おすすめの歯医者
歯医者が大の苦手な私は歯医者に行く日はうつうつです。麻酔をしても(そもそも麻酔の注射もいやですが)、歯を削ったり、神経を抜く治療はいやでいやでたまりません。上の写真のような境地になってみたいもんです。
しかしながら、下の本に出会ってから(アマゾンで虫歯治療系の本を複数買った中で偶然出会いました)、歯医者に行くのがほんの少し苦痛でなくなりました。
「ドックベストセメント」という治療法です。詳しくはググって確認して頂ければですが、なるべく歯を削らない(神経もとらない)で、ドックベストというセメントを虫歯部に塗布して歯を密封して、1-2年かけて歯を再石灰化して虫歯を治す手法です。
(唯一の難点は「保険の適用外」なことです)
ドックベストセメント療法を実践する歯科クリニックの一覧表が最初の本の巻末に載っています。
その中で私は住んでいるところから比較的行きやすい「あそう歯科クリニック」を選びました。大の歯医者緊張症の私、このクリニックでは「笑気ガス(麻酔)」を鼻から入れてもらって、とろーんとしてやや眠くなることができて治療を受けてます(この治療はほぼ保険がききます)。先生やスタッフの方も優しくいい歯医者さんです。
↓ドックベストセメント療法が載っているページです。
皆さんの歯の治療の少しでも参考になれば幸いです^^。
サインバルタ3錠
10月に久しぶりにアップしたものの、自分の現況について申し上げてなかったので書いておきます。
- 朝にサインバルタ20mgx3錠。(確か)2020年1月に2錠から増量。
- 夜にジプレキサ2.5mgx1錠、デパス0.5㎎x1錠。
- 逆流性食道炎用に夜にタケキャブ20㎎x1錠、他に胃腸薬3種類。
- サインバルタかジプレキサの効用(というか副作用か)で食欲増加・体重増加(3-4キロ)。
- ただし、サインバルタ飲んだ後は眠気が依然強く出る(在宅勤務時で眠気がひどいときは割り切って横になって少し寝ちゃいます)。
- ジプレキサとデパスはストレス過多で胃腸が気持ち悪くなった時に若干増量(常時飲んでいるのもストレス胃腸対策用)。
- いっときよりも(2019年後半〜2020年前半)夜気持ち悪くなる頻度は減少。
- 2020年6月に祝・復職5年!(なんとかここまで来た^^)
- 60歳(会社は65歳定年延長を組合と現在協議中)まであと5年。
- (症状のせいか)最近さらに疲れやすく、かつ、疲れが取れにくくなっている。
- 後ろ向きの仕事が多くストレス過多なので、異動できないか社内活動中。
こんな感じで、だましだまし、ぼちぼちと(これが大事)がんばっております〜^^。
『読む薬』-読書こそ万能薬-
今年前半に読んだ本です。あのメディカルケア虎の門の主治医の(強面でドSの^^)五十嵐先生が書かれた本です。文章・内容共に、診察時の五十嵐先生とは思えない⁉(失礼すみません)優しく示唆に富んだ内容で非常に参考になりました。
↓メディカルケア虎の門と五十嵐先生についての過去ブログ↓
『読む薬』 -読書こそ万能薬-
- 読書はうつ病に有効。「読書療法」というのがある。
- 読書は健康のために一番良いこと。
- 読書は認知機能低下の防止になる。記憶力の維持。
- 本のほうが新聞や雑誌よりいい。
- 紙の本のほうが電子書籍(例:Kindle)よりいい。(Kindleは僕には合わない=なぜか紙よりも疲れる=のが合点いきました)
- フィクション(物語)のほうがノンフィクションより精神におよぼす効果でいい。
- 本を読むとふだん表に出さない感情と向き合う。同時に自分もさらけ出される。
- 文学(文芸)作品のほうが大衆小説よりいい。他人の思考と感情を「読む」能力が磨かれるから。
易しい文章で1-2時間で読めます(全171ページ)(この本はAmazonに返却していません^^)、お勧めです。
Amazon、1ヶ月以内なら返却返金。
Official髭男dism - Stand By You[Official Video]
つい最近まで、「オフィシャルひげおとこイズム」って読んでいました。。
「どこのコミックバンドだ❓」と思って、食わず嫌いならぬ、聞かず嫌いをしていました。歳はとりたくないものですね・・・・ ↑ 前向きになれるいい曲です^^ ↑
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「Amazon、1ヶ月以内なら返却返金。」
最近僕が使っているやり方を周りの人に言ったら、意外と知らない人が多かったのでアップさせていただきます。
ひと言でいうと、
「Amazonで ”プライム” がついている商品(主に書籍)であれば、迷っている前にそれを買って、1か月以内に商品を変形しないで返却すれば、全額返金される」
というものです。
ただし、条件として、
①Amazonプライム会員であること。
②返却送料は自己負担であること。
(方法はいくつかあります、詳細は割愛します、Amazonでご覧になってください)
(僕はヤマトさんの集荷サービスを依頼しています、↓下の80サイズ段ボール1箱で送料1050円だったと思います)
③段ボール箱代と箱に入れる作業。
④返品コードの取得と紙に書く行為(本来であれば印刷らしいですが僕は紙に自分で書いています)。
が条件となります。
↑この80サイズで25冊前後入ります↑
僕の場合、最近では1ヶ月4-6箱は返却しているので月100〜150冊を買って返却していると思います。
このシステムを構築したら、もう本屋で(よほど気に入った本でない限り)衝動買いはなくなりました。
本屋で良さげの本を物色したら、スマホでAmazonの口コミを少し見て、良かったらAmazonでその場で注文します。
そして翌日か翌々日には受け取って斜め読みしてチェック。それでも良かったら1か月間キープして読む(気に入らなかったら週末のAmazonへの返却の一員になります)。
残った本は1か月以内に最終的に所有か手放す(返却)かを決めます。
本が好きな人にとって、書籍代にお金を持っていかれるのが大きな悩みの種ですが、この方式をとることによって、お金に余裕が出るようになりました。
また、Amazonで買うか買わないかも、プライム品では迷う時間がなくなりました。
すぐポチッと。
さらに、新品より安い中古の本をAmazonで買う頻度もずっと減りました。
(中古品も返却できますが、返却先がAmazonではなく個別の本屋さんや個人さんとなり、返却作業が複数・煩雑になるので、僕は中古品の返却はやっていないです)
さらにさらに、Kindleでの電子書籍の購入もほとんどなくなりました。
(画面で英単語上をなぞると和訳が出る=便利です=ので、英語本はKindleで購入しています)
さらにさらにさらに、(プライム商品であれば)雑誌・コミックでも返金大丈夫です。
さらにさらにさらにさらに、1回返した本をまた購入しても、何回同じ商品で購入返品を繰り返しても、何十冊・何百冊返却しても、Amazonからおとがめはありません。
こんな方法があれば、そりゃリアルな本屋さんはどんどん無くなっていくわけだ・・・
Amazon恐るべしリアルな本屋さんすみません、と思いつつ、本の中毒者にとってこの便利さを享受したらあとには戻れないです。
↓自分の棚にある本を処分(買い取り)して欲しい時に利用させていただいております↓
「書籍もストックからフローの時代になりました」
以上です、本が好きな方々のご参考になれば幸いです。
再発?サインバルタ。
こんにちは。恒例?の大みそかの更新になりました^^。
実は「うつ再発寸前」(または既に再発・・・)の状態になってしまいました。必死に?知恵を絞って抵抗をしております。
<経緯>----------------------------------------------------------------------------------------
1. 2月に引っ越し
2018年秋からいい物件はないかと活動していましたが2018年12月にそこそこの物件が見つかり今年の2月に引越ししました。物件探しに数か月かかりあちこちの街や物件を見に行きハードでした。さらに(狭いところに引っ越したのもあり)、古い家電・家財道具や膨大な本(800冊買取に、それでもまだ1200冊以上あり)など、断捨離する作業もハードで、何を捨てて何を残すかの小さいけど多い意思決定の連続で脳がへとへとと、段ボール作業が腰にこたえました^^。引っ越しした直後はテンションが上がっていたせいか、身体に異変は感じなかったのですが、数か月した後、遅れて(下に書く)異変が出てきたような気がします。
2.前半に苦手な飛行機たくさん
プライベート(旅行)で、2018年12月に石垣島、3月と4月に沖縄、仕事で今年前半で3回福岡、5月にインドネシア、に行きました。自分にとってかなり苦手な飛行機(酔い止め薬必須)を半年で7回、疲れがたまったと思います。
3.3月に同じ部の休職中の先輩からストーカー被害
うつで休職中の先輩から突然の連絡が3月にあり、同類の身として心配だったので、相談がてら食事した後、メールや電話で等やり取りしていました。2週間もたたないうちに、ストーカーのように1日何回もメール・電話が来るようになりました(「俺は復職できると思いますか」とか「ちょっと電話で話を聞いてほしい」とか、とにかく不安をぶつけてきて、、カウンセラーさんに相談してくださいと言っても聞かずにメールや電話を鳴らす・・)。〇〇さんこんなんだっけ?と思いつつ、いよいよこちらのメンタルもやばくなり、会社の産業カウンセラーさんに相談したところ、その方は会社の他の人にも同じようなことをしていたとのこと。カウンセラーさんの許可を取り、電話着信拒否・メール受信拒否の手段を取らせてもらい、カウンセラーさんはその人に警告してくださいました。あぶなかったです。その後、この先輩は8月頃に違う方にもメールを頻繁にされたきたそうで(その人は私の話を聞いていたので返信しなかったそう)、、そのあとこの先輩は10月頃に休職期間終了で退職になってしまいました。。
今から考えると、この時期あたりで、私にもやばい前兆が出てきていたんだと思います。自己洞察力が足りませんね・・
4.マーライオン オエー
九州と関西出張から帰ってきた6月下旬の日、夜中に発生した吐き気が朝になっても収まらず、外の空気を吸いに朝の7時頃に外に出たらさらに気持ち悪くなり歩けなくなり自分のウチ(賃貸マンション)の前で立ち止まりました。その直後、いきなり胃が反重力暴動、マンション前の歩道でマーライオン並みの噴流オエーを2回しました(3回目もオエーとなりましたが出るものがなかった....)。
ほんとに下の写真のような立ち姿勢と噴水のような勢いで出まくりました・・・
(はっきりと見れなかったのですが)未消化の食べ物はなく容量が2-3L以上、おびただしい水分と胃液ばかりでした。。200mぐらい前方に犬の散歩をされていたご婦人が近づいては危ないとばかりに固まって立ち止まってました。オエー水が歩道を覆って流れていくののをそのままにして、エレベーターに逃げ込み自分の部屋に戻りました....(申し訳ありません・・・)。原因は、上の1から3まで含めた、積み重なった仕事のストレス、過労、暴飲暴食とふんでいます。
5.4の一週間後の6月末に来日した外国人上司に中間評価面談で叱責されさらに悪化
冷静にあとで振り返ると叱責は理不尽なパワハラな内容も多かったのですが、面談中はうまく言い返せず、ストレスが溜まりに溜まり、その夜は床についても叱責された文言(英語・・・)が頭から離れず、夜中に気持ち悪くなり救急病院へ。気持ち悪いのが朝まで収まらず、その日の大阪でのお客さんとの重要な会議を欠席せざるえませんでした。。この時期は、グループの部下との関係も良くなく(うまく動いてくれない部下に自分ばかりイライラしていた)、仕事のストレスが積み重なっていました。
<抵抗策>--------------------------------------------------------------------------------------
1. 服薬 第一弾
上の5のあと、さすがにおかしい、ということに気づきだし、7月に入ると頭の中にいやなイメージが出てくるようになったのもあり、通院していた精神科に電話をして8月だった予約をなんとか7月下旬に前倒ししてもらい病院に行きました。以前(14年から16年)飲んでいた(吐き気による食欲不振を改善するための)ジプレキサ、(ストレスに対する不安をぽわーんとさせて弛緩させる)デパス(最初はリーゼでした)の服用を始めました。別の病院で内視鏡で検査した結果、逆流性食道炎再発だったので、タケキャブなどの胃腸薬ももらって複数飲んでいます。
2.服薬 第二弾
いっぽうで、ジプレキサ、デパスを服用しているときでも、仕事やプライベートで疲れれてくると(好調時に比べると1日にできる量がだいぶ減りました)、吐き気や頭重や人に酔う感じが継続して表出するので、11月下旬に通院している精神科医の先生と相談して(これも14年から16年に服用していた)サインバルタの服用も始めました。開始から1週間後に20㎎から40㎎に増量して飲んでいます。切り札の登場でかなり期待していたのですが、効いているのかまだ何とも言えない感じです。どうしても効かない感じが強いのであれば1月に60㎎に増量するかどうか先生と相談する予定ですが、先生はよっぽど症状が重たくない限りはこれ以上は増量したくないようです。
3. 負荷低減
15年6月からの復職から19年前半まで順調に来すぎていて調子こきすぎました^^(特に体調が本格化したと思った16年、17年、18年)。調子が復活したとはいえ、うつになる前の絶好調時と比較するとコップの容量はやはり6割か7割程度であることに無自覚で、今までの積年の疲れと19年前半にさらに詰め込んだ行動によって、心身が悲鳴を上げたんだと思います。
19年の後半は、なるべく遅くまで残業をしないように、というか、残業が遅くまでできなくなりました。朝早めに行って夜早めに帰るというパターンを取っています。帰りの帰宅ラッシュで人に酔うこともしばしばで、再発本格化しないように、なるべく負荷はかけないようにしていきたいです。調子芳しくないときは、1日単発休みや早退や在宅勤務(弊社で週1回使えるこの制度は助かっています)で何とかしのいでます。長期休みはまだしていないので、ポジティブに考えれば、再発本格化まではいっていないと思いたいです。なんとか再発の入り口から深みに入らず戻ってこれたら、という感じです。
4. 有識者の方のコメント
ユーチューバーでベストセラー作家の樺沢先生の下に貼ったコメントが刺さります。
再発防止は、①実力の50%-70%でぼちぼちやる、がんばらない ②規則正しい生活、朝散歩、自然に触れてのんびり、休息のある緩急の生活(頑張りすぎる人がうつになる) ③自己洞察力を高めていく(今の調子を自分で測る、うつになる人はこの力が弱い、気づかない)
4.運動
水泳(ちょっとさぼり気味ですが)と筋トレをやっています。10月にさらにランニングを加えましたが、いきなり7キロ8キロ走ろうとして、終わりの2キロくらいで気持ち悪くなることが続いたのと、どうしても夜遅くなってしまうので、たった1ヶ月4-5回走っただけでやめてしまいました。
脳を鍛えるには運動しかない! 最新科学でわかった脳細胞の増やし方
- 作者: ジョン J.レイティ,エリックヘイガーマン,John J. Ratey,Eric Hagerman,野中香方子
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2009/03/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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( 2016年12月のブログ↓でもこの本↑紹介していましたですね)。改めてこの本読んだらすごくためになりました。有酸素運動が脳にいいことを何回も書いてあります。
樺沢先生も有酸素運動の有効性を力説されております。
4.他のアクション
グリーンポルノ、、デジタル画像でも自然の緑は効果があるとのことで、スマホの壁紙を自然系の写真に変えました。あとはあまり行けてないですが、公園に行くのも効果があるそうです。芸術(美術館、映画、コンサート)で精神的に豊かになることもいいそうです。2019年は映画館で例年の目標の50本はいかなかったですが46本映画を見て、今まであまり読まなかった小説も27冊読めました。前回のうつの底期の時は、まったく映画鑑賞も読書もできなかったので、まだそこまでの状態まで行っていないと思います。あと、下の本↓で推薦されていた観葉植物をアマゾンで買いました(効果のほどはあったようななかったような・・)。
最高の体調 ~進化医学のアプローチで、過去最高のコンディションを実現する方法~ (ACTIVE HEALTH 001)
- 作者: 鈴木祐
- 出版社/メーカー: クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
- 発売日: 2018/07/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (1件) を見る
さてさて、これから自分をどう回復させていけるか、自分を実験台にして、試行錯誤、トライアンドエラーをしていきたいと思います。うつや似たような症状で悩んでいる方々の一助になれるご報告が出来たらと思います(と言ってまた一年後だったらごめんなさい)。
ではでは、です。
2018年を振り返って。
みなさま、こんにちは。
年末恒例の?、一年振り返りの日です。今年は6月に1回アップしたので2回目、、進歩と言えるのかな......2019年は3回を目指して・・・いや、あくまでもマイペース、そして1回あたりもうちょっと薄くしたほうがいいかなと考えております。
というわけで、ざっくり、2018年を振り返り、良かったこと、芳しくなかったことを挙げたいと思います。
<良かったこと>
①まずメンタル系で挙げると、7月位から眠剤として飲んでいたレンドルミン半錠(2-3日に1回服用)が全く飲まないで寝れるようになりました。これはびっくりでした。思いあたる理由は、あとで申し上げます。
②コンサート(生の音楽)のすばらしさ:遅まきながらこの歳で感じ入るようになりました。吉川晃司さん(同じ歳…)コンサート、クラッシックコンサート3回、行きました。生の音は全然違いますね。。映画、絵画とは違った、心が揺さぶられる感覚を楽しんでおります。2019年、より楽しみたいです。
③海外へ:出張2回(シンガポール2回)、プライベート1回(ソウル)。海外へは確か2011年以来でしたので感慨深かったです。来年はできたらスペイン行きたいです。
④映画鑑賞年間50本達成(劇場鑑賞):年末に追い込んでなんとか達成しました。。しんどかったです。これで2年連続で達成、計100本。何か変わったかな。。心が柔らかくなったような、、あと映画に対する目は鋭くなりました。
私の2018年ベスト3は、、1位 15時17分、パリ行き、2位 ウインストン・チャーチル、3位 日日是好日、です。
⑤腸の内視鏡検査で異常なし:7月上旬に受けました。前回受けたのが入院直前の14年6がつでしたので4年ぶりでした。それまで2-3年に1回受けていて毎回ポリープがあって切除してもらってました。今回は4年のブランク、ポリープを覚悟しておりましたがほっとしました、よかったです。今回ポリープがなかった要因は、毎朝飲むヨーグルトをぐびぐび飲んで、ほとんど毎日お通じが出来ていることだと思っております。ヨーグルトや納豆など、発酵食品を毎日とって便秘を防ぐことが大腸がんを防ぐ策(&2-3年に1回の内視鏡検査)だと思います。
⑥石垣島旅行:12月に初めて行きました。とくに何をするわけでもなくのんびり中心でしたが、ほっとしながら(まったりの脱力感も心地よく)、かつ、海から島からパワーを頂ける感じなんですよね。他には、日光、和倉温泉・金沢、下関・萩、京都に行きましたがこの石垣島旅行が一番でした。僕の中で沖縄が再燃しました。来年(次は久しぶりの沖縄本島かな)また行くことを考えています。
⑦お寿司屋さん「一柳」(銀座):2回行けました(高いのでランチのみ)、美味しかった…来年は3-4回行きたいですが、高いから行けるかな。。
⑧佐藤優さん集中講義参加:7月と11月に行われたのに行きました(別のテーマ、合計4日間)。佐藤さんの講義はいつも知的刺激を受けれていいです。
⑨早起きの生活に:まだ11月からですが、平日会社に行くときは6時位に起きて、7時半-8時位から9時まで、会社近くのカフェで読書またはメールチェックして、すこし息をついてから会社に行くようにしています。朝のカフェでのんびりが楽しみになってきています。
<芳しくなかったこと>
①健康診断で黄色信号:会社で5月下旬実施、結果通知が6月下旬でした。産業医先生に呼ばれました。血糖値、尿酸値、血中脂肪?、脂肪肝、で引っ掛かりました。産業医先生から、清涼飲料水(それまで1日1-2本飲んでました)、揚げ物、ラーメン、甘いもの、を我慢するようにと言われました。意を決して、清涼飲料水(ポカリスエットやCCレモン)を断ちました。最初の2-3週間は禁断症状のような口さみしい状態がずっと続いて、こんなにつらくしんどいのかと思いました。人口甘味料の完全な依存症です。。アメリカで(日本も今やそうでしょうか)清涼飲料水やジャンクフードの依存症で肥満・糖尿病が問題になるわけですね・・一回身体が快感を覚えると抜けられなくなっています。。他の食べ物は少なめに、野菜をもっと取るようにして、水泳&筋トレの頻度も多くして、6月の体重63キロから今は58-59キロになりました。12月の検査で、血液数値はすべて基準内になりました。脂肪肝は小さくなっているようですがまだあるとのことで来年なくなるようにしたいです。
あと、「良かったこと」の①で書いた、眠剤を飲まなくなったことの要因は、この食生活の変更から来ているのでは、と推測しております。甘いものの量が激減したこと野菜の量が増えたこと、どちらかまたは両方ではないかと考えております。
よって健康診断で引っ掛かったことは、改めて健康に気を付けるようになって改善できたので、むしろ「良かったこと」かなと思っております。
②インフルエンザ:1月に数年ぶりに発症。それに懲りて12月に予防注射受けるも、副作用効果?で、5日間ぐらい怠くて眠くて使い物にならず、でした。これだけ長いと来シーズンは注射やめてもいいのでは?と思ってしまうほどでした。
③歯が欠けた:放置状態だった虫歯が12月に欠けてしまいました。12年以来の歯医者さん通いが来年1月から本格的に・・歯医者さんは大の苦手で今まで行かなかったつけがきました。いつも歯はこのパターンです。
<総括>
良かったところと芳しくなかったところの両方でメンタルだけでなく身体がフォーカスされてきた一年だったような気がします。もう53歳だもんなあ。来年は歯、内臓、循環器、体力等々の身体改善年にしたいです。もちろんメンタル維持は大前提で。
仕事は相変わらず忙しくストレスも絶えないですが、オフの休養とアクション(上に挙げた好きな事と運動)を十分に取り入れて、バランスを取っていきたいです。
良いお年を、来年も宜しくお願いいたします。
入院から4年 そして 復職から3年。
こんにちは。
ここ2年は大晦日の更新が続いて、今回は約半年振り、最近として早い更新かと自分を褒めております。今日は私の小さな記念日ということで振り返りたくなり書きました。
私のうつの回復のめどが立たずにっちもさっちもいかなくなって入院したのが、14年6月25日で約4年になります。
入院した14年6月25日、サッカーW杯日本ーコロンビア戦途中の朝早くに父に起こしてもらいました。モーローと支度をしながら日本敗戦の結果をNHKで聞いた覚えがあります。とにかく大きな感情を動かすことができなかったので、敗けてもああそうね弱いねというぐらいだったと思います。椎名林檎さんのハイテンションのテーマ曲も当時の私にはとにかくしつこすぎて耳に入ってくるだけでつらかったです。
(当時睡眠剤11錠飲んでいた私は入院日一人で朝早く起きられる自信が全く無く実家に戻り高齢の父に起こしてもらいました。朝の電車に乗れる気力体力も無く実家から病院まで車で送ってもらいました・・・情けないの一言)
↓上添付の15年5月29日の記事に書いてある14年W杯日本戦の回想部分を引用します↓
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ーW杯日本戦で生で満足に見たのは本田のゴール後のドヤ顔だけだったー
昨年のブラジルW杯、日本の初戦、コートジボアール戦。
6月15日10時キックオフ。9時半位から携帯のアラームを10分ごとに鳴らして、キックオフ直前になんとか身体を起こして、テレビをつけて、もうろうとしてまた横になる。
しばらくして、テレビの声が大きく響いたので、何とか目を開けテレビに顔を近づけると、、本田のドヤ顔と「ゴーーーール」のアナウンサーの声。あー決めたんだ、よしこれから見なきゃと思ったけど、身体が全く言うことを聞かず。また横になってしまい、音だけをもうろうとしたなかでひろってました。
最後は、アナウンサーの「残念でした」の声が、薄れた意識の中で聞こえてきて、あー、負けたのか...と思って、また睡眠へ。。この、入院直前の時期、睡眠薬は上記と同じく11個、午前中は爆睡している時間帯でした。。
残りの、、ギリシャ戦は20日7時キックオフで起きれず。ムリでした。
コロンビア戦は25日5時キックオフ。この日は入院日で、朝9:30に病院で入院手続きをしなきゃならない。確実に起きるために実家に宿泊して、なんとか朝6時か6時半には起きました。時間的に、試合終わりのほう見てたはずだなんだけど、記憶にないです。
というわけで、昨年のW杯の日本戦は全くと言っていいほど生で見れなかったです。
ブラジルW杯全般的にも、前半戦はほとんど寝てて見れず、後半戦は入院生活に入ってあまりテレビ見れずでした。ブラジルW杯のTV観戦は、全くのヘタレのタレで、過去のW杯TV観戦歴に比べると圧倒的に少なく、こんなこと初めての経験でした。
あれから4年...(日本代表はまた芳しくないかもですが)W杯日本戦を見れること、W杯全体を楽しめるのは(体力気力充実の若かった時に比べると多くの試合をずっと見続けるのは厳しいですが)ほんとに感慨深くうれしいです。14年のW杯後半戦も、入院した病院で自分のテレビ(プレペイドカードを差し込む方式)で物理的には見れたのですが、入院したばかりでサッカーをテレビで見る体力気力がまだ復活せず、夜のニュースで5-10分見るだけで精一杯で、結果にも感情がそれほど動きませんでした(嫌いなドイツの圧倒的な強さにも距離を置きたかったかもしれません)。
余談になりますが(今まで書いていなかったので)、当時、睡眠導入の目的で飲んでいたのがベゲタミン、、3錠飲んでいました。入院時に主治医の先生と担当看護師さんから「今どきベゲタミンを、それもこんなに飲んでいるのは信じられない処方だ」と何回も言われて私が叱責された感覚でした(リワークの友達にもあとで言われました^^)。入院の目的のひとつに減薬があったのですが、多剤な薬の中でまずベゲタミンを減らすのが第一優先でした。しかし夜がまったく寝れなくなり目がらんらん、しんどかったです。
↓「過剰摂取時に致死性の高い薬」「飲む拘束衣」ですか....↓
そんな恐ろしい薬を3錠も......なんせ当時はネットで調べる気力も無かった...
うつやメンタル疾患で服薬している方はくれぐれも多剤服用にならぬように、長期多剤経験者の私が強く申し上げたいです。(↓16年4月から、抗精神病薬、抗うつ薬、抗不安薬、睡眠導入薬すべてが、それぞれ2種類までしか処方できなくなったようですが↓)
私は、せいぜい精神系で2種類、睡眠系で2種類がいいところで、ここからさらに薬を多くしてもあまり効かないような気がします。その2種類で効かなかったら、1種類または2種類を違う薬に変えて、薬の量を抑える努力をしていく必要があります。効かない不安から安易に薬を多くしていくと、以前の私のように薬の沼地に溺れてしまい浮き上がれない状態が続いてしまうと思います。物を増やしていくのは簡単で、減らす捨てるのはけっこうしんどいのと同じ心理だと思います。ただし本人は日々つらく、そこまで気が回らない場合もあるので、薬の種類と量にきちんと留意してくださる病院・先生を選ぶことが重要です。つらい症状から自分で判断できるパワーが無い場合、家族・肉親・パートナーの方にアドバイス・協力してもらうことも大事です。病院・先生・薬の選択が肝です。
病院・先生・薬の選択が適切にできなかった(過去ブログにも書きましたが病院探しはかなりやったつもりですので「出会えなかった」のかもしれません、縁とか運もあるような気がします)私は、なんとか自分を浮き上がらせるために=減薬と効果的な薬による回復のために「入院」という手段をとりました。ほとんど自分1人で決断したので決断するまで長い時間がかかりました(復職することを考えたらもうぎりぎりのタイミングで時間が私のお尻を押してくれました)。
そして今日は、会社に復職した15年6月16日から、ちょうど3年になりました。感慨深いです、3年間大きなダメージ受けずに休みもせずによくもったなあ、という思いが強いです。目標はとりあえずあと2年、復職から5年間何も大きな毀損が無いようにしたいです(それ以降も無いようにするのはもちろんですが)。
現在の状況は、体力気力に自信があった時と比べるとせいぜい70%位です。これからも「全快」は無く、とりあえず「寛解」の状態、「だましだまし共存してつきあっていく」気持ちで進んでいきたいと思っています。
とは言うものの、仕事は相変わらず忙しくプレッシャーさらに増えたので、オフの時間も仕事の残像やストレスが頭に残っていることが増えてきました。プライベートを自立的に仕事から離して、リラックス・楽しく過ごすことに頭を使うようにしないと思っております(なかなかうまくできていないのですが...)。
薬はレンドルミン半錠を2日に1回くらいの頻度で眠剤として寝る前に飲んでいます。100%減薬にはそれほどこだわっていません。この程度ならこれからずっとこの状態でもいいかなと思っています。仕事がハードで夜遅く帰ってきたときは深夜になっても頭が熱を持ったままなので、脳を沈静化させて眠気を誘うという効果もあります。これからも少量でうまく使っていきたいと考えています。
最近部屋を整理していたら(復職後は買い物や外食や旅行など、物を増やしたり消費することがほとんどでしたが最近整理にエネルギーを使えるようになってきました=上に書いた薬との関係と同じかもしれません)、入院前に通院していた病院とのやりとりを書いていたメモ帳が出てきました。そこの病院のカウンセラーさんとやりとりした箇所には、生活保護を受ける条件について書いてありました。。
ここ最近はこれからのキャリアや生活をさらに進めていくこと改善していくことを考えていることが多かったです。それはもちろん大事ですが、今日は復職して3年、数年前の自分では考えることができなかった位置まで進むことができたことに感謝したいです(「戻ったきた」のではなくうつの経験をして違う方向に「進んだ」と思います)
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これから月曜日の仕事の準備を少ししようかなと思ってましたが、、、
明日することにして今日はやめます。W杯を見ながら、今日を噛みしめます。
ではでは。
2017年から感じた事。
こんにちは。また1年振りの大晦日のアップとなりました。
ここまでくれば、、これから1年に1回、大晦日のアップとなるのかなあ。言い訳になりますが、仕事やプライベートがさらに忙しくなっていてアップできませんでした。ただ、私より忙しい人でまめにアップされている人はたくさんいらっしゃる訳で、エネルギーの優先順位が下になっているんだと思います。すみません。
私の悪いところのひとつなのですが、何をやるにしてもなるべく完璧にやりたい思考・行動の癖があって、そこがブログアップ率を下げている要因とも感じております。それは、うつになった原因のひとつでもあり、自分や第三者をストレスフルにさせる要因だと(ようやく最近)気づくようになりました。
2017年の私の行動(仕事・プライベート)について印象的だったことを申し上げます。それらを踏まえて、考え方やメンタルヘルス上で言えることを次に申し上げます。自分に対する気付きと、読んでいただいた方々が何かしら参考になれば、幸いです。
ちなみに今の服薬状況は、眠剤レンドルミン半錠を3日に2日程度を服用しているのみです。3割か少なくとも2割の日は服薬せずに寝ています(単に仕事し過ぎで睡眠不足と疲れがすごくて、眠くて眠くて眠剤無しで寝れるだけです)。
◆行動◆(仕事・プライベート)
・仕事:
17年夏過ぎから完全に中間管理職(いわゆるマネージャーなのですが自分の担当業務も継続するという完全なキャパオーバー..)に復帰になり、さらに忙しくなりました。事業部が人員削減中で、部も人の出入りがあり、混沌としている中、チームを再まとめしなければならないというかなりシビアな状況です。
うつで倒れる前には日常的に経験していた、会社から出ても完全に頭から仕事が抜けない感覚を久しぶりに味わっております。復職後の仕事のアウトプットがそれなりに評価されての今回の結果だとは思ってはいるのですが(自画自賛...)、うつなる前のワーカホリックの盛時に比べたら、自分のコップの容量はかなり減っており、気をつけて対策を考えないとといけないと思っております。1月からは私の担当業務は、新しく入る人に一部分振り分けますが、まだ担当業務も残る上、引継ぎ・チームビルディング等々、3-4月くらいまでは今の混沌状況が続くと思っております。
ちなみに、会社で関係している方々で、私がうつでずっと休職してことを知っている人は、昔からの付き合いが長い方や仲がいい方など、、ごくごくわずかです。業務量はまったく他の方々と同じかそれ以上で、復職後の業務軽減や配慮は(復職後3ヶ月は残業無しくらいで)全く無いです。
歳も50歳をオーバーしているので、10年前ならともかく、今はさらに上を狙うというより、(お金もないので)いかに社会とコミットして長く働き続けられるかを考えております(75歳位までできれば働きたい・・・)。今の会社は、定年60歳で雇用延長はありますがだいたい皆さん1-2年限定の時給(恐らく1500円/時程度・・・)雇用です。今の世の傾向と逆行しておりますが、弊社は他社さんのような50歳以降給料下がりや55歳役職定年は無いので、長短あり、と割り切っております。昇格やポストも大事ですが、自分の実力を伸ばす(少なくともキープ)ことが、60歳以降も働く大事なことと思ってます。無事これ名馬ではないですが、いかにうつ再発を防いでいけるかも私は重要です。
精神的に毀損しないためには、プライベートでいかにに仕事を忘れるか、いかにに楽しいことを頭と心にインプットするか、が肝だと思っております。
で、そのプライベートは ↓
・映画50本鑑賞:
映画好きな友達(『映画はその人の人生や感情を豊かにしてビジネスに人生に有益である』と)が年50本以上鑑賞してフェイスブックに全て感想をアップしてるのに触発されて、中学生時から映画が好きな私も50本を17年初めに目標にしました。ただし、今まで年間50本は観た事なかったです。ざっくり週に1本鑑賞のペースですが、仕事やプライベートの用事が立て込むと、週に一本でもかなりしんどいです。仕事で忙しい12月にやりくりして8本(休みの昨日一昨日で4本駆け込み...)観てなんとか達成できました。ただし、50本観るとはずれもかなり多く、10本に1-2本があたりというような感じです。1年間10ー20本の時よりかははずれも多くなっている気がします。本のあたりはずれの確立に近くなっていると思います。
『量は質に転化する』の期待がかかる50本鑑賞の効能については、もう少し時間を待って自分の内面の化学反応を待ちたいと思います。
(それと合わせて17年のワーストベスト映画を書いた映画ネタも別にアップできたら・・です)
・数学検定受験:
7月に3級(中三レベル)と10月に準二級(高一レベル)を受けて、学生時代と同じ一日直前詰め込みでなんとか2つとも合格できました。佐藤優さんの講義や著作で論理的思考の向上にいいとおっしゃっていたのと、高校時代最初は理系だったのもあり、挑戦を17年年初に掲げて受けました。勉強しているときや試験のときの、日ごろ使っていない脳細胞がぶちぶち言う感覚がたまらなかったです(M気質か...?)。英検と違うのは、私以外の受験生がほとんど子供たちです。特に3級は私以外全員、小学校高学年か中学生、、私の歳だと自分の子供の歳以下を周りに囲み。。。最初は恥ずかしかったですが、これもオヤジ(ジジイ?)の勲章だと切り替えて試験に集中しました。
今度は18年4月、二級(高校二年レベル)を受けます。今度ばかりは落ちるかもですが落ちても勉強続けることがいいので受け続けます。
・歌舞伎鑑賞とクラッシクコンサート(第九)鑑賞:
歌舞伎は初体験でした。うまく表現できませんが、自分の埋もれていた感性・考え方が実は歌舞伎の江戸時代から続いているような繋がりを感じました。
映画もいいですが、生の鑑賞は舞台の方々の前向きなエネルギーをもらえることがすばらしいです。今まで自覚したことのない潜在的だった感情を顕在的に体感できるのがなんともいえないです。
18年は歌舞伎、クラッシク、ポップ・ロック、演劇、などの生の舞台へ行きたいです(大相撲、も入っていたのですがこちらは事態を少し様子みます・・)。チケット購入とスケジュール調整に手間がかかるので、映画みたいに量はこなせないですが、これから老年まで着実にゆったりと楽しんでいきたいと考えております。
得られることが多いお二人です。本だけでなく生の場に都合付けば伺うようにしています。17年はお二人とも講演会を以前より絞られた印象でした。若松英輔さんの講演会はもっと行きたいです。
8月19日開催「激動する世界と宗教」のシンポジウムで若松英輔さん(佐藤優さん池上彰さん松岡正剛さんも出席)のコメント
「自分はどう生きるべきか ばかりでなく 自分はどう生かされているのか」
「声も出せない本当に弱い人に 近代の宗教は寄り添うことができなかった」
「苦しんでいる人に合理の解を与えることが大事と 近代は考えてきたが いっしょに苦しむことがより大事ではないか」
「分かり合うことより 分かち合うこと」
「他者は私である 私の中に私たちがある」
・本の多読(というより積読のまま...)・大量購入:
ストレス解消のため、どんどん買って読まずに積読状態です。16年以上に私の部屋は足の踏み場も無い.です。.映画以上に「量は質に転化する」ことを実践しないと・・・・
・父の入院:
(自分の行動ではないですが)父が腎臓がん(幸いステージ1)摘出手術で12月に約1週間入院しました。幸いに手術成功し術後も問題なく今は実家に戻り生活しています。多くても1ヶ月に1回程度しか会っていない関係から今回はかなり濃密に父に付き合う必要があり、(大変だったのはもちろん父ですが)体力だけでなくメンタル的にもかなり消耗しました。幼少期からの関係性が今でもメンタルに影響されていることが改めて感じました。
・あまり出来なかったこと:
美術展へはあまり行けなかったですが、それでも最低2ヶ月に1回=通年6回以上は行けて、ミュシャ展にも行けたのでおおかた満足です。一方、旅行と運動ができなかったのは、うーんです。旅行は名古屋時代の友達と行った下呂温泉くらいで激減してしまいました。運動はジムでの水泳が減少、筋トレも週2-3回に減ってしまいました。理由ははっきりしていて、仕事の忙しさによる時間の無さと心身の疲れです。それでもなんとかメンタル壊滅までいかなかったのは、上に上げた行動がリカバリーできたんだと思います。18年、運動はもっとやらないとですが、さて旅行はどうしようか。。
◆考え方やメンタルヘルス上で感じたこと◆
・コップの容量は人それぞれ、自分の容量を知っておくこと:
私みたいに、体を壊したりうつになってやっと自分の容量を知るのは非効率なので、自分の体調やメンタルの具合を見るために自分と向き合って対話することが大事だと思います。
・自分のコップをストレスや疲れでいっぱいにしない:
私は自分のコップの容量についてかなり鈍感なところがあります。忙しさにかまけてて気づいたらもうコップからあふれ出ていて、体調やメンタルがかなり毀損されていたことが何回もあります。自分との対話によってのコップの容量のチェックをまめにすることが大事ですね。詰め込み好きの傾向は私だけでなくて日本人全体に言えるかもしれません。コップの容量内でベストを尽くすことに最近特にフォーカスしています(って出来ているかな...)。
・(コップのストレスを減らすため)好きなこと楽しいことや休養を定期的に行う:
「映画年間50本鑑賞」は量が多くて仕事っぽくなった感じもありますが、最初に数量目標を設定して強制的に好きなことを忙しいなかするようにできたのはよかったと思います。好きなことをする時間を忙しいなかどう確保するか、月や年間の数量設定を強制的にすることはいい面もあると思いました。
もちろん定期的な休養も大事で、好きなことと休養のバランスです。ストレスがある脳や体の中に楽しいことを強制的に入れてストレスに脳や体を向けないようにするか、又はのんびりした休養をとって脳や体からストレスを抜けさせるか、の2つのアプローチがあると思います。
↓すごく参考になります↓
40歳を過ぎて最高の成果を出せる「疲れない体」と「折れない心」のつくり方
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P162~P189
「脳を疲れさせない」「考えすぎない」→「日常の中に楽しみを取り入れる」
「仕事のことは一切考えない時間を作る」
「苦手な人にはでるだけ近づかない」
「プラス思考:笑顔を増やす、プラスの言葉」
「ワクワク感が重要な感情:原風景を思い出す、新しいことを始める」
・自分や他者に完ぺきな要求をして現状とのギャップに自分や他者を責めないこと:
私の場合、このギャップにストレスを感じて我慢できなくあふれ出た感情が「怒り」となることが多いです。「○○○さん(私)は、自分にも人にも要求レベルが厳しいでしょ~もっと楽にしないと」と最近親友に言われました。まさにその通り。
100点を目指さない。仏教的なアプローチだと「悟り・手離れ」なんでしょうか。高田順次さんでしたら「テキトー」「いいかげん」。堀江貴文さんだと「初動はだいたいで、すぐにやる方が大事。改善は走りながらでいい」。
・親との関係性を把握(余裕のあるとき):
自分の闇を申し上げるのですが、私は親にどす黒いものを持っていると思います。経済的には問題なく育ててもらったのだから何をぜいたくな、は、もちろんなのですが、精神的な悦び、、もっというと、愛情を両親からあまりもらえなかった気がしています。もちろん私は親とは表面上は問題ないように付き合っておりますが。
親から愛情をうまくもらえてなかったのでコップの容量がそもそも小さい。ので、すぐにコップがいっぱいになって具合が悪くなったり、他者との関係をうまく築いたり継続するのが苦手。今回の父の入院に際して久しぶりに父と濃く過ごして、改めて感じました。一番近い人なのに(なので?)すごく嫌なところがある。そしてそれは今の自分にもある。。
上の若松英輔さんのコメント
「他者は私である 私の中に私たちがある」
↓
「親は私である 私の中に親がいる」
最後はヘビーになりました、すみません。このテーマはまた別のときに深く書ければと思います。
それではみなさん、よいお年をお迎えください。ではでは。
うつの再発防止策について。
こんにちは、みなさま、ご無沙汰しております。
前回のブログが16年1月初め、約1年振りのアップです。
*前回で、次はスターウオーズ「フォースの覚醒」についてと書きますと言いました。16年1月から3月にかけて、下書きをしこしこと書いていました。けれども、思い入れ強く論点拡がりすぎてまとまらず、さらに忙しくなって、4月位から下書きのまま、ほったらかしにしていました。そのうちに、DVD販売→オンデマンドとWOWOWで放映→「ローグワン」上映、と進んで、その下書きはお蔵入りすることにしました。なお「フォースの覚醒」は私の16年がっかり映画です^^。
私の記事を読んでいただいた方々はご存知だと思いますが、私は約4年間うつで参っていて(11年夏頃発症 / 14年6〜12月入院)、なんとか15年6月に復職しました。
復職した15年6月からは、仕事で精一杯になりブログをアップする余裕がなくなりました。15年6月の復職以降は3-4本、16年に至っては1月アップした後、今回が2本目という寡作ブロガー(?)になりました。
で、私の記事なんか、もう読んでくださってないだろうと思っていたのですが、今でもけっこう読んでくださっている方がいらっしゃるのに最近気づき、びっくりしました(&うれしかったです)。「うつうつ日記」の記事へのアクセスが多いようです。
koyamanglobal.hateblo.jp久しぶりのアップは「うつうつ日記」のほうがいいだろうと思いました。
◆◆◆◆◆
12月に部屋を(ほんとに)久しぶりに掃除(というより整理かな)していたら、下の写真の、紙とノートが出てきました。うつ真っ最中の、2011年の年末(今から5年前)と、14年の入院中のメモです。
■2011年12月25日~31日のメモ (良くなってから書いたと思います)
このときは浜松に住んでいました。
--------------- ↑上のメモの症状が出るまで↑ ----------------------------------------------------------
2011年:
約2年間に渡る転職活動と、3.11の仕事での対応で、心身の疲労が自分のコップからついにあふれて、症状として出たんだと思います。
4月初め:突然の吐き気が続き、10日間ぐらいだって内視鏡検査で逆流性食道炎が発症していることがわかりました。処方されたタケプロンでなんとかごまかしていました。
5月:今度は早朝に目が覚めるように。最初はこれ幸いと外に出てジョギングをしていました。(今ならすぐわかるのですが)いわゆる早朝覚醒ですね。そのときは、うつだと気づくのに、しばらく時間がかかりました。
8月:うつ本格化。会社に行きたくなくなる。リフレックスとサインバルタ、いわゆる『カリフォルニアロケット』という組み合わせ、を1回飲んだら、起き上がれなくなって1日半ベッドで寝っぱなしでした。
10月~11月:会社を約1ヵ月半休みました。休む直前あたりから、こわごわジェイゾロフト服用しました。
12月:ジェイゾロフトが効いて少しよくなったので、復職。しかし、下旬あたらいからまた調子が悪くなり、イブにそのときの彼女とレストランに行って、そのあとから急激に悪化しました。。
----------そして、上の添付写真メモの症状になっていきました-----------------------------------
25日:吐き気の症状が出て悪くなる
27日:吐き気本格化
29日:収まらない吐き気と、自分がどうなるか分からない怖さで、救急車を2回呼ぶ。
12月にやめていたジェイゾロフトの離脱症状では、と病院で言われる。今から振りかえると、ここでSSRI・SNRIへの拒否感が大きくなり、14年8月のサインバルタの服用まで、全くSSRI/SNRIを服用できなかったです。
30日:自分の部屋に怖くて居られずアパート隣のビジネスホテルに泊まる。夜に体を震わせながら父に「○○たい、○○たい」と電話で連呼してました。
31日:心配した父が浜松に来る。当時付き合っていた彼女と父と3人で、救急外来をしている浜松市三方原聖隷病院に夜にタクシーで駆け込む。セロクエル(初服用)と点滴(吐き気止め)でなんとか少し落ち着く。病院からの帰りのタクシーのラジオで紅白歌合戦が流れてました。アパート隣のビジネスホテルで独りで年越しでした。。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
12年1月3日:落ち着いてきて少しづつ食事。
12年の前半は、セロクエルでごまかしながらぼちぼちと。劇的に良くなった感じはなかったです。
7月:東京本社に転勤(もう浜松事務所勤務が耐えられなかった)。ただ、そこでもパワハラ系上司が居て(それだけではないですが)
8月:症状が悪化、11年の休職期間のようになりました。再び朝起きるのがしんどくなりました。
9月下旬:上旬から朝起きられなくなるのが続き、休み連発。下旬に再休職決断。
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(13年14年前半は割愛します、今までの過去ログご参照下さい)
14年6月下旬:入院(復職締め切りまで1年足らずとなり決心)
14年12月下旬:退院
15年6月下旬:復職 (約2年9ヶ月ぶり、会社退職寸前のタイミング)
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↓下のノートの写真は、14年入院中の底期のものです↓
■2014年の入院中のメモ。8月と10月。
ほとんど食事のメニュー。これ以外、文字が書けませんでした。。
10月のメモ(3番目)は底期から脱して回復に向かっているときなんですが、字が異常に細かくて判読難しく、まだ病的ですね。ここらへんが底期と判断できるのは、体重がこの時期から戻ってきていることです(体重はノートに書いてありますが、字が小さくて見つけられないですね・・・)。
入院中は、毎週水曜日の朝、病棟で入院患者さんの一斉体重測定がありました。8月4日が底の44.95キロでした。私は身長はだいたい163センチ、うつになる前は53キロくらいで、もともと痩せタイプでしたが、45キロ未満だともうガリガリです。とにかく食欲はないし、たびたび吐き気で、うつ本格の時は体重増えることがありませんでした。
この14年8月の底に、もうここで手を打たないと復職できなくなる間に合わないと思い、吐き気の副作用覚悟のうえの一大決心をして、サインバルタを試しました。幸いに効いて、ジプレキサとの相乗効果で、食欲回復、14年10月からじりじりと体重が増加していきました。復職後の15年夏くらいには、68キロまでいきました(今は63キロ位)。
■近況
おかげさまで、GW・お盆・年末年始の休み以外は、長期休みを取ることもなく、無事に会社勤務を続けております。疲れたな、ちょっと危ない前兆かな?と感じたときに、半休なり、計画的に休みを取って、休養しております。(夜遅くの食事と睡眠不足から、16年初めから逆流性食道炎が再発してしまいタケキャブを飲んでおりますが・・)
- 仕事:残業毎月20~30時間くらい。弊社はフレックスで朝はゆっくり10時とか10時半に行けます。業務量が多くなり(うつで長期休職だったことはもう全く考慮されていないというか、私の働き具合でみんな忘れている感じ)、遅いときは終わるのが23時過ぎのときもあります。ただ、やはり、夜遅くまでの残業は心身によくないですね。
- オフ:読書、映画、美術館、旅行、都内レストランめぐり等々。映画館へは15年に引き続き20本くらい。旅行は、神戸/姫路城、出雲大社/松江、しまなみ海道70キロサイクリング/道後温泉、京都/貴船、箱根ウオーキング、伊勢神宮/志摩、等々。
■過ごしかた
とにかく、16年は貯金は全くせず、お金の力で(散財とも言う)行動してストレスの発散を図りました。お金を使えるのも、復職して勤務続けることができて、キャッシュが途切れる心配がなかったからです。ともすると、また体調崩したらどうしよう?と思いがちですが、なるたけ思う時間をなくす努力=スケジュールを入れることにしました。
疲れていると感じたときは、人と会う&都心に行くスケジュールは控えて、最寄駅のカフェに行って読書して、まったりとした時間も入れてメリハリをつけました。
とにかく休みは一日ずっとうちにいることは避けました。ただ、時々、睡眠不足からだったり、残業のしすぎだったりで、時々めまいや気持ち悪さはでてました。カウンセラーさんからは、「スケジュールちょっと詰め込みすぎですよ」と言われたこともあり、11月くらいから、すこし余裕を持ったスケジュールを組んでいます。
■薬
15年終わりくらいからSNRIのサインバルタを自分の判断で飲まない日を増やしていき、16年4月くらいからほとんど飲まなくなりました。今はメンタル系は睡眠導入のレンドルミンの半錠のみです。よくここまで来ましたね・・と主治医の先生と会社のカウンセラーの方に何回も言われてます。
以前私がどれくらい薬を飲んでいたかは下の過去記事で。大量服用で、失禁だけでなく、脱○もしました。。
ちょっと不安感があるなあ、うつになった時に感じになんか似ているなあと感じるのが2-3回、16年中にありました。サインバルタを数日飲んだあと、気づかないうちに飲んでいませんでした。会社のカウンセラーさんに言ったら、「○○さん、それだと、サンバルタ効いている前に(1週間くらいかかる)飲むのやめているから、効いてないですよ、意味ないですよ」と言われてます。
■結論:うつから回復したあとの再発防止策(& うつ本格化防止策)
*ちなみに、うつ本格期はパワーが全く出てこないので、この対策はがんばってやらないでください。無理にやると逆効果でさらに悪化する危険があります。
うつ本格期は、
①相性のいい心療内科・精神科にかかること(言うの簡単だが見つかるのが難しい)。
②的確な処方箋・薬の服用 (経験的にやはりSSRIかSNRIの服用かな)
③休養(うつがかなり深いときは入院も視野に、過去ログご参考に)
15年6月に復職した後、16年に業務&活動を本格化できた、私の経験から言えるのは以下です(あくまでも私の個人的な意見です)。もし参考になれば幸いです。
1.「複線」(佐藤優さん)・「逃げ道」(村上春樹さん)を複数用意すること。
会社やパートナーだけでなく、自分の好きなこと・没頭できるものを探して、自分のアイデンティティーをいくつも用意すること。会社やパートナーとの間でつらいことがあっても、他の場で自分の存在を確認・認めることができる場をつくっておくのが大事だと思います。それは、人が介在するものでもいいし(友達)、介在しなくてもいい(読書、映画などの好きな事)と思います。自分が心地いい場、価値を複数つくることです。
2.運動
言うまでもないでしょう。私は、筋トレと水泳を定期的にやっています。ただし、うつ本格期はパワーが全くないので、無理してやる必要はないと思います。
脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方
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(冗長でページ数が大量なので、読むのはしんどいので、アマゾンレビューをご覧になるだけで十分です。うつにも運動は効果が高いことが書かれています)
3.過剰労働は(なるべく)しない。
自戒の意味もこめて。電通の高橋さんの事件の例もあるように(電通社長さん起訴されなかったら逃げ切るつもりでしたね)、あたりまえですが過剰労働はよくないです。うつになったあとは当然気をつけると思うので、どちらかと言えばうつになる前の予防策になります。どんなに自分好きなことや志の仕事でも、過重労働で心身のキャパを超えたら、メンタル と体 が悲鳴を上げます。
↑ 16年「逃げ恥」で完全にブレイクした星野源さん ↑
ミュージシャン、俳優、さらにこの本のようにエッセイもされて、すごい多才な人だと思っていましたが、この本読むと分かりました。仕事一筋、ジャンキー生活で、色々な仕事に自ら飛び込んで、挑戦し続けて成長されて今の姿があるんですね。才能があったうえにこれだけ挑戦し続けるとは・・
あの若さでで倒れたのはなぜだろう?と思っていましたが、明らかな「働きすぎ」だったのです。(レベルはまったく違いますが)仕事への取り組み方は、まさに過去の私が同じでした、そして今の姿勢も。
この本の中で、すごく共感した箇所がありました。やはり働きすぎで体を壊した方は共感できるのではないかと思います。まえがきの一部、ちょっと長いですが抜粋します。
働きたくない。
昔は違った。
働きつづけることが自分のアイデンティティだった。働いてないと不安になり、仕事で出会う人とのコミュニケーションでしか相手に興味がわかず、仕事での達成感のみが生きる希望だった。何をするにも仕事のことを考え、アイデアが思いつくと機嫌が良くなり、難航しているときは常にイライラしていた。少なくとも、今回文庫化されたこの本の書籍版を執筆していた頃、そして校了日までは。
入稿後、倒れた。
入院してから発売された『働く男』の初版の帯にはこう書かれている。
どれだけ忙しくても、働いていたい。
ハードすぎて過労死しようが、僕には関係ありません。
(途中 略)
休養中、『働く男』を読むと別人が書いたもののように感じた。何かに取り憑かれたように、苦しみを、仕事を自分に課しているようだった。
過酷な入院生活で、私は大人になった。仕事が中心の生活ではなく、己が中心の生活に変わった。「仕事がないと生きていけない」ではなく、「仕事って楽しい」「でもなるべくサボって遊んでいたい」という性格に変わった。私は「働く男」から、「働きたくない男」になった。
とはいえ彼を、「働く男」の自分を否定する気にはなれない。
(略)
休んでいても不安は感じない。焦らない。むしろめっちゃ休みたい。今の自分がいるのは以前の自分のおかげであり、彼が殻を破ってやろうと必死になって戦ったからこそ、脱皮した自分がのほほんと暮らしていけている。そう思うようになった。
サボりたい、遊びたい、働きたくないとボヤキながら、実は今も自分は忙しく働いている。しかし前とは比べ物にならないほど、心は落ち着き、楽しく、幸福であり、仕事も充実している。
回復した後、仕事に肩の力を抜いて取り組んだら、皮肉にも大ブレイクしたんですね。
*余談ですが、、くも膜下出血後の入院生活について、星野さんは「過酷」と書かれているように入院生活かなりつらいようです。
15年の夏に、興味半分で、この漫画を読みました(映画化されるようですね)。(不謹慎で第三者としては面白かったですが)治るまでの治療が極めて過酷で、自分が当事者だった場合、果たして耐えられるか自信ないです。
『働く男』では、闘病生活の辛さについては触れていませんでしたが、別の本を買ったら、星野さん、ちゃんと書いていらっしゃいました。
P126を境にして、全く違った読み物です。このページ以降は、完全にくも膜下出血の闘病記録になっています。
助かったあとの辛さも半端ないです。『くも漫。』と同じかそれ以上です。同じように集中治療室に入れられ、しばらく吐きまくり。本人も書かれているように「地獄」。
さらに、星野さん、なんと再発も経験されています。2回目は、開頭手術を受けているんですね。。私は、絶対、くも膜下出血にはなりたくないです。くれぐれも「働きすぎ」ないようにしよう。
*しかし、死んだほうがましなくらいつらいことも、前向きに受け止めて、明るく楽しく下ネタも入れて面白く書ける、星野源さんはすごいです・・。
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ちょっと、余談が長くなりました、失礼しました。
再発防止策に戻りますね。
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4.動物性たんぱく質の摂取
食欲がないときや、日本人としての胃腸の傾向として、なかなか取れないかも、ですが、うつ予防策&回復期策として、意識してとるべきではないかと思います。私の場合、うつの前は、ベジタリアンっぽい生活を送っていました。ベジな食生活とうつに、相関関係があるのかはなんとも分かりませんが、私はよくなってきてから、動物性たんぱく質をとる生活をしていたら、やる気・パワーが出ている気がしました。
たんぱく質が脳でポジティブ系の物質に変わり、うつに対しても、いい効果があるとか。運動とたんぱく質はセットで考えましょう(このセットは筋肉も増加させます)。
一方で、日本人は動物性たんぱく質摂取の歴史が長くないので、大量&長期の摂取はよくない面もあるようです。野菜果物等の摂取も、バランスいい食事をできればしたいです(あたりまえの結論になってしまいましたが・・)。
欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」 科学的事実が教える正しいがん・生活習慣病予防 (ブルーバックス)
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日本人と欧米の食事と病気の関係の違いについて、、なかなか興味深かったです。
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2017年も無事にいくように、上記項目を外さないようにたんたんといきます。
(17年はもう少しアップしないといかんですね)
00年のくるりの名曲。もう15年以上前の曲なんですね、、改めて最近聞いています。
僕が何千マイルも歩いたら
手のひらから大事なものがこぼれ落ちた
翼が生えた
こんなにも悩ましい僕らも
歩き続ける 歩き続ける
ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって
こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてゆく
2017年がみなさんにとっていい年でありますように。
2015年を振り返って。
photo by Gunn Shots (Mark Gunn)
<<長いので、お時間のあるときにお読みください^^>>
ご無沙汰をしておりました、遅ればせながら、
最後にブログ掲載したのが2015/8/15、
年末年始休みにアップしようとしましたが、年末に胃腸が調子悪くなり(近いうちに内視鏡検査します)、寝込んで果たせませんでした。
■■■
復職前はブログをまめにアップできてました。リワークをやっていたとはいえ、拘束時間は午前中だけでしたし、仕事に比べるとエネルギーロス少なかったです。
今は毎日夜8時9時頃まで(これでもバリバリ仕事やっていたときより全然早いです)、パソコンに向かって仕事して、うちに帰って食事した後の深夜に再びパソコンに向かうのはけっこうきついと思います。今の状態でブログ書くの続けたら1-2回でダウンしそう。復職前は、復職してからも週1-2回はブログアップできるかなと思いましたがだめだった、甘かった。
毎日仕事しながらブログもまめにアップされている方がいらっしゃいます。すごいなあと尊敬です。(仕事との)時間・エネルギーマネジメントはどうやっているんだろう。わたしのエネルギーがまだ100%でないからかな(以前バリバリやっていたときに比べると今はまだ6-7割くらいだと思います)。とは言うものの、ついつい周りのペースに合わせてオーバーペースになってしまうタイプなので、少なくとも今年前半はなるたけマイペースでいきたいです(いかないとカラダがもたないでしょう)。
◆◆◆最近の状況◆◆◆
▼仕事→部内異動で負荷増▼
部外に異動する人の玉突き人
12月にわたしの部内異動を唐突に上司から定例面談時に言われ、この場で承諾して欲しいと言われてさらにびっくりしました。復職後半年で業務変更、初めて経験する業務内容、復職後の業務に比べて格段に負
その後、上司から「断っても、今のグループには居られないし(
その産業医面談中、人事部の方が、
「○○○さん(わたし)の言い分は分りました。ただ、少し冷たい言い方になりますけど、○○
と言われて、すこしむっとときました。人事としての立場、そしてわたしのポジションを考えての発言だったんだろうけど、復職後の復活途中でまた新しい業務で不安を持っている人に対してきびしいコメントだなあ、
■■■
うつになる前は、MBAもとったし、
うつになる前のバリバリだった時は会社内でチヤホヤされてました。うつになってからは今までの態度とは変わって冷淡にわたしと接する方もいました。その方はわたしの社内でのポジションやパワーを見ていたのでしょう。
復職したあとはそういう態度の人がもっと増えるだろうなあと復職直前は不安でしたが(
うつになって自分の体と立場が弱くなって、初めて、会社(の人たち)は
でも、一方で、「復帰してよかったですね」
病気になる前は、
会社の方向性と、人間としての生き方・考え方で、
■■■
▼ うつの状況→さらに減薬成功、食欲・体重は減少▼
2015/12/23で、退院してから1年経過しました。2015年1月は、自宅からリワーク先(NTT東日本関東病院)
●現在の服薬
・サインバルタ:朝1錠。2錠から減薬。
・マグラックス:1-2錠。(
休職中の入院前は眠剤だけで11種類飲んでいました。
減薬に成功した要因は、日々あまり考えすぎないよう公私共に忙しくしたのがよかったのかもしれません。定期的な運動(水泳)、読書&映画(後述)
一方で疲れは蓄積されてきているなと感じています。そのせいかどうか分かりませんが、食欲は一時期のなんでも入る感じから減退しています。
へんな言い方ですが、この歳になって初めて、大食い・太ることができてうれしかったので食欲減退は正直残念です。年末だけではなく11月にも胃の調子が悪かったことがあるので、胃の検査が必要だと思いました。体重は年末に胃腸を壊したのもあってMAXから減り、スーツのパンツがゆるくなってきました。
▼出張・旅行→国内だけど結構行けてよかった▼
復職後の2015年の後半は国内出張と国内旅行にたびたび行けました。
名古屋、横浜・鎌倉(近いか)、京都、浜松、大阪、広島、
↓ 10月18日の京都・嵐山 ↓
休職期間中は、浜松(以前住んでいた)
「うつで休んでいるとき気分転換にいいかなと思って北海道にも旅行で来てたけど、〇〇〇
と聞かれました。
「ムリムリムリ」
私は休職中はまったくそんなパワー・エネルギーは無かったです。
北海道に10年ぶり以上に行って、富良野の「北の国から」
↓ 11月7日の北海道・富良野 ↓ (寒かった、快晴でよかったです)
このときに、親しくしていた方から休職中に「北海道に行ったことがないので行ってみたい」とたびたび言われていたことを思い出してました。チカラ振り絞って一緒に行ってあげたらよかったかなと思いました。一方で、当時のわたしのエネルギーでは全くできなかったし、出発したとしてもすぐ心身さらに壊しただろうし、申し訳ないけどしょうがなかったかなあとも思いました。
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旅行ではないのですが、12月初めにモネ展に行きました(美術館行くの好きで都内の美術館に休職中ときどき行ってました、美術館は行けた)。終了前の時期だった為か、すごい人の行列で入場するのに30分以上待ちました。わたしもその1人ですが、日本でモネの絵が展示される展覧会は人がたくさん来ます。
( 上の写真左がその1枚になります)モネが白内障にかかってから取り組んだ情熱的な色調の絵(ぼんやりとしか目が見えないので絵がより抽象的に変化している)を初めて見ました。鬼気迫ってくるパワーを感じました、今までわたしが見たモネにないものでした。モネは昔から大好きな画家さんですが、新しい発見でよかったです。
◆◆◆読書について◆◆◆
最近、1週間に1-2回、発作的に
▼2015年上期・芥川賞受賞作『火花』『スクラップ・アンド・ビルド』
●『火花』 又吉直樹
まだまだ売れているようですね。220万部?すごい売り上げです。
芥川賞受賞の直前か直後、15年の夏に読みました。佐藤優さんは芥川賞を受賞する前に『火花』を
わたしの読んだ印象は佐藤さんとは違って、これほどの大ベストラーになるほど内容があるのか
吉祥寺が好きで、売り出し中の芸人先輩と後輩の関係。中央線。
●『ダ・ヴィンチ 2015年7月号』
7月号なので発売されたのは6月ごろで、芥川賞発表前です。わたしは又吉さんの芥川賞受賞後にアマゾンで買いました。50ページに及ぶ又吉さん絶賛特集!で、多くて読み切れませんでした。中村文則さん(芥川賞作家)が大好きなようですね。やはり大ファンである太宰治さんに対するコメントも2ページにわたって紹介してあります。
●『第2図書館係補佐』
50冊ほどの本を3ページで紹介。ほとんどの本が小説です。その本に触発されて思い出した又吉さん本人のエピソードを書いたエッセイだと思います。わたしは「火花」よりこちらのほうが読み易く興味深かったです。アマゾンでもこの本の方が「火花」より評価高いです。
●『女生徒』 太宰治
夏に近所の本屋で太宰治さんの文庫本が平積みされていて、何冊かほんの少し手に取ってほんの少し読んでました。その後、又吉さんの愛読書『人間失格』より読みやすかなあと思って、「女生徒」をアマゾンで買いました。30ページくらい読んでほったらかしになり、あとは放置です。太宰さん、わたしにはだめだったかも。
『第2図書係補佐』の巻末の中村文則さんとの対談で、若いとき太宰を読む前に芥川龍之介の『トロッコ』と『羅生門』を読んで「ほかとは違う」と感じたとのこと。発作的に、芥川さんも2冊アマゾンで購入。
●『地獄変・偸盗(ちゅうとう)』
2冊合わせて読み終えたのは、(昔読んだことのある)『羅生門』だけでした。読んだことのある方はおわかりだと思いますが、『羅生門』はたったの20ページほどの短編です。これだけ読んで、あとは読まずやっぱり積読・放置になっておりました。太宰さんの『女生徒』と合わせて3冊が部屋のどこかへ行ってしまてて、今回部屋から探し出すのに時間がかかりました。わたしには古典小説は無理なのかな。。
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●『スクラップ・アンド・ビルド』羽田圭介
うーーん、「火花」より、正直、さらに分からなかったです。
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1月6日(水)24:00〜25:00にNHK Eテレで再放送(11月7日初放送)していた「SWITCHインタビュー達人たち 羽田圭介x若林正恭(オードリー)」を見ました。
<興味深かったコメント>
「作家は割に合わない。若い人が作家になりたいと言って相談してくるがやめろと言っている。小説にとっては今は悪い時代です。」
「パソコンに書いた下書きをプリントアウトして、1日のほとんどをプリントアウトした紙に手書きで直しを入れている。その繰り返しばっかです。」
「作品の出来は自分が一番よく分かる。イマイチの時は他の人の評価も良くない。」
「作品を書くときは、関係者に取材を行う。ただし、生々しくて良かった話しは、やっぱり活字にしないでと当人からよく言われるので対策を考えました。自分で想像も含めて書いた内容を見せて、だいたいこんな感じですよね?と聞いて、そうですと返事をもらったらそのまま書いてしまいます。それは私が書いた内容であって取材で聞いた内容ではないから書いていいんです。」
(純文学作品で取材を丁寧に行っていることが意外でした)
↓(これはわたし読んでいないです、番組中オードリーの若林さんが紹介)↓
↓ SM業界の取材を丹念に行い、世に出すまで3年位かけたそうです。↓
若林さんは、あー見えて(すみません)実はかなりの文学好きで羽田作品もかなり読んでいるようでした。
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『スクラップ・アンド・ビルド』は、自宅での羽田さんのおばあさんの介護経験がきっかけで、作品にしようと思ったそうです。やはり介護関係者にかなり取材をされたそうです。『スクラップ・...』読んでいるときに、関係者を取材してあることは正直全然感じなかったです。思ったのは、これだけ手間&時間をかけて作品を世に出していても、世の中に大きく認知されるまでにかなり時間がかかっていることでした(羽田さんは17歳で文芸賞を最年少で受賞、それからたびたび賞の候補になった後に15年で29歳のときに芥川賞受賞)。世に認知されるのに時間はかかるし、わたしみたいな鈍感な読者はいるしで、羽田さんおっしゃるように小説家って割に合わない職業かもしれないですね。
「今まで全然本が売れなかったので、芥川賞を受賞してから本の売り上げを増やすためにテレビに出ているけど、売り上げにはさほど影響はないみたいです。芥川賞受賞そのものが効いているようです。今は芥川賞受賞っていう『ブースト』で私の作品群の売り上げ増えてるけど、もうすぐその効果も切れます。そしたらまた途端に売れなくなりますよ。」
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「僕が高校生の時、綿矢りささんが最年少で(19歳)で芥川賞受賞して大騒ぎになった。それをテレビで見て、めちゃめちゃ焦って作家になろうと決心して、作品を猛烈に書き始めた。」
復職前後の5月か6月に読んだでしょうか。彼との結婚を夢見る女性の日々の感情のうつろいをつづった短編小説です。あっさりと読み易かったですが、一方で、文体が引っかかってこなかったです(贅沢かな?)。読んだあとに何かは残りませんでした。
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実は、この本を読むまで、綿谷りささんが、最年少で芥川賞を取ってたことを知りませんでした(調べたら2004年に19歳で受賞)。わたしは、その時は名古屋で仕事にがんじがらめに時間と体を拘束されていて(ビジネス本や政治経済本は多少読んでいましたが)、時間と心の余裕がないのもあって小説は興味を持てず全く読みませんでした。
この本を読んだ限りなので、不遜・失礼を承知で申し上げますと、わたしには芥川賞作家の名にふさわしい内容とは思えなかったです。ただし、上の古典小説に対するコメントでお分かりのようにわたしの小説読解力はまったく足りてないので、あてにならないコメントだと思ってください。。
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▼村上春樹さんを、遅まきながら読み始める▼
15年の11月くらいから、遅ればせながら、村上春樹さんの著作をぽちぽちと読んでいます。
昔々、社会人になりたてか大学卒業前の時に『ノルウエイの森』を読みましたが、暗い内容がいやになり、
2015年は読みやすいエッセイ系の本を数冊出されました。
小説も1冊2冊読むことができて、昔の『ノルウェイの森』にいだいた村上春樹さんのいやな印象がなくなっていきました。わたしは『火花』『スクラップ・アンド・ビルド』や太宰や芥川より読みやすかったです。あと、余韻が残りました。単純に相性とも言えますが、村上春樹さんが長い間人気あるのも少しわかった気がします。なんででしょう、文体なのかな?
もう少し読む量を増やして考えも熟成させて、
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▼小説とビジネス書について、『バランス』▼
うつになって休職する前のバリバリに働いていた頃は、 『生きること』と『働くこと』はほぼイコールであると考えていました。給与・昇進・ポジションなどの社会的立場や、やりがい・使命・
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15年から読み始めた佐藤優さんは著作で、
「努力が必ずしも世の中や人生で報われるとは限らない。
極端な捉え方になりますが、『生きる』処方箋=小説(映画)
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最近、
わたしも受講したことがあるのですが、
小説=『生きること』は小さなこと含め全てだいじなこと、
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さらに、佐藤優さん・村上春樹さん・池上彰さんは「すぐ効く内
例えるなら、小説=漢方薬、ビジネス書=解熱薬、なのかな。
わたしは村上春樹さんまで小説一辺倒はむずかしいので(仕事の関係上ビジネス書も読まないといけない)、ビジネス書と小説の『バランス』を上手に取っていきたいと思います。
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●『戦略読書』三谷宏治
ビジネススクールに行ってたとき、三谷さんの講義を受講したことがあります。他の先生と比べると、講義スタイルに独特のものがありました。何か違うなあ、、と。
「みんなと同じ本を読んではいけない。私たちは読んだ本でできている。自己啓発本・ビジネス本・ノウハウ本・経営書ばかり読んでも、それらを読んでいる人と同じになる。コモディティになる。差別化できない。何を・いつ・どう読むかを戦略的に考えた自分仕様の読書が必要。」
三谷さんが小説だけでなく漫画も読んでいるのは意外でした。多忙なのにどうやって時間を作っているんだろう?と思いました。自分独自の読書ポートフォリオ形成が重要で、ビジネス書だけでなく小説(三谷さんの場合漫画も!)を読む重要性がわかりました。
◆◆◆映画◆◆◆
映画鑑賞は中学生の頃から大好きで、うつになってから3年間映画館へ行けなくて欲求不満がたまってました。やっと2015
●2015年鑑賞映画●
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