちゃいかんだろ〜(電話にも出なきゃいかんし)。」という、部長(わたしより12歳ぐらい若い、英語独語ペラペラ)の方針が、復職したら浸透していました。休職前も同じ部長でしたが、そこまでは浸透していなかったです。

 

わたしは、復職1週間半ぐらいは、9時前位に会社に入る電車で行っていました(リワーク行っていた時とほとんど同じ時間)。けど、この梅雨のときに、雨が少し降っただけで5-10分、簡単に電車遅れます。そういうとき会社に入ると、ほぼ全員揃っていて、なんとなくいやな感じで「おはようございます」と言って、自分の席に向かうのが、、、イヤというか、「こりゃ、、まずい」と思いました。ある日、夕方にプールに行くために朝早くに会社に入ったのを機に(朝早く会社に入ったのは気分が良かった)、リワークに行っていた時間帯より早い時間帯の電車で行くようにしました。

 

その睡眠不足のせいと、日内変動(休職前の勤務もそうだった)のせいか、午前中の眠気が強いです。強烈な時があり、思わず席を外し、使われていない会議室に入り、鍵をかけ、椅子に座って30分x2セット寝たこともありました。

 

あと、自分の席で船をこいでしまったこともありました。わたしの席は、壁を背にして、自分の前にはパーテーションがあるので、部の人にはばれなかった(と思う)のですが、右横を通った別の部の人には見られて、さすがにまずいと思いました。

 

よって、コーヒー&カフェイン飲料が欠かせません。眠気がひどいときは、たくさんコーヒーを飲んでもきかない時があります。そして、昼食を社内食堂で食べて、14時とか15時ぐらいからエンジンがかかる日もあります。逆に、午前中はあまり眠くなかったけど、昼食後に眠くなることもあります。その日の体調リズムが、時間がたってみないと分からないのは、なんともしんどいですが、うまくつきあっていくしかないと思っています。自分でうまく強弱をつけて、やっていくようにしています。

 

ここのところは、帰りも、ついつい定時では帰らず、18時半〜19時に帰るようになっています。ほんとは、最初の3ケ月間は、9:00〜17:45の8時間勤務の残業なしの規定なのですが(日系大手だと、最初の1か月ぐらいはお試し出社で、まずは半日とか14時までです、弊社はきびしいです)、早くも1時間半から2時間くらいの残業をしています。

 

リワークでお世話になった岡崎先生や、リワークの友達の方々から「まずは無理はするな」と言われて、

自分でもブログで「最初の3か月間は慣らしだ」と書いたくせに、早くも

「周りに『巻き込まれ』て」います。

これを読んで下さってる方で復職する人は、「周りに巻き込まれないように」注意すべきだと思います。

 

わたしの場合、部長が、部の会議とかで、わたしの休職のことと、病気と、3か月は定時に帰る規定であることを、展開しなかったようで(部で初めての人には一人一人に「病気で休んでいて復職しました」と自分で挨拶しました)、初めての人には、わたしのことを、あんまり仕事をしてなくて優雅なもんだと見ている感じがあります。

 

暖かく見守って「初めから飛ばさないで適当に切り上げた方がいいですよ」と言ってくる方もいます。そんな一方、話しかけても、から返事で話を返してくれない人も複数います。。

 

 ◆◆◆◆◆

ーここ3週間半で気づいたことー

 

会社の実情:暖かい人、冷たい人。組織の効率化とグローバル化でメンタル疾患は今後も増える。

  • 心配・不安に思っていたより、暖かく迎えてくれた人が多かった
  • 挨拶メールを出して、暖かい返事を頂いた人が多かった、予想以上で嬉しかった
  • 一方、スルーされた人も若干いた。そういう人についてはあまり考えないようにする
  • うつやメンタル疾患(の人)を、分からない人、関わりたくない人は、事実いる。正直に言うと、昔の自分がそうだった。。まさか、自分がこの病気にかかって、さらに入院もするなんて、思いもしなかった。。ただ、この病気は経験しないと、どれだけつらいか、分からないからしょうがない
  • こいつは仕事ができるのか?という目で見てる人もいる(病気のことを知らない人に多いと思う)
  • 休職中に思ったこと、弊社が外資というのもあるが)会社は、資本主義にのっとった効率化による利益追求の組織体。最終的には社員の体調がいかに悪くても、会社の規則から外れると「見捨てる」
  • グローバル資本主義メンタルヘルス悪化は相関の関係にある
  • よって、日本で、今後、メンタル疾患は増えこそすれ、減ることはない

 

対策:巻き込まれるな。確実な一歩一歩を進む。

  • メンタル疾患の復職のためには、「脳力・メンタル力・体(耐)力」が要る
  • 社外の人間関係が大事、維持する
  • リワークの人間関係=役職や年齢の上下が関係なく「平等」に接し、相手を「尊重」する「姿勢・言葉遣い」が、復職後の人間関係再構築(役職・年齢に関係なく丁寧に話す)に役立つ。この点は、休職前よりうなくなった、成長した気がする
  • 「会社(組織)」は助けてくれない、助けてくれるのは「人」(急性期、底期はもちろん「病院」)
  • 周囲に巻き込まれるな。周囲は、脳もメンタルも体も、健康体。自分とは違う
  • 自分のできる範囲内の事で、ベストを尽くし、ささやかな貢献をせよ
  • 一歩一歩。小さな勝利を積み重ねる
  • 置かれた場所で咲こう
  • 「一隅を照らす」 どんな仕事にも意味がある
  • 今、自分に何ができるか
  • 朝早く出社できると、余裕が生まれる、廻りが見れる (朝早く来る人=うちの部の場合、部長=と話しもできる、、、弊社は昼間は余計な話はできない)
  • 今、この瞬間に集中して、まず、「歩き出そう」
  • 仕事以外のやりたいことを、ワクワクすることを、書き出す
  • ほんの少しでもいいから、それをやる
  • そうすると、楽しさと達成感を感じ、小さな自信もついてくる

 

◆◆◆◆◆

 

今日は、この辺で。お付き合いいただき、ありがとうございました。

ではでは。